山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

金仙寺・左卜全の墓どこ~?

2022-09-11 19:32:59 | 旅行・街歩き

比良の丘から下ってきて、金仙寺に寄った。このへんにも花が咲いていたが、撮らずに中へ進む。

大きなタヌキ。そして本堂か。

菊水の紋章。お寺では珍しいような気がする。

お地蔵さんがきれいに並んでいる。

ところどころに蓮があるが、花は終わっているものが多く、種ができていた。

下のほうは墓地になっており、墓地の販売がされているようだった。

お寺にはやっぱり座るところや自動販売機などがあるはずもない。

左卜全の墓もよくわからないので、スマホの道案内に従って進んでみた。

すると、寺を出て、最初に来たときの道を下っていった。

途中に道標があった。「日歌輪翁 左卜全の墓 三ケ島墓苑」と書いてある。

スマホはここで案内を終えた。

道標がどこにあるかを案内していたらしい。
墓はどこなのか、下の赤い線がどっちに向いているのか不明。

裏側を見ると、矢印が写真右方向に向いていたので、来るときに登ってきた道とは違う右の道へ進んでみた。

その道の左側には空き地のようなものがあったが、墓らしきものはなし。

右側は金仙寺側になるが、木戸のようなものが閉まっており、中に墓参りのような人がいる気配だったが、左卜全の墓などという表示も何もなく、そのまま通過。

いったい左卜全の墓はどこなんだ~~~? 

ところで、若い人は左卜全と言う人を知らないと思う。明治生まれの人であり、51年前に亡くなっているのだ。

私も1970年に流行した「老人と子供のポルカ」という歌で初めて知ったのだが、俳優で映画にも出たりしていたらしい。

その当時はもう76才ですごい老人だと思ったが、その翌年にお亡くなりになったそうだ。

今、you tube で見ることができる。

左卜全とひまわりキティーズ 【老人と子供のポルカ】

見てみると、いっしょに歌っていた子供たちがひまわりキティーズというらしく、ひまわりつながりだなあと驚いた。 

あの子供たちが、もう60才近くの年齢になっているのだろう。
左卜全さんのお墓参りに来ることがあるのかもしれない。

左卜全は三ケ島一郎と言う名で、埼玉県入間郡小手指村北野の出身だったそうだ。

墓はみつからなかったが、これをきっかけにこんなことを知れたのもよかった。

墓はどうやら、あの木戸の中にあったらしい。

さてこれで、ひまわり畑と金仙寺の見学を終えて帰ることにする。

(つづく)

帰りがまた大変であった・・・                                                                                                                                                                                                   

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
« 比良の丘から金仙寺まで | トップ | 金仙寺から堀之内バス停まで... »

コメントを投稿

旅行・街歩き」カテゴリの最新記事