ぱたぱた仙鳩ブログ

徳島から書道文化を発信します。

故郷の友人たち

2012年09月05日 | インポート

9月3日(月)に、長野から、途中、名古屋の叔父夫婦に会って、夜遅くに徳島に帰り着きました。途中大阪高槻の高速道路上でトラック同士の衝突事故があり、2時間ほど渋滞。帰宅予定は20時でしたが、実際は22時になりました。

今回は、自家用車で行ったこともあり、多くの友人・知人と会いました。5年ぶりに訪問した上田市では、20代前半に交流していた仲間が5人、わざわざ集まってくれて、みんなで昼食をとりました。「上田哲学研究会」の仲間の男女です。それぞれ、違う人生を歩み、子育ての真っ最中で多忙な日々を送っている人や、相変わらず自分のペースで新たなことにどんどん挑戦し、知人のCDの作詞を手がけた人、またお嬢さんが東京外国語大学で韓国語を専攻している話なども聞きました。この頃は中学校の教員で、日々ハードな仕事に向き合いながら、仲間と哲学を学ぶことを心の支えにしていたように思います。この時に、講読の主体としていたのが、以前ブログで紹介した内山節さんの著作でした。『哲学の冒険』・『自然と労働』などを講読会で使いました。楽しい時間があっという間に過ぎました。上田では、日中友好協会で活躍していた大工さんにも会いました。病気入院したということで心配してお見舞いに行ったのですが、すっかり元気で営業活動をされていて、逆に元気をもらいました。66歳の今でも、一日に自家用車で150kmは移動して営業に飛び回っているということです。この方は昔から文化活動には熱心なのですが、それを上手に仕事に生かしておられます。

また、長野市では、学生時代にアルバイトでお世話になった家具店の当時の常務さんに会いました。学生時代にはあらゆるアルバイトをしましたが、その中で多くの方と知り合いになりました。現在は、すでに80歳近く、引退されてご自宅でご夫婦2人暮らしです。とても気が合うので、30年後の現在でも、年に一度は訪問しています。いまだに学ぶことが多いのです。若いころから書道を勉強されていて、今回お聞きしたのは、「家具の営業で、書道を学んでいることがとても役立った。客の家を訪問して、まず玄関先の書を褒めて、中身を的確に鑑賞することで、すぐにお客の信頼を得ることができ、それ以来商談がうまくいった。書道は趣味ではあったが、商売にもたいへんプラスになった。」という話です。家具は単価が高く、一生使うものですから、それを購入する場合には、店舗や販売員に対する「信頼感」が重要になります。お客の家が大切にしている書作品を的確に鑑賞できる知識と能力を持っていることが、販売員を知的に見せ、信頼感を増すことにつながるのです。

これは、江戸時代中期以降の徳島県の藍商が、営業のために文化活動を熱心に行なったことと同じです。

現在、四国大学書道文化学科の卒業生の半数が営業・販売の業界に進出し、その世界で実績を挙げている方が多いというのも、これが大きな原因で、やはり、物や仕事を売る時というのは、それと同時に人や文化を売ることなのだと思います。

最後に寄った大町市では、元の勤務先である大町北高校を訪ねました。昔の同僚の先生が現在は校長として赴任されていて、30分ほどお話することができました。この学校でも、7年間、必死で仕事をして、その頃に開発した教材は今の授業や公開講座にも使っています。ここを離れて5年半になりますが、学校の雰囲気は相変わらずで、一瞬、タイムスリップしたような錯覚に陥りました。何人かの同僚と話をしましたが、やはりそれぞれの教科で頑張っておられました。

総じて、今回の帰省は自分の原点を再確認する旅になりました。自分には素敵な友人がたくさんいることが改めてわかりました。気持ちがリフレッシュしたので、また新たな気持ちで徳島での仕事を頑張ろうと思います。


中村不折の画

2012年09月04日 | アート・文化

Husetsu19月1日(土)、青木廣安先生のお宅、「かいこの家」にうかがいました。いつも異なる書画が展示されていますが、この日は中村不折の画軸が展示されていました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E4%B8%8D%E6%8A%98

