デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



館内をぐるぐる回っているうちに、バルビゾン派の絵画として有名なコローの部屋に来た。


カミーユ・コロー「シャルトル大聖堂」(1872)

今や世界遺産となっている聖書の物語のステンドグラスで有名な、ゴシック建築の代表作シャルトル大聖堂の昔の姿だ。
私の好きな小説『失われた時を求めて』で登場する聖堂のモデルの一つとされる大聖堂、よくぞ描いてくれました、と勝手ながら思った。
コローの絵は「モナリザの娘」と言われることがある「真珠の女」、「絵を描く自画像」「青い服の女」「コローのアトリエ、マンドリンを持つ女」「ドゥエの鐘楼」そして「モルトフォンテーヌの想い出」などなど、詩情に満ちた素晴らしい作品がたくさんあったが、カメラのメモリを節約したため画像には残さなかった。(絵自体は一般の図版でもよく載っています)

もう一度、クロード・ロランの部屋まで戻り、時代順に順路を進めると、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋があった。


ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「燈明の前のマグダラのマリア」(1640-46頃)



ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「大工聖ヨセフ」(1640頃)



ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「聖イレーネに介抱される聖セバスティアヌス」(1649頃)



ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「いかさま師」(1625頃)

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは近年ようやく脚光を浴びてきた画家で、それまでは忘れ去られた画家だったそうだ。
ラ・トゥールの絵にみられる明暗の特徴はイタリアのカラヴァッジョの影響を受けているが、カラヴァッジョの劇的で動的な効果はラ・トゥールにはない。ラ・トゥールは激しい動きを消し去りって見ている人間を静かな世界へと導くような感じだ。またラ・トゥールは闇を多く描くことで光(炎の照明自体)をより現実の物のように見せているところがうまい。
私が特に好きなのは「大工聖ヨセフ」と「いかさま師」だ。「大工聖ヨセフ」は神とか天使とか天井の光とかが出てこず、一般人のおじさんが暗い中黙々と仕事に精を出す姿を横の子供(幼キリストもしくは聖霊)が一本のロウソクの光で照らし出しているという簡潔さでもって、ヨセフの人なりの全てを静かに表現している。まるで言葉は要らず、行動で語るといわんばかりだ。
「いかさま師」は人物の光の当て方がカラヴァッジョの影響を受けている頃のものなので、ロウソク一本の照明と暗闇を描くほどの技巧には達していないが、いかさま師たちの表情がとてもそれっぽいところがいい(笑)。左の男はカードを仕込み、中央のマダムは飲み物を注ぎにきた「仲間」のサインを横目窺っているみたく、次の手を下そうとしているかのようだ。ということは右端の大きいオレンジの羽飾りを頭につけた男がカモで、彼は三人にどれほど巻き上げられるのか、そこはもう想像次第。

ラ・トゥールの部屋の次に続く大きい部屋にはやたら大きい絵が壁一面にドンと展示されていた。そんな大きい部屋の端っこの方に、見たことのあるような人物が…。


セバスティアン・ブールドン「デカルトの肖像」(1629-1649?)

デカルトが座標なんてものを考え出したから苦労したんじゃ!と数学嫌いな人は思っているかもしれないが、上のデカルト氏、なんかむちゃ顔色悪い…。デカルトって体がそんなに丈夫じゃなかったとか聞いたことあったので、画家の目にもそんな風に映ったのだろうか。



上の絵は誰が描いたのかメモを忘れたのだが、色合いがきれいでリアルな人物が雲に乗っている姿が妙に印象に残った作品だ。私の想像では聖人の幻視の絵だろうと思っているが…



上はヴェルサイユ宮殿の建造に多大な貢献をしたシャルル・ル・ブランの絵だったと思う。ルーヴルにはル・ブランのアレクサンドロス大王の戦いを描いた大作がいくつかあって、これもその一つだったと記憶している。

以下の四枚も大作で、ジャン・ジューヴネの作品だ。どれもが聖書の一場面を壮大なスケールで描いてある。


きっとキリストの奇蹟、病人や墓からしてラザロの復活の場面だと思う



赤子姿のキリストからして東方三博士の礼拝の場面だろう



大量の魚からして、キリストによるガリラヤ湖の魚の奇蹟だろう



十字架降下の場面

最後から二番目の「大漁」の絵は、ロシアのサンクト・ペテルブルグにあるエルミタージュ美術館にも巨大なタピスリーとして壁にかかっていたりする。フランスの絵画がタピスリーの図柄になってロシアに届けられたのか、それともロシアで作られたのかは分からないが、18世紀のフランスとロシアとが芸術の面でも地続きであったことを改めて学んだ。

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