デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



藤井省三訳、魯迅『酒楼にて/非攻』(光文社古典新訳文庫)には『故事新編』という作品集のなかから4作品が収録されている。
『故事新編』は中国の古来からの伝説を基にした「改作」なのだが、

 魯迅は芥川龍之介のいわゆる王朝物である「鼻」「羅生門」を訳しており、その際の訳者解説で「(芥川は)これらの材料に含まれる古人の生活から、自分の心もちにぴったり来るようなあるものを取り出そうとするため、古代の物語は彼の改作を経ると、新しい生命を注ぎ込まれて、現代人と関係を生ずる」と述べているため、『故事新編』への芥川の影響も指摘されている。
  『酒楼にて/非攻』(光文社古典新訳文庫)の解説より

こういった古典のエッセンスが蘇ったものを楽しめる内容になっている。エドガー・アラン・ポーにミステリー以外にもニヤリとしてしまうエッセイがあるように、魯迅にも嘆きと葛藤以外にもユーモラスな作品があるのだ。
『故事新編』のなかにある「奔月(月へ逃げるという意味)」という話しは、中国神話がもとになっていて、古代伝説上の美女嫦娥(じょうが)と弓の名人羿(げい)が出てくる。読者はきっと、魯迅にかかればこの話しで嫦娥が「奔月」する理由がけっこうお嬢様がお屋敷から逃げ出す定番みたいなものであることに思わず笑ってしまうようなおかしさに感心するのではないだろうか。また奔月した嫦娥を追うように月を仰ぎ見た羿(げい)が「決意」するセリフは、魯迅の身辺の事情からの心情が反映されたものであることを知ると俄然おもしろくなるのである。
魯迅の作品は当時の中国の現状に対する批判や革命の失敗による閉塞感を描いたものが多いが、『故事新編』はちょっと趣が変わるようだ。訳者の藤井氏いわく「ひと言で言えば、笑う魯迅文学なのである」みたいなので、所収されているあとの3作品もいずれ読みたく思う。

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