デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



境内に入ったという感じがする






明智光秀の句ではなかった。











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黒門



明治の神仏分離令の名残でもあるのか…

この説明文は興味深かった。

黒門(くろもん)
 京口惣門(きょうぐちそうもん)とも呼ばれた、白雲(はくうん)寺の京都側の惣門。ここから寺の境内に入る。中には福寿院、威徳院、長床坊、大善院、教学院、宝蔵院という六つの宿坊が建ち並んでいた。
 愛宕山は、江戸時代を通じて神宮寺の白雲寺(右記六坊)が実権を握る、神仏習合の山であった。しかし、慶応四年(一八六八年)の神仏分離令によって白雲寺は破却。同門は、境内各所に残る白雲時の名残の一つである。ちなみに京口に対して丹波口の門もあったが、今は廃材が残るのみである。
             京都愛宕研究会

日本の宗教を考える上で神仏分離令というのは重要なキーワードだと思うのだが、神仏分離令を利用し富国強兵のため山の木々が売られて山が再生不可能なったところもあるのを思うと、愛宕山はまだ無事で済んだほうといえるのだろうか。






書き忘れていたが今の愛宕山には参道の始まりから神社の手前までの距離を、登山者に分かりやすく標示してくれている。参道の始まりから神社まで4.2kmとあったから、1/40で1町登ったことになるのかもしれない。
黒門を入ったところで中年の男性と女性二人が降りてきた。この標示が当初目に入ってなかった私は「もうすぐですか?」と訊ねたが、中年女性の一人が「まだまだよ」と言って私をからかった。私から離れて行きざま三人の会話が聞こえてきた。
「ああ言っておいたら、ぬか喜びしなくていいやろ」
「そうやな(笑)」
なんだかなぁ。信仰の対象のある山に登ってきてまで、すれ違う人に嘘をついてどうするんだろう? それこそ神様に対して罰当たりというものじゃないか(失笑)、と思った。

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B・チャトウィン(芹沢真理子訳)『パタゴニア』(河出書房新社)を読了。
旅をする人の中には前人未到、誰もやったことのない、要するに世界で初めてのことに挑戦する人もいれば、先人が足を踏み入れ誰かがその場所について既に書いていることを掘り下げることに重点を置く人もいる。
チャトウィンのパタゴニアへの旅のスタイルは後者だが、その旅の困難さには正直舌を巻く。本にある池澤夏樹氏の解説にもあるとおり、チャトウィンという人は話し上手で本編にも脚色や事実の1.5割増しのところもあるのかもしれないけれども、紀行文学ならばこういった作品を残したいと思わせるものが『パタゴニア』にはあると思う。
作品の中に流れている、というか河出書房新社の「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」に通底している編集の姿勢および方針の一つかなぁと思わせるものに、19世紀の古典文学に対するカウンター作品というか、19世紀の時点では無自覚であった負の遺産が20世紀に引き継がれ、その負の遺産が20世紀にどういった現実や影をもたらしているのかを描き出している作品を選ぶ、といったものがある。顕著なのはジーン・リースの『サルガッソーの広い海』、フエンテスの『老いぼれグリンゴ』などだが、『パタゴニア』も「原住民」と北米やヨーロッパ、ロシアからさまざまな理由(冒険、入植、亡命、逃亡、その他)で流れて来、関わり合って顕れてくる現実、その現実をもたらした歴史的背景を描き出している点では秀逸である。私個人はチャトウィンのおじにあたる人物がもたらしたパタゴニアへのあこがれだけでなく、そのあこがれを実現するまでの旅の軌跡にこそ作品の魅力が詰まっているように思う。私もこのような旅行記にあこがれはする。

作品を読んでいて、またも個人的な過去の体験を思い出した。学校に通っていた頃、ブロンテ姉妹の『嵐が丘』や『ジェイン・エア』、映画「ピアノ・レッスン」が好きで、『嵐が丘』にあっては小説の舞台にも行って感動したという英語の先生(こちらでもふれた)がいたが、その人はよく「本国から出て行って入植したイギリス人は二流のイギリス人なのよ」と確信をもつように言っていた。「では一流の人は「二流」の人にどのような教育をほどこしたのだろうか? 一流と二流を判別せしめているものは具体的には何なのか?」「植民地から送られてくる物資で本国の一流のイギリス人はご飯を食べていられるが、それが無くなったら一流の人たちはどうするのか? それを無くならせないようにイギリスは何をしているのか?」など、当時の若造(私)の疑問に、その先生はあたかもそんな疑問をもつ者の品性を疑う、つまりは私への個人攻撃で質問をかわしたものだ。今となっては人間は多かれ少なかれ矛盾しているものだし、すべての人間が現実を見ているわけでなく、多くの人間は自分の見たい現実しか見ない、大体教員だからと言って物事に対し公正な見方のできる目の持ち主であるとは限らない、つまり素晴らしき人格者であるとは限らないことは分かるのだが、ただ私のもっていた「偏屈な」質問の答えのひとつとしては、それこそ「ピアノ・レッスン」を多角的に見たり、『パタゴニア』の内容を吟味するのも手段としてあるように思う。
痛い過去への個人攻撃のようにとられても仕方ないが、受けた教育でも読書体験でも旅行体験でもある程度内省の遍歴を経ないと自分の中で整理のつかないようなこと、それをなお自分で表現し相対化してやっと初めて自覚の芽生えというか少しだけ賢くなれる気がするのである。

