福島県東白川郡棚倉町には「つつこわけじんじゃ」が二社あります。
棚倉町棚倉字馬場にある都都古和氣神社(馬場都々古別神社)と棚倉町八槻字大宮にある都々古別神社(八槻都々古別神社)です。
両社はともに味耜高彦根命・日本武尊を祭神とし、それぞれ古社として知られ中世以降は陸奥国の一宮とも称されています。
いずれが延喜式に載る神社であるかや本社・分社の関係などについては古来論争ありますが、現在までに明らかとはなっていないそうです。
さらに、福島県石川郡石川町には石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)があり、やはり陸奥国一宮を称しています。
こちらは棚倉町の都都古別神社から分祀されたものであるという説もありますが明確な裏附けはありません。
3つの「つつこわけじんじゃ」のうち、棚倉町の二社を初日に、石川町の一社は翌日に訪れる予定です。
白河ICから約40分、都都古和氣神社(馬場都々古別神社)へやってきました。
ナビにしたがってきたところ、三の鳥居脇の駐車場に到着しました。
三の鳥居
拝殿
主祭神は味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)で相殿神は日本武尊(やまとたけるのみこと)です。
本殿
絵馬
摂末社
神明宮
熊野神社
鹿島神社
厳島神社
稲荷神社
甲山天満宮
随神門
二の鳥居
御朱印は社務所ではなく、二の鳥居脇の宮自宅で受け付けています。
宮司さんによると、石川町の石都々古和気神社は山の上にあり、ナビに従うとその本殿近くに誘導されるそうです。
そこまでの道は未舗装路で、大きいクルマやバイクはやめた方がよいとのこと。
麓に駐車し、石段を登って参拝するのが賢明だそうです。
棚倉町棚倉字馬場にある都都古和氣神社(馬場都々古別神社)と棚倉町八槻字大宮にある都々古別神社(八槻都々古別神社)です。
両社はともに味耜高彦根命・日本武尊を祭神とし、それぞれ古社として知られ中世以降は陸奥国の一宮とも称されています。
いずれが延喜式に載る神社であるかや本社・分社の関係などについては古来論争ありますが、現在までに明らかとはなっていないそうです。
さらに、福島県石川郡石川町には石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)があり、やはり陸奥国一宮を称しています。
こちらは棚倉町の都都古別神社から分祀されたものであるという説もありますが明確な裏附けはありません。
3つの「つつこわけじんじゃ」のうち、棚倉町の二社を初日に、石川町の一社は翌日に訪れる予定です。
白河ICから約40分、都都古和氣神社(馬場都々古別神社)へやってきました。
ナビにしたがってきたところ、三の鳥居脇の駐車場に到着しました。
三の鳥居
拝殿
主祭神は味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)で相殿神は日本武尊(やまとたけるのみこと)です。
本殿
絵馬
摂末社
神明宮
熊野神社
鹿島神社
厳島神社
稲荷神社
甲山天満宮
随神門
二の鳥居
御朱印は社務所ではなく、二の鳥居脇の宮自宅で受け付けています。
宮司さんによると、石川町の石都々古和気神社は山の上にあり、ナビに従うとその本殿近くに誘導されるそうです。
そこまでの道は未舗装路で、大きいクルマやバイクはやめた方がよいとのこと。
麓に駐車し、石段を登って参拝するのが賢明だそうです。
歴代の宮司の中にはこんな方も見えたそうです。
かつては神社の周囲は堀で囲まれていたそうですが、現在では一部しか跡が残っていませんでした。
かつては神社の周囲は堀で囲まれていたそうですが、現在では一部しか跡が残っていませんでした。
ホントの名前って何だったんだろ???何人種???と
日本語の文字は漢字が最初で、これからひらがなやカタカナができたそうです。漢字は、漢の文字ですから、中国から伝わったので、それ以前は、言葉はあるけど表記できない時代があったはずです。で、あとから字をあてるわけですが、固有名詞などは同じ音でもあてがう字が異なったりして、同じ神様でも神社によって表記が異なっているのだと思います。