デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




大阪の国立国際美術館は金曜日は19:00まで開館してるので、行ってきた、「ウフィツィ美術館自画像コレクション」。

悪いことに出口を一歩出てから気づかねばよかったと思ったことが、展示の全体の印象になってしまった。
出口を出てすぐの売店にあった展の図録をさっと繰ってみたときだった。↑のマリー=エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの「自画像」が展の図録に入っているではないか!
見逃したのかと思って出口の傍にいた職員さんに尋ねたら返事はこうだった。

「東京での展示のみで、大阪には来ておりません。申し訳ございません」

思わず口をついて出た。

「この絵を一番見たかった」

ここに書くと長くなりすぎるので端折るが、10年近くこの絵に対してとても強い愛着をもっていた。作品は最近まで東京に来ていたし、なんとか行ってお金を払えば見れたのだ。千載一遇のチャンスだったのだ。
展を開催する側とウフィツィ美術館との間で交わされた内容による「事情」があるのだろうが、不公平だな、差別だろと思った。立派なスペースをあけてフィエーゾレやヴァザーリの回廊のでかい写真を展示室にかかげるぐらいなら、どうして東京では見れたはずの作品を展示しないのだ? 図録も残酷じゃないか、大阪では見れないものまで入ってるなんて。どうせなら大阪で展示されているもののみの図録を置いておいてくれよ。
言葉が過ぎるようだが、今回の悔しさは外国旅行で目当ての絵画が他の国に貸し出されていて、悔しい思いをするのとは異なる。それだったら、いつの日かまたお金と時間ができ、絵に対する熱意が残っていれば、二度目の正直で見れる可能性が残る。
しかし、ヴァザーリの回廊は個人旅行者ではほぼ入れないし、ツアーでも入ることをうたっているやつは限られたものしかないし、入って作品をじっくり見れる確証や時間などが完璧に保証されているわけではない。

出品リストの紙に、いくつか印象に残った作品名に印をつけ、簡単なメモをとったが、「ウフィツィ美術館自画像コレクション」で最も印象に残ったのは図録の載っていたヴィジェ=ルブランの妙に白っぽく写っている図版と、出口で私に作品のことを教えてくれた職員さんの本当にすまなそうな表情だった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )