今夜も夜11時にして眠くなってきた。実は9時ごろから眠いのだ。
今朝は暑くて6時に起きてしまった。今はそれほど暑くなく、エアコンを送風にしている。
相変わらず、何も実行に移せずに時間だけが過ぎていく毎日だ。
まだ8月の出費のまとめもしていないし、銀行口座の引き落とし総額も調べていない。
色々やるべきことはあるのに、何もしていない。
トイレの床に髪の毛がいっぱい落ちていたなあ~
換気扇のフィルターも油で真っ黒になっているから、取り換えて掃除をしなくては・・・
要らない本を捨てる。
写真を整理して、昔のネガをデジタル画像にしないといけない。
何も進んでいかない。。。
・・・
今朝は早く目覚めてしまったので、伊藤整の「変容」のつづきを少し読んだ。
そう、まだ読み終えていないのだ。半分ちょっと超えたくらい。
今年はこの分だと3冊がよいところだな。(今2冊目)
読書ってのは、それなりの時間を買い取らないと、進みようのないものである。
絵を描くっていうのもそうだろう。
「変容」の主人公の職業は画家である。国文科を出て画家になれるのかな?
日本画家みたいだが。。。
日本の近代の西洋画家は、やはり結構芸大出の人が多い。それだけやはり描写の技術が必要だったのだろう。そんなことを思ったりした。
ちょっと浮世の画家を思い出した。イシグロカズオだっけ、あれは途中まで読んでどこかにやっちゃった。
画家の絵っていうのは、何もかもが芸術なわけじゃない。
私は竹久夢二はあまり興味がなかったんだけど、モディリアニと共通点があるとは知らなかった。モディリアニは好きなほうだった。
・・・
伊藤整は女をよく描いている。女が年老いていくその変化。容姿の変化のみならず、その社会的地位や人間像なども良く分析している。そう、私がこの作家の好きなところはそういうところだ。
伊藤整は「新心理主義」だと自ら言っていたらしいが、新心理主義とは何なのかよくわからない。
若い詩人の肖像の最後は、
「自分の心の内側の働きはまだオレに分かっていない。そこには闇の中に閉じこめられた複雑な機械のようなものがある。そしてそれがオレにはまだ分かっていない。そこをのぞいてみるのは怖ろしいことで、今のオレには出来そうもない、と私は思った。」
で終わっている。
彼はその後、それを追求したに違いない。
そうして晩年に書いたのが「変容」なんだから。
でも、それを読むアラカンのオバサン、私にはまだ何も分かっていない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます