夫のすることは、どうも理解できないというか、納得できないことばかりです。
長女が、お正月に仕事で振袖を着ることになったので、家においてある着物一式を娘のアパートに車で運んでくれと、娘から頼まれたのですが、どっちにしても職場まで着物をもって行かなければならないので、どうせだから年末中に、娘の出勤と一緒に職場まで運んでやろうかということになりました。私は明日から休みです。
娘の仕事先は自転車でも行けるような距離なのですが、主要駅のそばで道路が複雑で、どのように走れるのか、停車はできるのかと、結構気を使います。それで、それに備えていろいろ道路の研究など始めました。
そうしたら、夫のいうことには、車で運ぶのはやめたらどうか、というのです。自転車かタクシーを使ったらどうかと言うのです。難しいことはやめたほうがいいというわけです。
なんか、本当にチャレンジ精神のない男。
いったい、何のための車なのか、車を買った意味がないし、新しいことをやってみないといつになっても進歩がありません。
先日も、車で一回りして来た後、近所の人のやり方を聞いて、試しにアタマから駐車場の自分のスペースにつっこんでみようとしたら、今日はやめといたらいいのではという消極的な意見。ただでさえ走ってきた距離も短いのだから、せめて駐車の練習でもしたいところです。
アタマから自分の場所に突っ込むと言うのは、狭い道を曲がって入る技と同じではないでしょうか。夫はいやがっていましたが、私が一旦車を出して、あらためて頭から入っていこうとすると、車の外にいた夫は、あわてて隣のスペースの柵を横によけて移動させるのでした。
ちょっと、何やってるの、余計なことしないでよ!
そんなことしたら、ぜんぜん練習になりません。隣は空いているのですが、隣のスペースに入らないで自分のスペースに入る練習をしなくちゃ意味がないのに、なんで柵をどかしているのか、さっぱりわかりません。
教習所の先生なんか、いちいち車と同じくらいの幅にポールを立ててやらせますからね。全くやることが反対。
私の成長を望むのなら、柵を狭くしてほしいよ。
(ちなみに、駐車場はほとんど人間も車もいない状況で、練習にはもってこいの場所です。
みんながアタマから突っ込んでるのは、出る時に危険ではないような場所だからなのでしょう。私は今後もオシリから入れるつもりですが、日光の当たり具合で方向を変えたりもするのがいいかもしれません。)
夫の場合、結局「過保護」ということなんですよね。
また、狭い道から交差点に出るときなど、助手席に座っていて、「オレが左を見るから」などと言います。
見なくていいよ、そんな片方ずつ分担して確認するもんじゃないし、自分で確認しなくちゃ意味がないし、人の確認なんか信用できないでしょ。
それでも、夫は車が来ないかどうかを見たいらしく身を乗り出して左側を覗いています。
つまり、こっちは夫の頭や肩が邪魔で左側がぜんぜん見えません。
ちょっと下がってよ!全然見えないでしょ!ということになります。
教習所の先生ってのは、絶対にそんなことしませんね。
助手席に埋もれるように座ってる。でも、ちゃんと見ているところはすごいなと思います。
運転したことないから仕方がないのかもしれないけど、夫のすることはちょっとなあ、と思ってしまう毎日です。
それでも、助手席に乗っていると自分も運転できそうな気がしてきたそうで、免許を取ろうかと言い出しました。
そうなれば、夫も変化してくれるのではと思います。
長女が、お正月に仕事で振袖を着ることになったので、家においてある着物一式を娘のアパートに車で運んでくれと、娘から頼まれたのですが、どっちにしても職場まで着物をもって行かなければならないので、どうせだから年末中に、娘の出勤と一緒に職場まで運んでやろうかということになりました。私は明日から休みです。
娘の仕事先は自転車でも行けるような距離なのですが、主要駅のそばで道路が複雑で、どのように走れるのか、停車はできるのかと、結構気を使います。それで、それに備えていろいろ道路の研究など始めました。
そうしたら、夫のいうことには、車で運ぶのはやめたらどうか、というのです。自転車かタクシーを使ったらどうかと言うのです。難しいことはやめたほうがいいというわけです。
なんか、本当にチャレンジ精神のない男。
いったい、何のための車なのか、車を買った意味がないし、新しいことをやってみないといつになっても進歩がありません。
先日も、車で一回りして来た後、近所の人のやり方を聞いて、試しにアタマから駐車場の自分のスペースにつっこんでみようとしたら、今日はやめといたらいいのではという消極的な意見。ただでさえ走ってきた距離も短いのだから、せめて駐車の練習でもしたいところです。
アタマから自分の場所に突っ込むと言うのは、狭い道を曲がって入る技と同じではないでしょうか。夫はいやがっていましたが、私が一旦車を出して、あらためて頭から入っていこうとすると、車の外にいた夫は、あわてて隣のスペースの柵を横によけて移動させるのでした。
ちょっと、何やってるの、余計なことしないでよ!
そんなことしたら、ぜんぜん練習になりません。隣は空いているのですが、隣のスペースに入らないで自分のスペースに入る練習をしなくちゃ意味がないのに、なんで柵をどかしているのか、さっぱりわかりません。
教習所の先生なんか、いちいち車と同じくらいの幅にポールを立ててやらせますからね。全くやることが反対。
私の成長を望むのなら、柵を狭くしてほしいよ。
(ちなみに、駐車場はほとんど人間も車もいない状況で、練習にはもってこいの場所です。
みんながアタマから突っ込んでるのは、出る時に危険ではないような場所だからなのでしょう。私は今後もオシリから入れるつもりですが、日光の当たり具合で方向を変えたりもするのがいいかもしれません。)
夫の場合、結局「過保護」ということなんですよね。
また、狭い道から交差点に出るときなど、助手席に座っていて、「オレが左を見るから」などと言います。
見なくていいよ、そんな片方ずつ分担して確認するもんじゃないし、自分で確認しなくちゃ意味がないし、人の確認なんか信用できないでしょ。
それでも、夫は車が来ないかどうかを見たいらしく身を乗り出して左側を覗いています。
つまり、こっちは夫の頭や肩が邪魔で左側がぜんぜん見えません。
ちょっと下がってよ!全然見えないでしょ!ということになります。
教習所の先生ってのは、絶対にそんなことしませんね。
助手席に埋もれるように座ってる。でも、ちゃんと見ているところはすごいなと思います。
運転したことないから仕方がないのかもしれないけど、夫のすることはちょっとなあ、と思ってしまう毎日です。
それでも、助手席に乗っていると自分も運転できそうな気がしてきたそうで、免許を取ろうかと言い出しました。
そうなれば、夫も変化してくれるのではと思います。
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