山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

高校時代の記憶

2022-04-08 00:41:02 | 読書

この頃、年を取ったせいか、昔のことを思い出す。

最近は、たまたま図書館で「巴里に死す」を見つけて読み始めたのだが、もしかしたらそれがきっかけかもしれない。

東京に越してきてから住んでいた家のそばに、天理教のお寺があった。(あれはお寺というのかな?)
芹沢光治良の「人間の運命」では、天理教のことが書いてあるという記憶があったので、なんとなく意識してその前を通っていたが、今思うと、一度もそこに出入りする人々を見たことはなく、そして、私の人生の中で天理教の人には会ったことも話したこともない。
全く存在感がない宗教だった。ただ、そこに建物があり、門に「天理教」と書いてあったことだけを覚えている。

あれは、私が20代の頃で、高校を卒業してからはまだ数年しか経っていなかったのだ。だから記憶も新しかったのだろうけど、それ以来、天理教に関する物事に遭遇したことは一度もない。

天理教はともかく、「巴里に死す」を読んでいると、主人公の伸子が結核でスイスのサナトリウムで療養している。あの時代は、結核をそうやって治すしかなかった。特に治療法もなく、寒いところでなぜか窓を開けっぱなしにしている。冷たいきれいな空気を吸っていると良いということだったのか。そして、治る人もいたし治らない人もいた。が、治らない人も多く、不治の病と言えた。

結核は人に感染するが、感染した人が急に亡くなるわけではないし、感染しない人もいたようだ。感染しても慢性的に病状が進んで行き、重症にならなければ快復するが、数年のうちに次第に悪化していくとほぼ助からない。恐ろしい病気ではあるが、今の新型コロナほど厳重に隔離などはしていなかったようである。

結核患者が妊娠したら、堕胎したほうが良いと考えられたのは、患者の体力が消耗してしまうからで、子どもが感染するからということではないようである。生まれたあとも、母親が育てることはできず、人に育ててもらうのは、子供への感染を避ける意味もあるものの、母親が自分の結核を治すことに専念しないといけないからだろう。

それで、「巴里に死す」を読んでいたら、スイスのサナトリウムの場面で、私はトーマス・マンの「魔の山」を思い出していた。あの本は文庫本でものすごく厚い本だった。それを夏休みかなんかにかなり読み進んだものの、結局最後までは読まなかったと記憶している。

しかし、あの「魔の山」は何で読み始めたんだろうか?と思う。

それで、今回「巴里に死す」の後ろについている大江健三郎の芹沢光治良についての文を読んでいたら「魔の山」のことが書いてあった。やっぱり連想するのが当たり前なのだろう。

それから、「巴里に死す」の中で伸子が、ジイドの「狭き門」のことを書いているが、その前から、私は「伸子」の精神が、ジイドの「狭き門」の主人公女性と共通していると強く感じていた。

私はジイドの「狭き門」も読んだことがあるが、なぜそれを読んだのかも不明である。これは実家に世界文学全集があったのだが、読まなかったものも多々あるなかでどうしてもこれを選んだのだろう。

当時私は芋蔓式読書法をしていて、読んだものの中に出て来た小説を読み、またそれに関連した小説を読むと言うのをしていたのだった。

私は「巴里に死す」を読んだ記憶は全くないが、ここから芋蔓に「魔の山」や「狭き門」が出てくるのだ。まさか「巴里に死す」を読んでいたわけではないとはおもうのだが・・・。

あ、そうだ。今回はそのことを書くつもりではなかったのだ。

私は当時、2階の自室の窓際の屋根の上にクロッカスの球根を1つ育てていた。そのクロッカスには「シルビエ」と言う名前を付けていた。クロッカスは紫で白い線のある花を咲かせた。ふっくらとした花びらを開き、中には黄色いめしべとおしべがあった。その姿は神秘的だった。

私は当時、ハンサムな同級生にあこがれていた。その人は色白で彫りが深く小柄で、西洋人の少年のような容姿だった。私は心の中で彼を「美」と呼んでいた。

そして、なぜかそのクロッカスをその少年として見ていた。そのクロッカスになぜ「シルビエ」と言う名前を付けたのか記憶がないのだが、なぜかクロッカスの記憶とともに「魔の山」を連想するのである。

しかし、魔の山の主人公は「ハンス」というらしいし、その人に私があこがれるわけでもない。シルビエというのは一般に女性の名前らしいが、私はなぜか少年の名前として、それを花につけたのであった。テレビにでも出て来た少年から名前を取ったのかな?

「シルビエ」でウェブ検索すると、人の名では「シルヴィ」というのが出てくるが「シルビエ」はあまりない。「シルビア」というのは女性のなまえでよく聴くが、私は「シルビエ」と記憶している。

クロッカスが咲くのは春休みなので「魔の山」を読んだのは冬休みか春休みだったのかもしれない。

これらのことは、実家の天袋にある昔の日記を見ればわかりそうだが、もはや太った老婆には、天袋に登ることは不可能かもしれない。


コメント (4)    この記事についてブログを書く
« シートベルトの戻りが悪い場合 | トップ | シートベルトの高さ調節 »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ちょっと話がズレちゃいますけど。 (NA-094)
2022-04-08 17:39:32
いきなりではありますが、ワインを飲まれることはあるでしょうか?
刑事コロンボ「別れのワイン」(1970年代)において、カベニ・スーベニオンと表記されていたブドウの品種があったのですけど。
90年代のワインブームもあって、今では、カベルネソーヴィニヨンと呼ばれています。
もちろん英語とフランス語との違いもあり、単純に誤植や誤訳とは言えないところもあり。
現地カルフォルニアでの感じは、“キャヴァネ”というところです。
外国の文章や言葉は、印象や語感を伝えるのが難しいところですね。
返信する
Unknown (飛鳥)
2022-04-08 18:32:07
刑事コロンボ、懐かしいですね。
なるほど、その当時のワインの名前と今では呼び方が違っているんですね。

シルビエは今はシルヴィが一般的なのかもしれません。シルビエで検索したら、エステサロンだか、まつ毛サロンだかが出てきました。1970年代には存在しなかったお店ですね~。
私のシルビエはどこから来たのだろうか
返信する
発音 (せろり)
2022-04-10 00:34:23
そういえば、レーガン大統領は、当初はリーガン大統領でした
Reganというつづりはアメリカ英語では「リーガン」に近い音らしいのですが、大統領自身が途中から「レーガン」と名乗るようになって、日本での記述も「レーガン」に切り替わった

自民党副総裁とかやってた故金丸信は、ずっと「かなまる」だったけど、ある日、「かねまる」と言い始めて、だいたいのメディアも従ってたけど、久米宏さんとか一部の人たちは、「かなまる」と言い続けてます。
返信する
Unknown (飛鳥)
2022-04-13 00:51:26
レーガンか、リーガンか、わけがわからなくなりますね。
金丸は、私はずっと「かなまる」と言っていました。

近頃は、ウクライナに関する地名なども言い方を変えるので、古い名前と新しい名前を結び付けて覚えとかないといけないですね~。
返信する

コメントを投稿

読書」カテゴリの最新記事