……シャルダンの諸作品のまえで足をとどめさせるだろう。そして彼が、かつては凡俗さと呼んでいたものを描いたこの豊かな絵に、かつては味気ないものと見なしていた生活を描いたこの味わい深い絵に、かつては安っぽいものと思いこんでいた自然を描いたこの偉大な芸術に目を奪われたとしたら、私は彼にこう言うだろう。…… こういったものすべてが、今あなたに、見て美しいものと思われるとすれば、それはシャルダンが、それらが描いて美しいものであることを見出したからなんだよ。そして彼が、それらが描いて美しいものであることを見出したのは、それらが見て美しいものであることを見出していたからなんだな。 ……あなたの頭上には、何とも奇怪な姿をした、かつてそいつがうねり泳いだ海のようにまだみずみずしい怪物が、つまりえいが一匹ぶらさがっていて、そいつを見ると、美食の欲求と、かつてそいつがそのおそるべき目撃者だった海の静けさや嵐の不思議な魅力とが融けあうんだな、そして、レストランの味のなかを、植物園の思い出のようなものを横切らせるさ。えいは開かれていて、その繊細で相愛名建築構造に感嘆することが出来る、赤い血や青い神経や白い筋肉などにいろどられていて、多色装飾の大聖堂の内陣といったところさ。 (筑摩書房『プルースト全集15』p248~252)