5月11日(日)、午前中、板野郡松茂町広島の不動院に採拓に行きました。
2週間後に、四国大学書道文化学会で、発表をしますが、そのための資料収集です。2日前に、お寺の方にはご挨拶を済ませ、許可を頂いております。
これは、三木順治(号は雲城)の書によるもので、また、題額が勝海舟の書です。
長いこと拓本が採られていなかったようで、苔がびっしり生えて、苔落としだけで30分以上かかりました。西南戦争戦没者の慰霊碑で明治16年に書かれたものです。この時、順治48歳、非常に美しい筆致です。三木順治は書家としてかなりの腕の持ち主だったことがわかります。
次に、この墓地のあった日下家の墓碑の採拓を行ないました。
墓銘は徳島出身で、鳴鶴門下である桑山兼山(1854~1922)が書いています。兼山は徳島師範学校で書を教えていましたが、のちに大阪に出て、天王寺師範学校で教え、退職後は大阪で書家として活躍しました。門下に辻本史邑がいます。
天気がよく、きれいに仕上がりました。
実は、明日は、オープンカレッジの特別授業で、眉山の北側である大滝山で拓本講習会を行ないます。
拓本の仕事が続きます。
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