デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




古代ローマの五賢帝の最後にマルクス・アウレリウス帝がいるが、皇帝マルクスの許で軍団長として敢闘した人物にクィンティリウス兄弟がいた。
クィンティリウス兄弟の兄のほうは、皇帝の娘のひとりと結婚していた。兄は次の皇帝になるコモドゥスと177年までともに執政官を務めていた。
そのクィンティリウス一門の別邸がクインティリ荘(クィンティリウスのヴィラ)である。















クインティーリ荘では、高架水道から水を引くのに、敷地内まで自費で高架橋を建設したという。豊富に水を使っていたらしい。






クィンティリウス兄弟の兄は非業の最期を遂げた。
マルクス・アウレリウス帝のあとに皇帝になったコモドゥスは、21歳の若さで命を狙われる。首謀者は姉のルチッラで、その動機は下劣なものであったが、陰謀の全容が明らかになると若き皇帝は猜疑心の虜となって暴君と化した。
コモドゥスは実際は無実であった元老院の有力議員たちにも疑いをかけ、その中にクィンティリウス兄弟も含まれた。兄の方は先帝の娘のひとりと結婚していたから、コモドゥスにとっては義兄であるし、コモドゥスとはともに執政官を務めたこともある間柄であったが、兄は捉えられ裁判にもかけられず殺された。弟の方はシリアに駐在していたので間一髪のところで逃亡に成功した。

このクィンティリウス兄弟が陰謀に加担していた可能性は実に希薄で、庶民までが、このヴィラを欲しいあまりにコモドゥスが罪をでっち上げた、と噂し合ったくらいだった。
 塩野七生『終わりの始まり(ローマ人の物語11)』(新潮社)p241



出土品の博物館もある



アスクレピオスの像


つづく。

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