山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

自動車の全席シートベルト装着義務

2019-10-19 11:34:37 | 車・運転・道路・駐車場2019

自動車の全席シートベルト義務化になっているにも関わらず、頑としてシートベルトをしない人々の中に居ると、ストレスがたまり、自分が間違っているかのような錯覚に陥るのですが、それに対抗して正しい情報を確認してみた。

たとえば、チューリッヒ自動車保険会社のサイトでの説明によれば以下のように記載されている。

https://www.zurich.co.jp/car/useful/guide/cc-back-seat-belt/ 

(以下引用) 

シートベルトは運転者、同乗者の安全を守る重要な装置です。2008年6月1日より、シートベルトの着用は全席義務ですが、後部座席に関してはまだまだ非着用の人も多いようです。そこでシートベルト着用の義務や違反した場合の罰則、シートベルト非着用の危険性などについて解説します。 

<シートベルトは全席着用が義務> 

シートベルトの着用は運転席、助手席はもちろん後部座席も法令により着用が義務付けられています。シートベルトに関する法令についてしっかりと確認しましょう。 

<後部座席のシートベルト着用は義務>

後部座席のシートベルトの着用は2008年の道路交通法改正により義務付けられ、高速道路における違反に対しては運転者に対して違反点数が付されることになりました。 

道路交通法第71条の3ではでは、シートベルト着用に関して下記のように記述されています。 

「道路交通法第71条の3

1 自動車(大型自動二輪車及び普通自動二輪車を除く。以下この条において同じ。)の運転者は、道路運送車両法第三章及びこれに基づく命令の規定により当該自動車に備えなければならないこととされている座席ベルト(以下「座席ベルト」という。)を装着しないで自動車を運転してはならない。 

2 自動車の運転者は、座席ベルトを着用しない者を運転者席以外の乗車装置(当該乗車装置につき座席ベルトを備えなければならないこととされているものに限る。以下この項において同じ。)に乗車させて自動車を運転してはならない。」 

2008年以前はシートベルトの着用は運転席と助手席のみに義務付けられていたので、いまだに後部座席に関してはシートベルトの着用義務はないと勘違いしている人もいるかもしれません。
しかし後部座席も含めて全席でシートベルトの着用が義務化されていることを決して忘れてはいけません。 

<後部座席のシートベルトは一般道でも着用義務がある> 

シートベルトの着用は後部座席も含めて全席義務で、一般道路、高速道路に関わらず、運転中にシートベルトを着用していなかった場合、「座席ベルト装着義務違反」となります。

しかし、後部座席のシートベルト着用義務は高速道路のみと勘違いしている人がいるのは、行政処分の違反点数1点が付されるのが高速道路のみになっているからだと思われます。 

運転席、助手席のシートベルト非装着は一般道路、高速道路ともに違反点数が1点付されます。一方、後部座席のシートベルト非装着は、高速道路においてのみ違反点数が1点付され、一般道路においては口頭注意となっています。いずれも反則金はありません。

このように、一般道では後部座席シートベルト非装着に対する罰則が定められておらず、現状口頭注意になっているからといって、後部座席でシートベルトをしなくていいということではありません。
一般道路、高速道路にかかわらず必ずシートベルトを着用するようにしましょう。 

(引用ここまで) (その他、危険性なども説明されているため、サイトをご参照ください。)

2008年6月より、法律で自動車の全席でシートベルト着用が義務化されているのである。 

私が運転免許を取ったのは2009年6月23日であり、教習を受け始めたのはその年の4月であるので、自動車学校では新しい法律に基づいてきちんと教えていたものと思われる。 

40代以上のドライバーの多くは、昔免許を取ったので、そのような教えを受けていないのだろう。

法律は知っていても、伊豆は高速道路がないので、警察にみつかったところで、罰金を取られることはないからシートベルトをする必要がないと主張するタクシー運転手やドライバーが多い。

だが、もし事故が起きたときに、後部座席の同乗者がシートベルトをしていなくて重傷を負ったらどうするのであろうか?保険で賠償されるからよいという問題ではない。

楽天的静岡県人は「そんなことは滅多にない」という理由づけをする。

どうしてそこまでしてシートベルトをしないことにこだわるのか意味不明。

 

