デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ソルボンヌ大学(再掲です)

シリアで使用された化学兵器がフランスで造られた、または一部のヨーロッパの国々が化学兵器の素となる物資を(毒ガス製造に使用されることを知ってか知らずか)大量にシリアやイラクに売っていたというドキュメンタリーをNHK BSを見た。その番組の最後のほうでは、フランスで2011年2月以降バーレーンへ輸出が禁じられていた催涙弾が、2013年にバーレーンでデモ鎮圧のために使用されたものである証拠まで揃えられ、それを聞いたフランス国防省が調査すると表明する場面まであるのだが、番組を見終えて化学と兵器に関してそういえば弊サイトで二年近く前にソルボンヌ大学の画像を紹介したときに触れようと思っていたことがあったことを思い出した。
ずばりマリー・キュリー(キュリー夫人)がこの大学で本格的に科学の研究を始め修めたことに触れたかったのだ。今の小学校では分からないけれど、昔は小学校の図書室やクラスごとにある学級文庫の棚に並んでいる本の中に、必ずと言っていいほど小学生向けに「世界の偉人」を紹介したシリーズ物が置かれていた。
そのなかで、エジソンやファーブル、シートン、ヘレン・ケラー、ライト兄弟、リンカーン、ナポレオン、シュヴァイツァーなどに負けず劣らずキュリー夫人の存在は妙に印象深いものがあったが、小学生の頃には放射能という言葉の生みの親でありラジウムとポロニウムを発見したとか読んでも分からないのが常である。
しかし、今となっては東北を襲った震災でフクシマのことがフランスでも知られてそんなに経たないときにソルボンヌ大学の前を通ると複雑な思いに駆られたのだった。(あとで知ったがマリーはポーランドが今の国の形をもつ前のロシア帝国の影響下にあったワルシャワ生まれで教育や生活習慣もロシア式で育ち、フランスにやってきたのはワルシャワでの複雑な事情が絡んだ故だったそうだが、ともあれ)マリーはソルボンヌ大学で後に夫となるピエール・キュリーと出会い、フランスで放射能研究を続けていくことになること、その後原子力がどういった道を歩んでいるか、そして震災のことなどが頭をよぎったのだった。
昔から言われているとおり、科学(化学)には良い面と悪い面がある。キュリー夫人が生きた時代は科学(化学)による大量殺戮兵器がつくられるようになり、それを実戦で用いてしまった最初の時代である。化学肥料を大量生産する方法を確立し人類を食糧危機から救ったフリッツ・ハーバーは、第一次大戦で用いられた悪魔の兵器といわれた毒ガスを製造しつづけた人でもあった。ノーベル賞受賞後のキュリー夫人は第一次大戦の戦場に赴きX線を用いて兵士の怪我の患部を写しだし科学の医療への応用に道を拓いたりもしたが、夫人の研究は夫人が他界して10年も経たないうちに原子爆弾の製造へとつながっていくのである。

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