高遠の生んだ大芸術家で、画家・書家・イラストレーター・学者など、さまざまな才能を持った人でした。

商標や看板もたくさん書き、新宿中村屋、諏訪の酒 真澄の看板や商標はその代表格です。

子規門下の俳人で、自由律俳句の名手である河東碧梧桐とともに興した龍眠会の活動はたいへんユニークでした。

この画軸は須坂市の東方の高山村にある名所、雷滝の絵です。雷滝は裏側に通路があって、滝の裏側から眺めることができ、「裏見の滝」とも呼ばれます。私も20代ごろ、冬に凍った雷滝を見に行ったことがあります。青く凍結し、幻想的な雰囲気だったのを思い出します。

http://www.sugadaira.org/syuhen/takayama/kaminari/kaminari.htm

この絵にも、ちゃあんと滝の裏から見学している人の姿が小さく描かれていました。芸が細かく、「いい仕事」をしています。全体の構図や色使いも上品で、さすが、不折です。

青木先生、奥様、お嬢様と楽しくおしゃべりして帰りました。帰省の楽しさは、家族だけでなく、昔の友人や知人にも会えること、そしてまた新たな故郷を発見することです。やはりこのような時間を持つことは大切です。自分の原点を再確認できるからです。


田中本家博物館の書と画

2012年09月04日 | インポート

Tanakahonnke1
8月31日(金)~9月3日(月)、実家のある長野県に帰省しました。私の出身は長野県須坂市です。今回はここしか休みが取れずに自家用車で往復しました。高速道路を利用して、行くのにほぼ8時間かかります。帰省は年に1~2回ほどしていますが、自家用車で行ったときだけいろいろな方を訪問することにしています。電車で行くときはなかなかいろいろ訪問することは難しいです。

9月1日(土)には、須坂市・長野市の知人を何か所か訪問しました。写真は、須坂市を代表する観光施設である「豪商の家 田中本家博物館」です。住所は須坂市穀町476です。下記のサイトをご覧ください。

http://www.tanakahonke.org/

江戸時代中期、享保18年に田中家初代の新八が穀物・菜種油・タバコ・綿・酒造業などの商売をはじめ、代々須坂藩のご用達を務め、名字帯刀を許される大地主に成長、幕末には須坂藩を超える北信濃屈指の豪商となりました。

現在の館長さんの先代、田中太郎さんは、数十年前に須坂市の市長も務められました。その後に、屋敷を博物館にして公開を始め、長野県でも有名な観光スポットとなりました。豪商だけに、屋敷も庭も、書画骨董も一流のものばかりです。

9月10日(月)まで、所蔵の書画を展示する企画展を実施中です。3か月ほどまえに、小学校時代の恩師の青木廣安先生の仲介で、私にこれらの書画の解読依頼がきましたので、展示物の一部の解説をさせていただきました。すでに解説資料は2か月前にメールでお送りし、この日は、初めて展示内容を見に行きました。

館長の田中宏和さん、学芸課長の田中和仁さんと初めてお会いし、親しくお話しし、ご案内もいただきました。

私が今回解読した書作品は、藤原惺窩・藤田東湖・佐久間象山・伊藤博文などです。いずれも美しい書で、漢詩も味わい深いものでした。

近世の書作品は贋物も多いのですが、豪商は普段から良い作品を見る機会があって目利きですから、私が読ませていただいた作品は品格も高く、見ごたえがあるものです。時代の背景を考えながら鑑賞していただくと、面白いと思います。

なお、同時に展示されている画の方も珍品が多く、特に長崎にいた来舶清人の画2点はほかの博物館でもなかなか見ることができないと思います。下記の費漢源・張秋穀の画です。清国ではそれほど有名でなく生没年もはっきりしませんが、鎖国時代の日本の芸術家に与えた影響は大きいのです。

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 享保5年(1720年)に伊孚九が来舶し、長崎に南宗画を伝えた。池大雅・桑山玉洲などの多くの画家が私淑した。続いて来日した費漢源(享保19年・1734年)・張秋穀(天明6年・1786年)・江稼圃(文化元年・1804年)と合わせて来舶四大家と呼ばれる。このほかにも宋紫岩・徐雨亭・陳逸舟など多くの清人が長崎に南宗画を伝えている。別系統で日本に伝わっていた南画と渾然一体となり全国に広まっていった。長崎の南宗画派からは幕末に鉄翁祖門・木下逸雲などの優れた文人画家を輩出した。

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お近くの方はぜひご覧ください。