デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



スパイク・リー監督「ドゥ・ザ・ライト・シング」(1989)、ジョン・バダム監督「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977)、ペドロ・アルモドバル監督「オール・アバウト・マイ・マザー」(1999)をここ数週間で再鑑賞。

スパイク・リー監督の映画は悩ましいものが多いという印象を持っていたものの、「ドゥ・ザ・ライト・シング」はかなり以前に見たこともあっていまいちその悩ましさが分からないでいた。その頃の印象としては単に黒人たちが自分たちの怒りの捌け口をイタリア系ピザ店に向けてストレスを発散する違法行為への同情を訴えるような作品としてしか思っていなかった。
しかし、再鑑賞にあたってスパイク・リーが作品で描こうとした社会的背景や作品の舞台に目をやると、登場人物たちにNYのブルックリン地区のベッド=スタイ(BEDFORD-STUYVESANT)における戯画の役割が見事に当て嵌められていることが分かる。
あらすじについては触れないが、少なくとも以前と異なり、ベッド=スタイで25年間ピザ屋を営んできたイタリア系のサルの店に雇われている黒人の配達員ムーキー(リー監督自身が役に扮している)が、なぜゴミ箱を店に投げ入れて囃し立てる周囲の怒りを「煽った」のか、つまりサルとその息子たちへ直接にではなく、周囲の怒りの矛先を店に向けさせたのか、今ならば理解できるような気がするのだ。
「市長」のいう"Do the right thing(まっとうであれ)"は、それを体現している登場人物、その警句を受け容れて自省したほうがよい登場人物、その警句の大義名分は我にありと信じ込んでいる登場人物、各々にいえている。しかし映画公開から15年以上経っても、映画で描かれていた本音の独白を根本的に改めるどころか、まっとうであってもチャンスという幻影と欺瞞に満ちたNYのきびしく悩ましい現実は変わっていないのかもしれない。

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