デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 






















台風の前は上空で居座っていた大気がかき乱れることによって澄み、いつもより遠くを見渡せることができたりする。

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随分、このような空を見ていなかったが、昨年の台風の時にも同じような空模様が見れたのではないかという気がする。暑いが風の強い日であった。

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ター・チャーンの船着場にて

ター・チャーンの船着場でもいろいろな食材が並んでいて興味を覚えたのだが、船がやってきたので乗船。
船で乗り合わせたおじさんに「ワット・ラカン・ヤーク・パイ(私はワット・ラカンへ行きます)」と伝え、おじさんが「行くよ」とうなずきながら返事してくれたことから安心した直後、船が北上するのであった(笑)。これはおかしいな、と気づいたとき、おじさんが周りの人に訊ねてから私に「トーッ・ティー(ごめんなさい)」と言ってくれるではないか。即座に私は「マイ・ペンライ(気にしないでください)」と返事した。このくらいの間違いは旅では普通に起こりうることだし、出国前にタイを旅行するには「大らかな気持をもち、マイ・ペンライ精神を持つことが大事」といったことを読んでいたので、それをさっそく味わえたような気持ちになった。
風が気持ちよかった。


中高生が多い時間帯だった。



バンコクでも携帯で話す生徒が珍しくない

船は対岸のワンランに着岸した。ワンランからワット・ラカンまでの道のりがまた楽しいものになったのだった。

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たまたまだったのだが、登った時間帯に消防の方々と遭遇した。8月16日の送り火の消火用貯水タンクへきちんと雨水が供給されるように水路の清掃を行うためという。


溝はスコップでもって手作業で清掃を行うのだ






マンホールで用いられているような蓋も
専用の工具を使って開けてから長い柄杓や
焚き火用の火バサミなどを使って清掃する。

一年に一度、送り火の約二ヶ月前に清掃するとのことだが、一年の間に泥が堆積するだけでなく溝によっては鹿のフンで埋まっていることもある。作業が一段楽したときにお話をうかがうと、「送り火の日に注目はされないけどワシらが注目されない清掃をしないと送り火はできない(笑)。下準備というところですわ」とのことだったが、私はこの作業こそ消火に責任を持つ方々の縁の下の力持ち的なものだと敬服した。
またこの日登ってこられた職員さんの中には昨年の落雷の直後、現場検証をおこなうために登ったという方もおられた。災害の現場に訪れたり人命救助に向かったりと、山でもいろいろなことに気にかけるという点で、消防の方もある意味山を知り尽くしているのだな、と改めて思った。

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ソルボンヌ大学(再掲です)

シリアで使用された化学兵器がフランスで造られた、または一部のヨーロッパの国々が化学兵器の素となる物資を(毒ガス製造に使用されることを知ってか知らずか)大量にシリアやイラクに売っていたというドキュメンタリーをNHK BSを見た。その番組の最後のほうでは、フランスで2011年2月以降バーレーンへ輸出が禁じられていた催涙弾が、2013年にバーレーンでデモ鎮圧のために使用されたものである証拠まで揃えられ、それを聞いたフランス国防省が調査すると表明する場面まであるのだが、番組を見終えて化学と兵器に関してそういえば弊サイトで二年近く前にソルボンヌ大学の画像を紹介したときに触れようと思っていたことがあったことを思い出した。
ずばりマリー・キュリー(キュリー夫人)がこの大学で本格的に科学の研究を始め修めたことに触れたかったのだ。今の小学校では分からないけれど、昔は小学校の図書室やクラスごとにある学級文庫の棚に並んでいる本の中に、必ずと言っていいほど小学生向けに「世界の偉人」を紹介したシリーズ物が置かれていた。
そのなかで、エジソンやファーブル、シートン、ヘレン・ケラー、ライト兄弟、リンカーン、ナポレオン、シュヴァイツァーなどに負けず劣らずキュリー夫人の存在は妙に印象深いものがあったが、小学生の頃には放射能という言葉の生みの親でありラジウムとポロニウムを発見したとか読んでも分からないのが常である。
しかし、今となっては東北を襲った震災でフクシマのことがフランスでも知られてそんなに経たないときにソルボンヌ大学の前を通ると複雑な思いに駆られたのだった。(あとで知ったがマリーはポーランドが今の国の形をもつ前のロシア帝国の影響下にあったワルシャワ生まれで教育や生活習慣もロシア式で育ち、フランスにやってきたのはワルシャワでの複雑な事情が絡んだ故だったそうだが、ともあれ)マリーはソルボンヌ大学で後に夫となるピエール・キュリーと出会い、フランスで放射能研究を続けていくことになること、その後原子力がどういった道を歩んでいるか、そして震災のことなどが頭をよぎったのだった。
昔から言われているとおり、科学(化学)には良い面と悪い面がある。キュリー夫人が生きた時代は科学(化学)による大量殺戮兵器がつくられるようになり、それを実戦で用いてしまった最初の時代である。化学肥料を大量生産する方法を確立し人類を食糧危機から救ったフリッツ・ハーバーは、第一次大戦で用いられた悪魔の兵器といわれた毒ガスを製造しつづけた人でもあった。ノーベル賞受賞後のキュリー夫人は第一次大戦の戦場に赴きX線を用いて兵士の怪我の患部を写しだし科学の医療への応用に道を拓いたりもしたが、夫人の研究は夫人が他界して10年も経たないうちに原子爆弾の製造へとつながっていくのである。