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パンとバターの件

2019-10-19 08:40:41 | 日記2019

この度の台風直前には、お店からパンが消えたそうである。そして買いたい人も買えなかったそうだ。

幸いにして、パンが姿を消す以前にパンを買った我が家であった。

東京では木曜日の夜に、夫と私がそれぞれに、パンを買ってきたために、パンがたくさんあったから、金曜日に私は自分の買ったパンを持って実家に帰省したのだった。

そのパンは神戸屋のぶどうパンだった。

実家では、そのパンを食べたが、母が言うには「あんたの持ってきたパンは、あんまりおいしくないね」とのこと。

普段母が近所のスーパーで買っているパンのほうがずっと美味しいのだそうである。

まあ、私もそんなにおいしいものとも思えなかったけど、普通のパンでまずくもなかった。

わざわざ「あんたの持ってきたパンは~」って言うか?

しかも、金曜の夕方までに母はほとんど食べ物を買ってないし、土曜日は一日中雨で一歩も外に出なかったのだから、そのパンがあったから食料になったではないか!

そのパンにバターをつけて食べようとしたところ、実家の冷蔵庫にあったバターは、妙に周りが黄色く濃い色になっており、バターナイフで切ると中は白っぽい普通の色だった。

母が1人暮らしなので、なかなか使いきらないので、バターの周囲が空気に触れて酸化?しているというか、劣化しているのである。

そこで、なんか周りが変な色になってるよ、バターは早く使ったほうがいいよ、1人だからしょうがないけど、保存するときは空気に触れないように包んでおいたほうがいいし、もっと小さいサイズを買ったら?と提案した。

それに食べるとやっぱり味も劣化しており、冷蔵庫の匂いみたいなものがついているのだ。

(私は匂いには敏感なほうである。)

すると母曰く「あんたは、ずいぶんこの家の物にケチをつけるね」

ケチをつけてるわけじゃなくて事実を言ってるんだよ。

(私が持ってったパンがまずいとか、そっちのほうがケチをつけてるじゃん)

お互いにお互いのものにケチをつけあう、根性の悪い母子ってことか・・・

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シートベルトの件

2019-10-19 07:36:18 | 日記2019

実家地域の交通事情とシートベルトの扱いについては、以前から何度も書いていることであり、これが私のストレスの極限である。

まず、帰省して15分内で歩いて行ける圏内は、食料品だけ売っている小さなスーパーマーケットと、お墓しかなく、限られた食料の買い物と墓参りにしか行けない。

気合いを入れて30分以上歩けば、雑貨なども売っているドラッグストアや大きなショッピングセンターやクリニックなどもある。

あとは、電車やバスを使って移動することもできるが、バス路線や電車の駅からは外れた目的地も多いし、運行本数も少ないので、タクシーを使って移動することになる。

タクシーは安くとも片道700円以上はかかる。

そこで、故郷での移動の便宜のために、私は東京から車に乗って実家に行きたいのだが、片道100km以上かかり、高速道路やウネウネ道を使わないと帰れないので、実家の母は危ないから車では絶対に来るなと言う。

そこで、故郷ではタクシーを利用することとなる。

この故郷のタクシーが、以前から書いているように、シートベルトをしないことが通常である。

そもそもシートベルトの座席側の部品を取り外してしまっているタクシーもあり、肩側から引っ張り出したベルトを留めようと探していると、「邪魔だから取り外してあります」と運転手がいい「やったふりをしていれば大丈夫ですよ」などというのだ。

警察には捕まらないから大丈夫ですだと。

そうじゃないだろ。私は安全のためにシートベルトをはめようとしてるんだよ。

今回も先日書いた通りだが、行きのタクシーで母が率先して、「シートベルトなんかしなくて大丈夫よねえ」などと主張し、運転手もシートベルトをしろとは言わないので、母にシートベルトをさせることができないまま、私だけがシートベルトをして後部座席に座って乗ることとなり、帰りはその地方の風習にしたがって私もシートベルトをしないで乗ってきた。

あそこに住んだら、そういう習慣に染まっていくんだろうなあ・・・

ゴミ袋の件で、意見が合わず険悪になったときに、シートベルトの件に関しても納得できないと私が母に言って、さらに喧嘩状態となった。

なぜ、ことさらにシートベルトをしないことに固執するのか?

