デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 






撮影時には露出を下げたので回りは暗く写っているが、実際は普段に分厚い雨雲がかかっているようなぐらいの明るさであった。
そう、日蝕だ。私の目で観測できたのは、部分日蝕だ。今日は日蝕についての戯言である。

日蝕に関する報道は、いつもながら派手なものだった。たしかに皆既日蝕や部分日蝕を見れることは大いに喜ばしいことだが、しかしとんでもなくありがたいという気にはならなかった。曇り空の下での部分日蝕であったから、というのもあるが、そもそも、
「蝕」は毎日、地球上のどこかでは起こってる現象だろ?
という醒めた気持ちが終始抜けなかったのだ。今は、人類が観測し発見した法則の下での日蝕が起こる周期がそれなりにわかるわけだし、日蝕を追いかける時間と体力とお金さえあれば、何度もお目にかかることができるかもしれないのだ。写真撮っておきながら言うのもなんだが。
なんというか、珍しい自然現象を目の当たりにした感動もそれはすばらしいと思うのだが、今回は、五輪で女子ソフトボールやWBCで日本代表が優勝したときの方が、跳び上がらんばかりの気持ちという意味では充実していた。横浜ベイスターズやシカゴ・ホワイトソックス、ボストン・レッドソックスのファンたちは、自分たちの応援するチームが何十年ぶりかで優勝したときと、日蝕を見たときとはどちらが嬉しいかったろう。確率でしか語れないそれはそれ、天文現象についてのこれはこれ、か(笑)。

最近読んだ本では、敵方が自ら兵を留まらせた理由が日蝕が起こったからであるという情報をつかんでいたローマの最高司令官が、戦(いくさ)を有利にもっていくにあたり、日蝕を利用したエピソードが印象に残っている。

ところで、日蝕が話題にされるときって、なんらかの法則がないだろうか?とふと思い、しばらく考えているうちに思いついた。忘れた頃にやってくるタイプの現象、マスコミや天文台にとっては変則的な恒例行事という気がしないでもないなと。ひょっとして、人間の物忘れと想起の周期と、観測地を日本に限らない場合を含めての日蝕の話題が起こる周期は、同じなのでは!?
たとえば伊東家の食卓で紹介されたような裏技が、1年後とは言わぬまでも数年後に別の番組で紹介されていたり、わが子の運動会を見守る山口百恵がワイドショーに登場する周期だったり、一昔前の大橋巨泉が本を出すタイミングだったり、なんというかそういう感じの周期と日蝕の話題が出るタイミングが似ている気がするのは私だけか?(笑)。

以上、戯言でした。

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