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夏至は過ぎたがそれでも太陽は愛宕山よりも北で沈む。















この時間帯の少し前、カナダ人の青年が登ってきた。日本に一ヶ月いる予定だということだが、私は前々回の反省?を生かすつもりで、メジャーリーグのトロント・ブルージェイズやNBAのトロント・ラプターズの話題を真っ先に出した。個人的にも今年躍進したトロント・ラプターズはけっこう好きなチームであるし、チームの中心選手の一人デマー・デローサンには来シーズン更なる活躍が見込まれるので楽しみなのだ。
しかし、青年は野球やバスケのことよりもカナダで習い始めた合気道と体術のルーツを求めて来日していて、そのために日本語も少し勉強してきたのだという。カナダ以外にも東洋の柔道や空手の体術および太極拳の修行を積めるところがあり、イギリスや他のヨーロッパの国の体術の道場に顔を出してそれからの来日だとか。ちなみに武道を始める前はしっかりと西洋の球技も身につけていたという。
体術と一言で言ってもさまざまなものがあるらしく、詳しくないゆえまだ整理がつかないという青年だったが、礼儀や型や演武の概念は基本中の基本という彼の説明に、私の方が襟を正しつつも前のめりになって聞いてしまうのだった。まるで空手家のニコラス・ペタスの話に聞き入ってしまうみたいに(笑)。
ここしばらく、日本語を勉強しに来ている留学生だけでなく、日本的・東洋的なものを身につけていたり身に着けようとする人との出会いが続いた。彼らの学ぶ姿勢を目の当たりにすると自分の旅行話の内容等がちっぽけなものに思えてしまうことも多いが、いい刺激になることは間違いないのでまたぜひともこういった機会を大事にしたいものだ。

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この日は夕方から雨になるという予報だったけれど、降る気配どころか晴れてきた。












この日最大の驚きは中国人の男性と女性との出会いであった。簡単な挨拶や「昨年京劇を見に行った」、などの中国語ならば私もへんてこ発音ながら何とか言える。しかしこの日出会った中国人の男女は既に日本での留学を終えて日本の会社に就職している人だった。関西弁も当たり前のように話すし私の伝えたい中国語もすぐに察してくれるし、私としては驚くばかりであった。
男性も女性も北京郊外の出身だったので、私は北京にある観光地や中国の作家についていろいろと語りだしたのだが、外国人が京都について詳しく京都在住の日本人が京都のことを知らないのと同じように、彼・彼女も老舎や魯迅や最近では余華の作品、京劇の偉大な役者や演目、古観象台や円明園、雰囲気のある胡同について「学校で少し習う程度で、行ったり見たりしたことはないものの聞いたことがある」ぐらいだと素直に答えてくれたので、地元の者が地元を知らんのはこう言っちゃなんだが当たり前だなぁとユーモアを介した笑いで和んだのだった。かくいう私も『源氏物語』を最初の部分しか読んだことないし漱石も太宰もよく知らないし茶道や武道も嗜まないし、南座へ伝統芸能を見に行ったことも無いのだし。





この次の日にもまた新たな出会いがあった。


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6月末になって雨風が多くなってからようやく空気が澄みだした。例年であれば5月半ばにはスカッと遠くまで見渡せる日がちらほらあるのに今年は黄砂が長引いたような霞がかった日がほとんどだったように思う。





大阪のビル群までしっかり見える。


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