このあいだは、民間の体操教室に行ってみたが、今日は区でやっている体操教室に参加してみた。そうしたら、なかなかよかった。
やはり値段が安いのが一番の魅力だ。入会金もないし、民間の3分の1くらいの値段で済む。インストラクターは20~30代前半の若い人だった。
このあいだの先生はかなりの老齢だった。それでも、ぜんぜん年を感じさせない肉体で、すばらしいわけだが、年寄りっぽい親切さは長所でもあり短所でもある。
若いインストラクターは、他の参加者がどうだとか、自分の経歴がどうだとか、そういうことはいちいち言わない。純粋に体操だけを教えてくれるのが、私にとってはいい。
私は、人間関係の面倒くさいのがあんまり好きではない。このあいだ見学したとき、義理や人情でやめにくくなったりするのはちょっとイヤだなと思った。
その日、帰るときには入会するようなことを言ってしまったが、民間のほうは辞めて区のほうにしようかと思っている。予算の問題も大きい。
それにしても、シェイプアップ体操などしていると、汗をかくし、普段使わない筋肉を動かして気持ちがいい。テンポの速いものなどは、体の動きを理解したり、反射神経を使ったりで、脳みそも必死に活動する。ボケ防止にもなりそうである。
そして、もしかして、私って運動が好きだったのかな?と思った。
広い床の上に立つと、逆立ちや側転などしたくなるのは、中学のとき、器械体操をやっていたからでもあるが、高校時代やっていた演劇も、そういう要素があった。
演劇部っていうのは、文化部ではあっても、腹筋運動をしたり発声練習をしたりして、肉体を作る必要があったし、やはり俳優というものは肉体を基本とする。舞台の上で、演技をするということは、普通の動きではないわけである。
だから、体育館とかステージとか、そのような「床」を見ると、アクティブな気分がふつふつと湧いてくるのである。
自分のこと、運動はキライだと思っていたが、意外にそうではないのかもしれない。
それにしても、私の下半身デブには愕然とする。体は硬いほうではないのだが、太ももの肉のせいで、脚を組むと前屈が止まってしまうような状況もあった。とにかく痩せたい。
参加者はみんな私より痩せていた。どうして太った人は来ないのだろうか?
こういうことに努力する人ってのは、本当になんとかしなくちゃいけない状況の人ではないようで、すでに充分格好の良い人が大部分である。あまりにも最悪の状態だと全身が映る鏡の前に立つ勇気は湧かないのかもしれない。
鏡の中の自分の現実の太さに唖然としてしまうが、事実を受け止めて、改善に向おうではないか。
やはり値段が安いのが一番の魅力だ。入会金もないし、民間の3分の1くらいの値段で済む。インストラクターは20~30代前半の若い人だった。
このあいだの先生はかなりの老齢だった。それでも、ぜんぜん年を感じさせない肉体で、すばらしいわけだが、年寄りっぽい親切さは長所でもあり短所でもある。
若いインストラクターは、他の参加者がどうだとか、自分の経歴がどうだとか、そういうことはいちいち言わない。純粋に体操だけを教えてくれるのが、私にとってはいい。
私は、人間関係の面倒くさいのがあんまり好きではない。このあいだ見学したとき、義理や人情でやめにくくなったりするのはちょっとイヤだなと思った。
その日、帰るときには入会するようなことを言ってしまったが、民間のほうは辞めて区のほうにしようかと思っている。予算の問題も大きい。
それにしても、シェイプアップ体操などしていると、汗をかくし、普段使わない筋肉を動かして気持ちがいい。テンポの速いものなどは、体の動きを理解したり、反射神経を使ったりで、脳みそも必死に活動する。ボケ防止にもなりそうである。
そして、もしかして、私って運動が好きだったのかな?と思った。
広い床の上に立つと、逆立ちや側転などしたくなるのは、中学のとき、器械体操をやっていたからでもあるが、高校時代やっていた演劇も、そういう要素があった。
演劇部っていうのは、文化部ではあっても、腹筋運動をしたり発声練習をしたりして、肉体を作る必要があったし、やはり俳優というものは肉体を基本とする。舞台の上で、演技をするということは、普通の動きではないわけである。
だから、体育館とかステージとか、そのような「床」を見ると、アクティブな気分がふつふつと湧いてくるのである。
自分のこと、運動はキライだと思っていたが、意外にそうではないのかもしれない。
それにしても、私の下半身デブには愕然とする。体は硬いほうではないのだが、太ももの肉のせいで、脚を組むと前屈が止まってしまうような状況もあった。とにかく痩せたい。
参加者はみんな私より痩せていた。どうして太った人は来ないのだろうか?
こういうことに努力する人ってのは、本当になんとかしなくちゃいけない状況の人ではないようで、すでに充分格好の良い人が大部分である。あまりにも最悪の状態だと全身が映る鏡の前に立つ勇気は湧かないのかもしれない。
鏡の中の自分の現実の太さに唖然としてしまうが、事実を受け止めて、改善に向おうではないか。