デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ピラミデの近くにある通りの標柱

クインティーリ荘から帰ってから、次の日はもう博物館と寺院をゆっくり堪能しようとホテルの中で考えた。しかし、陽が傾いてホテルまで帰れないリスクを回避するための、やむをえないクインティーリ荘見学でもあったことが心に引っかかったままであった。幾冊か持って行ったガイドブックの中に載っていたカザル・ロトンドの親指程度の小さい写真とイラストを見てるうちに、行かねば後悔すると思い始めた。
疲れもあったが、明日早起きできたら、もう一度アッピア旧街道へ行こう、カザル・ロトンドまで行こうと思った。行くのなら、まだ見ていないピラミデの傍から出ているバスに乗り、クインティーリ荘を経由して行こうと思った。翌朝は6時に目が覚めた。





ピラミデとアウレリアヌス城壁が見える



ピラミデ

街道沿いに墓碑を建てること習慣を持っていたローマ人だが、なかにはピラミデのようにエジプトを真似た墓を建てる人もいた。
大理石で覆われた小型ピラミッドは、古代ローマの法務官でかつ裕福であったガイウス・ケスティウスが前12年に没した際、遺言によって造られた。


アウレリアヌス城壁






ピラミデの傍にあるバス118番の停留所(P.le Ostiense)。だいたい一時間に二本。

私の持っていった有名なガイドブックの地図では、バスの118番を乗っていればクインティーリ荘前まで行けるような表記になっていて、クインティーリ荘まで行けばカザル・ロトンド通りまで歩いてもそんなにかからないと思っていた。
しかしこの見通しは思わぬ形で崩れることとなった。地図にある118番の路線図が間違っていたのである。
実際の118番が通るルートは、 Via Appia Pignatelli から Via Annia Regilla へ左折して終点の Lagonegro まで行き、Lagonegro からはアッピア新街道(Via Appia Nuova)の方へ行き、再びアッピア・ピニャテッリ通り(Via Appia Pignatelli)に戻って行きとは逆のルートでピラミデ方面に戻る。
つまり、 Via Annia Regilla へ左折した時点でごちゃごちゃと見慣れない通りに迷い込み、それでも我慢強くバスに居座り続けたところで、バスはアッピア・ピニャテッリ通り(Via Appia Pignatelli)とアッピア新街道(Via Appia Nuova)との合流点の手前までしか行かず、そこで降りたとしても方角が逆になってしまうのである。「迷い方」の冥利に尽きてしまったことは極めて残念であった。

私は地図が誤っていると分からなかったから、アッピア・ピニャテッリ通り(Via Appia Pignatelli)を左折してしばらくのところの Annia Regilla / Persio バス停で降りて、道を引き返してからクインティーリ荘を目指したが、引き返した先に Via Erode Attico の標識が見えて愕然とした。まだまだぜんぜん手前じゃんか!
仕方がないので、アッピア・ピニャテッリ通り(Via Appia Pignatelli)と Via Erode Attico の交差点からアッピア新街道(Via Appia Nuova)のクインティーリ荘手前のバス停(Appia / Squillace)まで歩くことにした。


アッピア新街道に抜けたところ

2km以上は歩いたが、その間歩いている観光客は私だけであった。クインティーリ荘手前のバス停(Appia / Squillace)まで来たら偶然にも654番のバスが来たので乗車。カザル・ロトンド通りとの交差点らしきところまで外を見ながらという、根拠なき勘を頼りにした乗車であった。
http://www.atac.roma.it/でローマのバスルートを事前に調べて行けば、こんな手間をかけないでカザル・ロトンド通りまで行けたろうと思う人もいるかもだが、当時の私はそんな知識など持っていなかったし、ましてやイタリアに住んでるわけじゃないので土地勘を得ようにも無理であった。
とはいえ、カザル・ロトンドまでのバスでの行き方は、遺跡を見た後の帰りのルートでしっかり把握できた。それは結局は、昨日のクインティーリ荘から地下鉄駅まで帰ったルートと同じ664番で、行きも帰りも事足りるという事実であった。
そして私がチェチリア・メテッラ通りから南東へ下って行った時にすれ違った多くの観光客は、(バスを利用していたらの話しだが)もしかして地下鉄A線 Arco di Travertino 駅からバスの765番で、エローデ・アッティコ通りとアッピア旧街道のバス停(Erode Attico / Appia Antica)まで来て、そこから北上しているのではないかと思った。外国のガイドブックを見てみたわけではないが、ローマ中心街からアッピア旧街道の始まりに行くのでなく、ある程度アッピア旧街道の見どころまで行ってから、歩いてローマ中心街へ戻ってくるという逆の発想ならば、(一概には言えないものの)外国のガイドブックに載っていそうな気がしている。

つづく。

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