シートベルトをはめることが正しいことなのに、どうしてそれが否定されるの?この地域は。

やってられないよ! こんなところに住めるわけがないじゃん。

すると母は、「このあいだ選挙のときに創価学会の人が車に乗せていってくれて、公明党の人に投票したけど、その時は自分が助手席に乗ったらピイピイ音がして、運転する人がシートベルトをするように言うのでシートベルトをしたけど、それは助手席だからで、後ろの席の人たちはピイピイ言わないからシートベルトなんかしないでいいんだよ」というのだ。(共産党の人が車に乗せてってくれるときは共産党に投票するらしいけど、このときは公明党の人が4人の老人を乗せてったそうだ。そういう田舎の習慣についても驚く。)

「タクシーの運転手だって、シートベルトをしろとは言わないじゃないの。取り外してタクシーだってあるんだから、やらないでいいってことなんだよ。あんたが神経質すぎるんだよ」ときた。

私は10年前に東京で運転免許を取り、運転する者の責任として同乗者が全員シートベルトをしているかをしっかり確認した後に発車するように教えられている。

急ブレーキをかけたときには、車が止まる勢いで後部座席の人が前方に飛び出してきて頭を激突させることもあるから、シートベルトは必要なのだ、と主張した。

「そんなことは滅多にあるもんじゃないから、大丈夫だよ」と母。

滅多にないからって、どうしてシートベルトをはめるという簡単なことを拒むの?

その滅多にないことにたまたま遭遇したら、それに備えてあれば身を守ることができるでしょう。

滅多にないことだから、飲料水は準備しなくていいとか、シートベルトをしなくていいとか、

座席がピイピイ鳴らないから、・・運転手がしろと言わないから、・・・警察に捕まらないから、・・・罰金を取られないから・・・

この地域は「根拠」がことごとく違っているのだ。

そうじゃないだろ、「安全」のためでしょ。

だから、こんなところには住めないと思う。

3日居てもストレスでだんだん気が狂いそうになり、母と喧嘩になってしまうのだ。

「だって私は車のことなんか知らないもん。タクシーだって知り合いだってそうなんだから、シートベルトはしなくていいんだよ」

“車のことを知らない”と自分で言っているのに、なんでタクシーの中で「しなくていいんだよ」なんて私に指図するの?

私は故郷ではタクシーには乗りたくないし、自分の車さえ乗ってくるなというので、結局故郷では、行きたいところにも行けないのだ。

私は、実家に自分の車を持って行って、今後は置いておく方法もあると考えている。おいておけば遠くに買い物に行けるし、母の通院などにも使える。母は通院が不便なのでやるべき治療もしていなかったりする。

実家の車庫は1台用だが、実家母の話によれば、奥は障害物があって幅が狭いものの軽自動車くらいは入る幅だから、奥に詰めれば、2台入るだろうとのことだった。

先日見てみると、全然無理。軽自動車の入る幅じゃない。ムリムリに入ったところで、ドアが開かないから出入りもできない。

それでも、日常的に車庫に1台が入れば問題はない。

だが、母曰く、母の弟夫婦が月に1度くらい大きな車でやってくるので、車庫に入れるそうだ。

「あんたが車を持ってきてあったら、弟の車が入れられなくなる」とのことである。

 

 

 

 

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ゴミ袋の件

2019-10-19 01:25:56 | 日記2019

どうにも実家母と生活習慣が合わないので、こまごましたことでぶつかってしまう。

実家地域では、ゴミ回収袋が有料である。

ゴミ回収代が含まれた専用ゴミ袋を買って、それに入れてゴミを出さないと市で回収してくれないのである。

そこで、母がやっているのは、一番大きなゴミ袋を買い、そこに日々ゴミを入れて行って、これ以上はどうやっても入らない満杯状況になったところで、台車に載せてゴミ置き場に持っていくというやり方だ。

1人暮らしなので、ゴミはそんなに出ないから、それがいっぱいになるには2~3週間かかるらしい。

生ごみはコンポストに入れている。

だが、生ごみではなくとも、飲食物成分のついたゴミが含まれている。

そして、大きなゴミ袋にいっぱいになったものは、私が持ち上げてもかなり重いものだった。

私でもそれを持ってゴミ収集場所まで行くのはきついと思った。

それで、いくら台車に載せて行くとはいえ、それを台車に載せたり降ろしたりするときに、年寄りが腰などを痛めはしないかと心配だし、やはりゴミは溜めてから出すよりも、回収のたびにこまめに出すほうが良いのではないかと思うのである。

そんな台車に載せないと持てないような量って不自然では?

