デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



同じような写真でも何度も撮ってしまう



どうして左右均等のシンメトリーを意識した写真が少ないのだろうかと今にして思ったりするのだが、現地の日差しは事のほか陰影がつきやすかったことを思い出す。カメラの露出は右に少しずれただけで、思いのほか変化してしまうのだ。これも次の課題といえば課題である。











カザル・ロトンド前の往時の石畳

路面を触っていると一台の車がやってきて、往時の石畳の上ではスピードを落としてガクンガクンと車体を縦に揺らしながら私の目の前を通り過ぎて行った。紀元前から存在している路面が悲鳴を上げないことに感動しつつも、地元の人には不便な路面状態なんだろうなぁと思った。















カザル・ロトンドには40分ほどいた。私以外には地元の人が1・2人通りがかっただけだった。午後になると、もう少しくらいは人が来るのかもしれない。

アッピア旧街道を訪れてみて、この街道が復元図のような姿をしていたと頭の中でイメージすることは、実際のところ難しかった。
しかし、今なお健在である往時の舗装や墓碑・記念碑に手を触れ、ローマ帝国の大動脈でありつづけた、これでもかといわんばかりに真っ直ぐに延々と続く街道が、軍団が敏速に移動できる機能、地方への政略として重要な機能をもつだけでなく、「人間が人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」という思想を地道にかつ合理的に具現化したものであることは分かった。また、画像で紹介したような現在の姿ではあるが、この先も今の街道を訪れた人々に、古代と現代が地続きであること、文明とは何かといった問いや、古代の人々のユーモラスな死生観について考えさせてくれる、貴重な場所であり続けることは間違いないだろう。
再びローマを訪れる日が来たなら、ぜひまた足を運びたいものだ。








アッピア旧街道を後にする

柄にもないが、やっぱりアッピア旧街道から得た全般の印象も兼ねて、私なりに街道の雰囲気にあこがれて酔おうとした、きっかけになった小説の箇所を、アッピア旧街道の「回想」を終えるにあたり、紹介しておきたい。

わたしは数多くの廃墟を再建したが、それは過去の相のもとに時間と共同作業を行ない、過去の精神を把捉あるいは修正し、もっと長い未来に向かってそれの乗り継いでゆくべき換え馬を出してやることである。また石のかげに源泉の秘密を発見することでもある。人生は短い。われわれは絶えず過ぎ去った幾世紀、来たるべき幾世紀について、まったくわれわれと無縁のものであるかのごとく語るが、わたしは石と戯れるうちにそれらの過去と未来とに触れたのであった。わたしが支柱で補強するこの壁は、消え失せた人の体のぬくもりをいまなおとどめているし、いまだ生まれ来ぬ人の手がこの列柱の柱身を愛撫するであろう。自分の死について、とりわけ他人の死について瞑想すればするほど、わたしはわれわれの生をこれらのほとんど不滅の継ぎ足しによって延長させようと試みた。
  M・ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』(多田智満子訳、ユルスナール・セレクション1、白水社)p140


帰りはカザル・ロトンド通りを引き返す形で、アッピア新街道へ向かった。


アッピア新街道。さながら「現代」に連れ戻らされた感じだった(笑)


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