芥川山城は飯盛山城と共に大阪府下では最も規模が大きな城跡で、遺構の残存状態も良好で戦国時代の典型的な山城です。
芥川山城は標高182.6mの三好山に築城されています。
1533(天文2)年、細川政元が入場し、細川政権、その後継と言える三好政権の本拠地となりました。
四条畷市立歴史民俗資料館から、昼食休憩を含めて約40分、高槻市立しろあと歴史館へやってきました。
高槻市立しろあと歴史館
所在地: 大阪府高槻市城内町1-7
電話: 072-673-3987
開館時間: 10:00~17:00
休館日: 毎週月曜
続日本100名城スタンプは、ロビーで押すことができます。
ここは、高槻城の三の丸跡にあたり、資料や映像、模型などで江戸時代の高槻を紹介しています。
芥川山城に関する展示はわずかでした。
なお、高槻城本丸跡は現在、城址公園となっていますが、この日は雨が降り出す前に芥川城登城を果たさなければならないため、見学を止め、後ろ髪を引かれる思いで摂津峡へ向かうのでありました。
芥川山城の登城口は住宅街にあり、近くに駐車場がありませんので、1km程離れた摂津峡公園下の口駐車場にバイクを駐めました。
自動車・大型バイクは1000円かかりますが、それ以外の二輪車は脇の臨時置場に駐めることができ、無料です。
まずは、摂津峡大通りを東に向かって、塚脇バス停まで歩きました。
ここは、芥川山城に関する掲示物がいくつもあり、さながらミニギャラリーとなっているので登城前に寄ることをお薦めします。
芥川山城は標高182.6mの三好山に築城されています。
1533(天文2)年、細川政元が入場し、細川政権、その後継と言える三好政権の本拠地となりました。
四条畷市立歴史民俗資料館から、昼食休憩を含めて約40分、高槻市立しろあと歴史館へやってきました。
高槻市立しろあと歴史館
所在地: 大阪府高槻市城内町1-7
電話: 072-673-3987
開館時間: 10:00~17:00
休館日: 毎週月曜
続日本100名城スタンプは、ロビーで押すことができます。
ここは、高槻城の三の丸跡にあたり、資料や映像、模型などで江戸時代の高槻を紹介しています。
芥川山城に関する展示はわずかでした。
なお、高槻城本丸跡は現在、城址公園となっていますが、この日は雨が降り出す前に芥川城登城を果たさなければならないため、見学を止め、後ろ髪を引かれる思いで摂津峡へ向かうのでありました。
芥川山城の登城口は住宅街にあり、近くに駐車場がありませんので、1km程離れた摂津峡公園下の口駐車場にバイクを駐めました。
自動車・大型バイクは1000円かかりますが、それ以外の二輪車は脇の臨時置場に駐めることができ、無料です。
まずは、摂津峡大通りを東に向かって、塚脇バス停まで歩きました。
ここは、芥川山城に関する掲示物がいくつもあり、さながらミニギャラリーとなっているので登城前に寄ることをお薦めします。
集落を特別養護老人ホームをめざして北上します。
なんじゃこりゃ?
後で調べてみたら、韓国の済州島にある石像でトルハルバン(石製の爺さん)とよばれるものらしいですが、なぜここにあるのでしょうか?
高槻黄金の里特別養護老人ホームが見えてきました。
この西側を道沿いにさらに北上します。
最初の分岐点は直進し、
二つめの分岐点で右に進みます。
このような表示があるので間違えることはないでしょう。
なだらかな登り坂が続きます。
芥川山城は私有地です。
訪問させていただいているという心がけが必要だと思います。
この表示を左に曲がります。
獣よけの柵を左手に登りますが、もうすでに右手には西端の曲輪があります。
墓でしょうか?
土橋
堀切
竪土塁
右に進むと山頂すなわち主郭で、左に進むと大手です。
大手には石垣が残っています。
まだ頂上ではありませんが、
見事な眺望です。
頂上まであと少し。
頂上すなわち主郭です。
三好長慶を祀っている祠
ここまで1時間かかりました。
主郭からの眺め
5.36 km 所要時間1時間50分でした。
ポツリ、ポツリと雨粒が落ちてきましたが、雨具を使うほどではありませんでした。
もっとも、帰路、大津SAでカッパを着ることになるのですが・・・
土橋
堀切
竪土塁
右に進むと山頂すなわち主郭で、左に進むと大手です。
大手には石垣が残っています。
まだ頂上ではありませんが、
見事な眺望です。
頂上まであと少し。
頂上すなわち主郭です。
三好長慶を祀っている祠
ここまで1時間かかりました。
主郭からの眺め
5.36 km 所要時間1時間50分でした。
ポツリ、ポツリと雨粒が落ちてきましたが、雨具を使うほどではありませんでした。
もっとも、帰路、大津SAでカッパを着ることになるのですが・・・
名城の方は・・・40分の看板を眼にしたら・・・へこたれそうwww汗
山城ダブルヘッダーで足はもうガタガタ、限界でした。
高槻城はいつかリベンジしてみたいと思います。