簡単に片手でぶら下げて行けるくらいずつ出したほうがよいのでは?

私の住んでいる集合住宅では、1人暮らしのお年寄りが、お椀1つくらいの分量のゴミを、こまめにゴミ置き場に出しているのを良く見かける。

どれだけ溜まったかは関係なく、ゴミ回収の度に、家にあるゴミをすべて処分するものだと思う。

母が大きなゴミ袋に満杯にして出すというのは、回収代の含まれた専用ゴミ袋を使う自治体だからなんだろうけど、それでも、もっと小さなゴミ袋を利用したらどうなんだと思う。

「近所の人は、半分くらいしか入っていない有料ゴミ袋をゴミ置き場に出しているので、もったいない」と母は言っている。

だが、母の場合、ゴミの入った袋を敷地内の物置などに何日も置いているので、ゴキブリが発生するのではないか?と私は思う。

すると、母はそのゴミには、ゴキブリなんか来ないという。

ゴキブリは、私が帰省するたびに、深夜になると家の中に出没し、必ず1匹は遭遇する。

すると、母は、いつも全然いないのに、あんたが来た時に限って出てくると言うのである。

 

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ペットボトルの件

2019-10-19 01:01:39 | 日記2019

くだらないことですが・・・

老人が心配なので台風に備えて実家に帰ったときのことだが、母との軋轢は帰省するたびに毎度のことながら、今回も色々あった。

年寄りっていうのは、ガンコなんだろうか・・・

実家母の生活では、2Lのペットボトルなんてほとんど縁のないものだが、まあ、災害に備えて水を用意しておいたほうがいいよと以前から言っておいた。

昭和ひとケタ生まれの母は、簡単にはものを捨てないので、春から夏に買ったペットボトルの容器が5本残っていた。

それは、私たちが行くたびに麦茶やウーロン茶などをスーパーで買った時のものだ。

昨年あたりから、実家の母は麦茶などを作らなくなった。自分が温かい緑茶ばかり飲んでいて冷たい麦茶なんか飲まないので、麦茶を作る習慣がない。たまに来る人間のためにわざわざ冷たい飲み物なんか用意しなくなったのだ。

麦茶の素を買っても無駄になるので、ペットボトルの商品を買って済ませた。その空容器に水道の水を入れれば非常時用になる。

実家母の場合、飲料水をお金を出して買うなんて考えられない。こちらが買って行ったら激怒されるだろう。

で、自分で水を入れるとなると、テレビによれば、水道水をペットボトルの口いっぱいまで入れて、空気を入れないようにするのが良いという。空気が入るとそこに雑菌がいるからである。

そうやって自宅で入れた水は、飲料用には3日間、飲料でなければ3ヶ月間は保存可能だとのことだった。

今回私が実家に到着したとき、母は床の上に3本の水入りペットボトルを置いてあったが、それは1カ月以上前に入れたものだそうだ。そして目いっぱいは入っていないので、かなり上が空いていて空気が入っていた。

今回、空のペットボトルがその他に2本あったので、そこにいっぱいに水を入れた。それは飲み水になる。

そこで、以前から水を入れて床の上に置いてあった3本のペットボトルの水も飲料水になるよう、台風前に入れ替えておこう、と私が言った。

ところが、母が納得しない。

「何で?」という。

「入れ替える必要は無い」という。

でも、その水は古くて飲料にはならないから、万が一のために入れ替えておけば、飲料にすることもできるでしょう、と私は言った。

だが、母は、「こっちは飲み水用じゃないから、このままでいいんだよ」と言うのだ。

なんで3本は飲み水ではなく、2本だけが飲み水?