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だんだん涼しくなってきているのが分かった




この辺りだったろうか。水尾の別れ休憩所というのがあり、そこで私と同時に休憩に入った年配の男性と少し談笑した。
その男性も私と同様愛宕山は初めてだったそうだが、愛宕山で楽しみにしていることの一つとして明智光秀が詠んだ歌の碑かなにかあれば探したい、とのことだった。
それをきっかけに「本能寺の変」についてお互いの意見を交換し合ったのだが、それがなかなかおもしろかった。私としては自分のこれまでもっていた前提が覆るようなことも教えていただいたので、15分の休憩時間が短く感じられた。





お、神社近し?


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愛宕神社参道のはじまり

愛宕山は日本全国の愛宕神社の総本社がある。ここからが参道となるようだが、参道は清滝から以外にも亀岡から始まる参道もあるという。















あちこちに社(やしろ)や地蔵があった。

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停車中に。あの遠くに見えてる山か?

先月のことだが、せっかく比叡山に登ったのなら、その反対側にある愛宕山にも登ってみたくなり、行ってきた。普段登ってる山を別方角から見るという体験もしてみたかった。


清滝隘道

清滝のトンネルはいかにも昔につくられたものという感じがした。このトンネルはいわば単線なので信号はなかなか変わらない。トンネルを歩く人もいるので、トンネル内の走行はより注意が必要だった。


平日500円、土日祝1000円の駐車場に車を止めて登り口へ。



駐車場の方を振り返る



愛宕神社まで4.2km

この4.2kmという数字は登山慣れしてない私には思いのほか長く感じることになるのであった。

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B・チャトウィン(芹沢真理子訳)『パタゴニア』(河出書房新社)を読んでいる。あと分量の1/3で読了というところまできた。
『パタゴニア』は紀行文学なのだが、タイトルの響きに妙に惹かれた昨年はじめて手にしたものの、いつも数十ページまで読んだところで止まってしまってたのである。
だが今回はきっと読めるだろう。それは今になって『パタゴニア』の魅力が分かり始めてきたといえるかもしれないが、私の中では以前読んだディネセンの『アフリカの日々』の内容を別視点から描いたような魅力があるように思う。つまり、ディネセンのことを放浪者側から描いたようなもの、だ。
『パタゴニア』の語り手(旅人)はいろんなものを目にし、さまざまな人物と出会うのだが、パタゴニアと北米やヨーロッパやロシアとのあまり語られない歴史の側面、暗くて時に惨劇が背景にあることだが、どこか自由奔放な者がパタゴニアにまとまった期間滞在し、現代のアウトロー伝説の舞台になっていることの描写に引き込まれる。読了できればまた作品について書きたい。

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赤山禅院横の登り口にて

比叡山には二週間に一回以上は登るようになったが、先日、赤山禅院の傍にある梅谷登り口に、明らかに人様による心遣いを感じることのできる、登山する者にとって助かる杖が立てかけられてあった。
上は杖をありがたく使用させていただき、下山して同じところに返した時点での画像である。延暦寺があるから神聖でありがたい山なのではなくて、こういう功徳こそが山を訪れる人の心を打つのだと思う。
この杖を使ってから、山でビニール袋や空き缶が落ちていたら最低一つ以上は拾って下山するようにした。

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映画『グリーン・カード』(1991)を見た。
アンディ・マクダウェルとジェラール・ドパルデュー共演の名作とのことだったが、私は初見であった。
個人的にマンハッタンの風景がとても懐かしく感じた。ニューヨークの街が舞台の映画はいくつか見たことがあるが、『グリーン・カード』も街の雰囲気が出ていていいなぁと思った。
映画の内容はおもしろく、互いに情がうつっていく過程がよくできている。作品の全体に流れるエンヤの曲の用い方もうまく、久々に映画を見たことでCDを入手したほどであった。

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千種忠顕(ちぐさただあき)の石碑

比叡山の頂上まで行けない日は携帯電話のタイマーで下山開始時間を設定するのだが、ある日、どうせ頂上に行けない時間なら、まだ行ってない千種忠顕の石碑に行ってみようと思った。
石碑はケーブルカーの駅まで15分もかからない辺りにある。石碑には千種忠顕が後醍醐天皇に仕え、この地まで天皇を擁護し戦死したことが記されていた。こちらのサイトに分かりやすい概要がある。


水飲対陣碑

以前紹介した画像だが、千種忠顕の石碑のことを知ると、水飲対陣碑がなぜ置かれているのか、その意味が分かった。
比叡山は平安時代から安土桃山時代にかけて、歴史的事件がたくさん起こった山である。今となっては採り上げられることの少ない戦いだとは思うが、これらの碑は動乱の時代があったことを静かに語り続けている。

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