墨俣城へ行ってきました。
ここは一夜城として有名です。
墨俣(現在の岐阜県大垣市墨俣町墨俣)は、美濃と尾張の国境で、長良川沿いに位置しています。
ここに城を築けば、岐阜城(当時は稲葉山城)まで、船で簡単にアクセスできるので、美濃攻めを目論む織田信長にとって喉から手が出るほどほしい土地ででもありました。
それゆえ、美濃側はこの地に築城することをけっして許さず、信長家臣の佐久間信盛、柴田勝家が試みるもあいつい失敗しました。
しかし、木下藤吉郎が名乗りを上げ、一夜にして見事に築き上げ、後の出世の出発点となったという伝説が残っています。
しかし、この立派な天守閣、そして太閤出世橋。一夜では出来んでしょ?
屋根にはしっかり金のシャチまでのっているし・・・・・!
バブル景気の最中、竹下内閣は「ふるさと創生資金」と銘打って全国の各市町村に1億円ずつバラ撒かれたことがありました。
このときに、史実に基づかない城を立てた自治体もいくつかありました。
墨俣町(当時)も、墨俣城の整備にその資金があてがわれたのでした。
かくして歴史にそぐわないデザイン・規模の天守閣のような建設物は作られ、反対した議員名は瓦に記されたとか・・・・(ニュースで聞いた覚えがあります)
このようないきさつもあり、墨俣城はマニアの間では酷評なのです。
天守閣に見える建物は、大垣市墨俣歴史資料館となっています。
入場料200円を払って入ってみました。
大屋根の金鯱のミニレプリカが展示されていました。
実はこれ2代目で、初代は盗難に遭ってしまったのです。
歴史資料館は「墨俣の歴史」「墨俣築城」「豊臣秀吉について」などがわかりやすく展示され、これ自身はなかなかよいものでした。
史実に基づかない天守閣ではなく、地元ゆかりの建築デザイナーなどに設計した建物にすればよかったとおもいます。
資料館によると墨俣城は一夜ではなく数日の昼夜突貫工事で作られたと考えられているそうです。
秀吉が成功した秘訣は、
① 木曽で木を切り出し、木曽川を下降しながら製材・加工・蓄材を
それぞれ別の場所で行い、現地では組み立てるだけのプレハブ工法を用いた。
② 美濃側に「北勢攻めの準備をしている」とのウソの情報を流した。
③ 失敗に終わった前任者は土塁で敵襲を防ごうとしたが、
秀吉はまず馬防柵を張り巡らせた。
ことがあげられるようです。
資料館にあった墨俣城の復元模型です。
けっきょく、現地で一番史実に基づいているのがこの馬防柵ということでしょうか。
最上階から金華山を臨みました。山頂に岐阜城が確認できます(山麓の建物は岐阜県庁です)。
資料館の北には神社がありました。
右側の小さなな社殿が豊国神社、左は村社です。
ひょうたんに願いを書くと願いがかなうそうです。
墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)
岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742
開館時間: 09:00~17:00(入館受付は16:30まで)
休館日: 月(祝日の場合は翌日),祝日の翌日,12/29~1/3
入場料: 一般 200円 , 高校生以下 無料