5本飲み水用にしておけば、どうにでもなるじゃん。

母は自分が入れた水を、私が捨てて入れ替えることに非常な抵抗を示すのであった。

まったくわけがわからない。

母が言うには、断水なんかしないから飲み水をそんなに用意しておくことはないのだそうだ。

だが、2人なんだから、それで何日も断水したら飲み物が足りなくなるでしょ。

もし停電が続いたら、給水車がどこかに来ていても、どこに何時に来るなんていう情報さえ知ることができないかもしれないではないか。

まったくもう、なんで新しい水に入れ替えちゃいけないんだよ。

結局は、無理やり入れ替えて、口元まで一杯に水を入れておいた。

こういうことは、単に一部の例であって、その他にも多々、多々、意見の不一致、行動の不一致、見解の不一致のオンパレードであるのであった。

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年寄りと災害

2019-10-19 00:17:46 | 日記2019

今回の台風では、避難の遅れたお年寄りが犠牲になったり、なんとか助けられたりしたケースが多いという。

私も実家の母が心配なので、台風の前に帰省したのであるが、年寄りが自分の身を守ることに弱いというのを、切に実感した。

年寄りが非常時に逃げられないのは当然のことで、非常でなくとも日常的に行動力というものが、かなり低下しているため、ほとんど家から出ないし、出ても近距離しか移動しないのである。

どこかに行くにしても、日ごろ行き慣れた場所にしか行かないから、未知の場所などには行きようもない。

ましてや、雨や風の中を、必要な荷物をまとめて傘をさして移動するなんてことは不可能であろう。

足腰が弱っているので、よろけたりするし、体力もないので、杖をついて歩く年寄りも多いが、そのうえに傘などをさして荷物を持って歩くなんてとんでもない。

今回の台風でも、私の実家地域では、お年寄りや乳幼児などは、早めに避難準備をして避難所に行くようにという勧告(指示?)があったが、家族がいて車で避難所まで送ってくれるような状況ならできるかもしれないが、老人の1人暮らしや老夫婦だけでは無理である。

また、避難所に行くときは、飲食物は避難所にはないので、各自用意するようにとのことだった。いったいいつまでそこにいるかわからないのに、どのような食べ物をどのくらい持っていけばよいのか?避難所で食べ物も飲み物も足りなくなったらどうするのか?とうていそのようなものを運ぶことはできなし、寝るところも単に床の上しかないのだから、毛布や座布団などないと寝られないわけであるが、そのようなものをかついでいくことは不可能だ。

それならば、自宅にいたほうが普通に生活できるので、よほど洪水やがけ崩れの危険性がないかぎり避難所には行かないという選択をする。

私のような老人ではない元気なおばさんがついていても、老人に寄り添って避難所に歩いて行くのは不可能だった。

また、風雨の中では、防災無線で言っていることは全く聴きとれないが、そうではなくても日常的に防災無線からのアナウンスは意味を聴きとることができないものである。

私のスマホには実家地域の市役所からの情報がメールで届くようにしていて、それが防災無線のアナウンスと同じタイミングで届くようになっていた。

その他には、母の見守り携帯に同じものが届くのだが、老人はそれを表示させる機能を普段から使っていないので、私との通話だけにしか使用していない。

そんなわけで、老人だけだと、避難勧告や避難指示がでていることさえ全く気付かない。

そして、自宅には非常食や飲料水などもあまり保存してないのだが、ペットボトルの水を何本も用意する体力がない。

普段大きなペットボトルを買うような習慣もないし、小食なので、そもそも食料などは少ししかない。

私が行くとその何倍もの飲食物を食べたり飲んだりしてしまうので、逆に居ないほうが非常時の食べ物が不足しないかもしれない。

非常に備えてたくさんのものを買ってくるような体力がないので、アマゾンなどで宅配してもらえば良いが、スマホもパソコンも使っていないので、注文することもできない。

田舎なので、私が台風直前に電車で実家に駆けつけても、近所に店がなく、車がないとどこにもいけないので、買って用意することもできない。

前もって用意しておかないといけない。

何の備えもしていないというのは、私の実家の母の個性なのかもしれないが、停電になってスマホの充電もなくなったら、もう何の情報も得られなくなった。

電池を入れればつくであろう昔のラジカセが家の中のどこかにあるかもしれないという状況。

今度はあらかじめ災害用のラジオや充電器を実家に持って行っておこうと思うが、実家とはいえ、普段暮らしている家ではないので、何がどこにあるのやら?

