デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



平山郁夫 悠久のシルクロード展に行ってきた。

全体を通して、平山氏の活動が今となっては貴重なものであり、そのことを深く感じさせてくれるとても印象に残るいい展示であった。
作品については仏伝や経典にあることを自由に解釈したんだろうなぁと思うものが多かったが、バーミアンの大石仏を偲ぶ絵が一番ぐっと来た。
そして、個人的には3階であったガンダーラ美術と東西文化の融合と、コインに見るシルクロードの歴史の展示が一番印象に残った。
義務教育の期間中、近畿圏ならば遠足、そのほかの地域でも修学旅行等で奈良の法隆寺を訪れたことのある人は少なくないだろう。それにともない奈良に現存する7・8世紀の建築物について中学校の歴史の教科書でギリシャ風の柱とかヘレニズム文化とかオリエントとか、一応習うことは習うだろう。
ただ私の場合はいかんせんテストのための知識の詰め込みのために、教科書に出てくる語句を覚え、「資料」として図鑑で見せられるギリシャにある建築物と法隆寺の柱との対比の説明を聞いて終わり、でそれ以上深く考えなかった。
また仏像がガンダーラ地方で生まれ、中国を経由して6世紀に日本に伝えられたと習いはすれど、"やはり日本の仏像は日本で当たり前のように見られるゆえ、日本独自の日本らしい因習を感じさせるもの"という意識がはたらくのであった。
だが、今回の展示の「ガンダーラ美術と東西文化の融合」のセクションの展示品を見、説明を読んで、

・「ケートスとトリトーン」の像がなぜガンダーラで出土するのか。
・ガンダーラの仏伝浮彫「四天王奉鉢」の毘沙門天(多聞天)の頭部の鳥翼の源流がギリシャ神のヘルメスであるのはなぜか。
・ハッダ周辺へ出土した「執金剛神頭部」で金剛杵を持ちシャカにつれそったヴァジュラパーニがなぜヘラクレスの姿をとることが多いのか。

などの問いが、シルクロードを介し東西交流でもたらされた美術形式によるもの、それが日本の仏像の形に与えた影響の説明になっていることを強く意識したのである。(たとえば、トリトーンとはトリトーネ、ローマのバルベリーニ広場にある噴水や真実の口の海神がトリトーネ。うそつきは噛まれるという伝説がある。それの像がローマから遠く離れたガンダーラで見つかるなど。)
いささか極端な例(私なりの大雑把な例え)だが、以下の立像


トーガ姿のアウグストゥス像(ルーヴル美術館)

の頭部が日本の古い仏像のブッダであっても、そこまで違和感覚えないだろう?と思ったのである。(アウグストゥスはローマ帝国の初代皇帝である。)

歴史の教科書の記述を照らし合わせて考察し、このようなことを思いつく人はおそらく少なくないだろう。だが私には既に知られている事実がまったく新しいものとして感じられてくる体験であったのだ。そして思った。
ときどき西洋人がヨーロッパを訪れる日本人旅行者に対し「日本にはすばらしい仏教美術があるのに、なぜ喜び勇んで外国まで西洋美術を見に来たがるのか? そんなに西洋美術に劣等コンプレックスを抱いているのか?」などのイヤミを臭わすようなことを言われることに対して答えに窮する紀行文を読み、なんとなく腹立たしい気持ちになったものだが、ある面においてはイヤミとして成立しないのではないか。つまり、奈良時代の仏像に親しむ日本人にとって、その美術形式は古代ギリシャやローマ美術に源流をもつのだから、西洋美術の表情や構図や部分的な箇所に、どこか懐かしく感じるところがあってもおかしくないし、大体、ルネサンス美術だって多くの巨匠が古代ローマの遺跡から掘り起こした像をデッサンし模倣から修練に励んで傑作を生み出したのだから、パロディであることを決して逃れることはできない。すべての道はローマに通ず、だ(笑)。
いささか乱暴な書き方になったとは思うが、展の会場でこのようなことを考えた。そしてローマ多神教も仏教もヒンドゥー教も、「異教の神々」を取り入れながら発展していったわけだから、いろいろ混ざっていてなお興味深く鑑賞できるなら、それに越したことは無いと思った。

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