比良の丘から下ってきて、金仙寺に寄った。このへんにも花が咲いていたが、撮らずに中へ進む。
大きなタヌキ。そして本堂か。
菊水の紋章。お寺では珍しいような気がする。
お地蔵さんがきれいに並んでいる。
ところどころに蓮があるが、花は終わっているものが多く、種ができていた。
下のほうは墓地になっており、墓地の販売がされているようだった。
お寺にはやっぱり座るところや自動販売機などがあるはずもない。
左卜全の墓もよくわからないので、スマホの道案内に従って進んでみた。
すると、寺を出て、最初に来たときの道を下っていった。
途中に道標があった。「日歌輪翁 左卜全の墓 三ケ島墓苑」と書いてある。
スマホはここで案内を終えた。
道標がどこにあるかを案内していたらしい。
墓はどこなのか、下の赤い線がどっちに向いているのか不明。
裏側を見ると、矢印が写真右方向に向いていたので、来るときに登ってきた道とは違う右の道へ進んでみた。
その道の左側には空き地のようなものがあったが、墓らしきものはなし。
右側は金仙寺側になるが、木戸のようなものが閉まっており、中に墓参りのような人がいる気配だったが、左卜全の墓などという表示も何もなく、そのまま通過。
いったい左卜全の墓はどこなんだ~~~?
ところで、若い人は左卜全と言う人を知らないと思う。明治生まれの人であり、51年前に亡くなっているのだ。
私も1970年に流行した「老人と子供のポルカ」という歌で初めて知ったのだが、俳優で映画にも出たりしていたらしい。
その当時はもう76才ですごい老人だと思ったが、その翌年にお亡くなりになったそうだ。
今、you tube で見ることができる。
左卜全とひまわりキティーズ 【老人と子供のポルカ】
見てみると、いっしょに歌っていた子供たちがひまわりキティーズというらしく、ひまわりつながりだなあと驚いた。
あの子供たちが、もう60才近くの年齢になっているのだろう。
左卜全さんのお墓参りに来ることがあるのかもしれない。
左卜全は三ケ島一郎と言う名で、埼玉県入間郡小手指村北野の出身だったそうだ。
墓はみつからなかったが、これをきっかけにこんなことを知れたのもよかった。
墓はどうやら、あの木戸の中にあったらしい。
さてこれで、ひまわり畑と金仙寺の見学を終えて帰ることにする。
(つづく)
帰りがまた大変であった・・・
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