また、実家地域についても、店や病院や避難所の場所さえ分からない始末である。

避難所はその地域に住民票がある人を基本的に受け入れるようになっているそうで、住所不定者や観光客などは優先順位が下がるそうだ。

そうなると、老人の家族とはいえ私は住民票もないので、つき添って避難所に行っても部外者になってしまうだろうか。

色々な意味で、同居していない家族が故郷の老人を守るのは難しいと感じた。

年寄りは要支援でも要介護でもなく、普段は自立して生活しているけれど、だからといって若い人間のように活発な行動力や判断力があるわけではなく、自分で自分の身を守ることは難しい。

 

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胃の内視鏡検査ができない

2019-10-18 10:27:23 | 日記2019

私の職場では7月頃に健康診断があったのだが、検診を受ける病院で、バリウムはできるものの、胃カメラ希望の人は日程が取りにくく、夏のうちには受けられず、10月以降になるとのことだった。

また、胃カメラの場合は、自己負担額が多く、5000円は必要である。

そんな中で、区民検診だと1000円でできるとのことだったので、区民の胃がん検診を申し込んだ。

これは、職場などで検診を受ける機会の無い人が対象なのだそうだ。私の場合、機会がないわけではないが、職場では秋にならないとできないということと、負担額が高いことから区民検診を申し込んだのである。(これってダメ?)

職場で機会があるかないかなんて調べないので、胃のX線と内視鏡兼用の検診票が送られてきた。

私は、この数年間、胃の検査をしていない。会社では、今年は7月に胃の検査を除外したものだけを受けた。

バリウム検査のあと、数日間、腸の具合が悪くなるからである。

数年検査をしていないと、やはり不安になるので、区民検診で会社より早く胃の内視鏡検査を受けようと思ったのだ。

しかし、区では胃のレントゲン検査は医療機関が決まっているものの、内視鏡検査ができる病院が一向に決まらないのだった。

決まり次第、区のホームページに掲載されるというので、時々見ているのだが、今になっても未定である。

このままでは、今年度は終わってしまうのではないか?

そうこうするうちに、職場では10月になって、内視鏡検査希望の人も次々に健康診断を済ませてしまった。

こんなことなら、職場で健保補助金ありの自己負担で受ければよかったなあ。

ちなみに、区の検診を待たずに、全額自己負担で内視鏡検査を受けると、それだけで15000円以上するそうである。

胃の具合が悪いと言って診察を受けて内視鏡検査をすると、保険が適用されるそうであるが、具合が悪くもないのに、悪いなどとウソは付けない。

来年、職場で受けるしかないかな~

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【10月17日】ショパンの命日だそうです

2019-10-18 00:38:15 | 音楽

【10月17日】僕の人生を変えたショパンに感謝を込めて/Piano Performance

コメント欄で、hisaeさんから、10月17日がショパンの命日だと教えていただいたので、今日はyou tubeでフォルテ君が弾いているショパンの曲をどれか選んでこちらで共有させていただこうと思い、色々聴いていたのですが、そうこうしているうちに、フォルテ君がショパンの命日ということで、ショパンについて語っている動画をアップしてくれたのでした。

なので、それをご紹介させていただきます。

と言っても、もう18日になってしまった~

ピアノと言えば、ショパンですね。

ショパンほど美しいピアノ曲を作った人はいないと思います。

そして、フォルテ君は、かなりショパンの曲を弾いていると思います。好きなんでしょうね。

私自身はたぶん、英雄ポロネーズがかなり好きです。

それから、エチュードが好きです。

ノクターン・ワルツ・バラードはそれほどでもないかな。(自分がそんなガラではないからだと思います。)

自分とショパンの曲の関連については、これまでも色々と書いてきたので、今日は書きません。

ただ、私は一度もショパンの曲は演奏したことはないです。そんなに弾けないですからね。

・・・

さて、ショパンについて簡単に調べてみました。

1810年3月1日(2月22日?)生誕。ポーランド人。ロマン派の音楽家(作曲家・ピアニスト)

1849年10月17日没。今から170年前ですね。 

39歳という若さです。死因は肺結核で、フランスのパリで亡くなったようです。

若死にということでは、モーツアルトが35歳だったようですが、ショパンも若くして亡くなったんですね。

 

ショパンの手・指はいったいどうしてあんな曲が弾けるくらい動いたんだろうか?と驚きます。

現代人は、ショパンの曲を弾くために頑張って練習をしますが、それはその曲があって過去の人が弾いたんだから、今の人間にも弾けるはずだという根拠のもとに弾いているでしょう。

でも、最初にその曲を作って弾いちゃった人っていったいどうなっているの?簡単に指が動いちゃってるからそんな曲が作れちゃったのではないか?

