デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



今の日本に入ってきた「仏教」や、葬式の形がどのように変遷して今の形になったのか、つまり葬式やその後の供養の形がどのように出来上がったって行ったのか、知ろうとしないほうが蒙昧だと思っているような私にとってみれば、世間一般でいう「知らないと恥をかく葬儀の後の常識」ってやつが恐ろしく感じる。
49日や百ヶ日だけでもええかげんにせいと思うのに、寺の言うこと坊主の都合を第一にして事が運んでいくのは、どういうわけなのか首を傾げたくなる。納骨の儀や永代供養までも寺のいうとおりの予定に合わせ、まるでご丁寧に葬儀業者が残して行った葬式後のマニュアルに沿って自ら寺にへりくだって金を払いたくなるのが義務といわんばかりの「信仰」っていかがなものか。身内には酷な言い方になるが、身内も葬儀業者も含めて、仏教そのものについて勉強したり、葬儀や葬儀のあとの「供養」がいつごろこしられられたのかということまで、少しくらい疑ってほしいものだ。大体、法要をしようと言い出す寺(宗派)が行うさまざまな儀式の古くからの由来だって、実はここ数十年前からはじめられたばかりっていうものが少なくないなど、寺の「女将」の話をさっと聞いただけで変だなと思うんだが。そんな儀式について講釈たれている時間があったら、寺が出家してみろと不信心な私は思う。

読み始めた本。
セリーヌの『夜の果ての旅』、ドストエフスキー『罪と罰』。『罪と罰』は三度目になるが、たぶんセリーヌの方を先に読むだろう。

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