今日は、書くことが何もないなあ~と思っていた。
実は、実家母については、いくらでも訴えたいエピソードがあるのだが、それを書くエネルギーが今はないのだ。
それで、さっき、ぼーっとお風呂に入っていたわけなんだけど、うちの浴槽ってちょうどよい大きさだな~と思った。
大きすぎもせず小さすぎもせず、1人で入るには十分な大きさだ。
この家には、子供が成人してから夫婦だけで引っ越して来たので、子どもと一緒にお風呂に入ったことはないのだけど、大人と子どもならばいっしょに入っても大丈夫そうである。
それに比べると、田舎の実家のお風呂はとても大きくて、普段、おばあさん1人が入るには長さが長すぎるのである。お湯を入れるにしてもたくさん必要だし、何よりも掃除が大変だ。
そんなに大きなお風呂にしたのは、50年も前、実家を増築するときに父が大きなお風呂を望んだからだ。そして、父が亡くなった後に、お風呂をユニットバスに変えたんだけど、結局同じサイズに取り換えたから大きいままなのだ。
私の実家の最初のお風呂は小さかった。タイルで薪で沸かすお風呂で、それは、今のこの家のお風呂よりも横幅も長さも小さかった。
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私が東京に出てきて一人暮らしをしていたときは、風呂無しのボロアパートで銭湯に行っていた。
それから、今の夫と知り合い、結婚を機に公営住宅に入居したのだった。
その公営住宅のボロさは、私が1人暮らしをしていたアパートと同じくらいだったので、その住宅のボロさにあきれたり、不満に思ったりすることはなかった。
あの公営住宅の風呂と言えば、バランスガマで浴槽も大人一人が入るのにやっとであった。子供は幼児ならばいっしょに入れた。
あのお風呂が、人生のうちで一番小さかったように思うし、壁もボロボロで、今から考えるとよく平気でそんな貧乏くさい家に住んだもんだと思う。
だいたい、そんな貧乏人の夫とよく結婚しようなどと思えたもんだ。
いかに質素で謙虚な嫁だったんだ?
普通の女なら、こんな貧乏くさい家に住めません、婚約破棄です、と言ったところだろう。
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それで、思ったんだけど、もし私がずっと実家に住んでいて、1人暮らしをしたことがなかったら、きっとあのオンボロ公営住宅には耐えられなかったかもしれない。
でも、私はオンボロ木造4畳半風呂無しアパートに住んでいて、自分1人の力ではそこに住むのがやっとであることも知っていた。自分の実力、自分の身の程を知っていたのである。
自分の身の程は、オンボロ住宅の小さな浴槽に入るのにちょうど良い人間ってことである。
だから、どんなにオンボロでも部屋が3つあって南向きのベランダのある住宅は、自分が住んでいる日当たりの悪いボロアパートよりもマシだと思ったのだった。
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一方で、姉は1人暮らしをしたことがなかった。それで、住宅基準を下げる想定はなく、結婚相手の年収とかも一定基準以上を想定していたのだろう。
実家は田舎の一般的な住宅なので、けっしてレベルが高いものではないのだけど、東京に比べたら、安価で大きな家に住めるし、風呂場も広く浴槽も大きいのだ。
実家に住んでいた姉には、その基準を大幅に下げることはできないだろう。
でも、私は全く一人暮らしで「貧乏」というものに耐性がついていたのであった。
どんなにボロい家でも、どんなに汚く小さなお風呂でも驚きゃしないのだ。
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今も相変わらず賃貸の集合住宅に住んではいるものの、不便のない程度の大きさの浴槽に入れるのは幸せなことだなあと思った。
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