デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



大陵苑の後門(裏門)

大陵苑(テヌンウォン)には太宗路に面した後門から入場した。正面入口は南にあるようだ。
入場料は3,000ウォンだったが、CCが使えなかったので現金で支払った。ここにあった券売機のタイプ、雁鴨池のタイプと同じじゃないか?と思った。私のカードでは使えないパターンの一つが分かったかもしれない。
カード払いはできなかったが、翌日に帰国なので現金のウォンはなるべく使い切るようにしたかったし、丁度良かったのかも。

花壇のリュウノヒゲが
ハートの形に(笑)


皇南大塚(ファンナムデチョン)

上の皇南大塚は大陵苑にある古墳群の中でも一番規模の大きなもの(東西120m、南北80m、高さ23m)で、連なった2つの古墳(北墳と南墳)からなる瓢箪型の古墳だ。
1973年に行なわれた発掘調査では副葬品として北墳からは金冠、金製首飾り、腕輪などが、南墳からは武器や馬具類が比較的多く発見された。北墳から出土した金製装身具の数は、現在まで調査された新羅古墳の中で一番多い。装身具のほかにも西域から伝わったものと見られるガラスの杯も発見されている。さらに北墳からは「夫人帯」と銘のある銀製の帯具が発見された。このことから埋葬されたのが女性であること、この古墳が新羅最大の夫婦古墳であることが明らかになった。夫が先に亡くなり、南墳に埋葬され、後年、夫人を埋葬する北墳が南墳のすぐ横に造成されたのである。北墳の副葬品が豪華なことなどから、夫人のほうが夫よりも身分が高かったのではないかとの推測もされている。
出土品についてはこちらを予め見ていたものの、現地では博物館で見た出土品と皇南大塚とが頭の中で一致していなかった。ただ、一際デカいな、という印象はいだいた。





苑内図

大陵苑は街のほぼ中心にあるのだが、ここには新羅時代の古墳が大小23基も集まっている。
皇南大塚の他にも、きらびやかな金冠をはじめ1万点以上の副葬品が出土した天馬塚(チョンマチョン)、新羅第13代の王・味鄒王(ミチュワン)(在位262~284)の陵墓と伝えられる味鄒王陵(ミチュワンヌン)が特に有名とのことだ。



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