それとも理想のメロディーや音楽が頭のなかで創造されてしまい、それを音として実現してるんだろうか?

本当に1人の人間が弾いていたのか?とか、どうやってあんな音楽を作り出せるんだろう?

それは、ショパンに限らずですが、クラシックっていうのは、全く、現代人にはあれ以上のものは決して作れないですよね。

・・・

ストリートピアノで即興演奏をする人がいるけれど、即興演奏っていうのは、指が動きたいように動いているので、指運びの困難さってのは少ないと思います。

それに対して、ショパンなどの過去に作られたピアノ曲は、指が動きたいように動いているわけではなく、理想の音色や理想のメロディー・理想の和音(手にとっては困難な形や動き)、理想の強さや、理想の響きというのがまずあって、それを実現すべく演奏しなくてはならない。

だから、既存のクラシック曲は格調が高い。

そういうわけで、私は、正統的なクラシックのピアノ曲を演奏をしているフォルテ君が好きです。

クラシックのピアノ曲について関心を持つようになったので、これからも、色々な曲を聴いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

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習い事はピアノだった

2019-10-16 23:09:57 | 日記2019

子供の頃のことを思い出すと、そういえば、私が経験した習い事と言えるものは「ピアノ」と「そろばん」だけだった。

「そろばん」というのは、読み書き計算という生活必需技術みたいなもので、趣味とは言えないので、やはり「ピアノ」だけが習い事だったと言えるかもしれない。

今では、小さいころからテニス・サッカー・卓球・空手・水泳などのスポーツを習う人もいるし、バレエ・新体操・フィギュアスケート・日本舞踊や絵画などを習う人も多い。昔も居たのかな?

昭和40年代頃の田舎では、現代のような習い事をしている人はほとんどなく、ピアノ以外にはせいぜい習字程度だったと思う。習字を習っている子はさすがに字が上手だった。私は昔も今もへたくそ。

唯一、ピアノというものを習えたのは、それでも幸運だったのかもしれない。

しかし、今思うに、すべてが姉のために用意されたものだから、楽譜とて自分用に買ったものは1つも無かったと思う。

・・・

ユーチューバーのピアニスト、フォルテ君が、グッズを作ったそうで、Tシャツと、ピアノを習いに行くときの手提げバッグを販売するらしい。

それを見ていて思いだしたんだけど、私はピアノの先生のところに通うのに、どんな入れ物に楽譜を入れて行ったんだっけ???

いや、全く思いだせない。

そろばんを習ってたときのことは思いだす。

最初に買ってもらったピンクのカバン。そろばんを差し込むと飛び出るので、そこの部分はファスナーを開けていた。

それは、横長でそろばんを横に挿していた。

その後、そろばん塾で黄色いおそろいのカバンが配布されたので、それを使っていた。それは、縦型でファスナーなどはなく、そろばんを縦に入れていた。

ピアノについての記憶は・・・

高校の時、電車でピアノ教室に通っていたときは、必ず帰りに教室のそばの大きなスーパーによって、グリコのセシルチョコレートと明治ブルガリアヨーグルトを買って帰った。

その頃は、髪の毛が長く、高校へはおさげの三つ編みにしていったが、土曜日だけはピアノに行くので高校に行くときも三つ編みにしなかった。

何でだ? 今になってみると変な習慣。

いったい、どんなものに楽譜を入れて行ったんだろう???本当に何も思いだせない。

・・・

先週実家に帰ったときに、実家の母にどういう経緯でピアノを習い始めたのか、どうやって4人の先生を見つけたのか聞いてみたのだが、何も覚えていないそうだ。

それに、私は姉に比べると才能がまるでなさそうだったと母がまた言うので、ムカついた。

当時、ピアノをやめろやめろと言われ続けていたことを話すと、その当時の月謝が6000円から7000円に上がり、家計を圧迫していたので、母は切にやめてもらいたかったそうだ。

40年以上も前に、月謝7000円は確かに高い。

その頃、大人になったら月に1万円ずつ返すから続けさせろと親に言いながら続けていたのだが、結局ピアノの月謝は1円たりとも親に返していない。

・・・

本物のピアノを弾きたいなと、このごろ思う。

特に実家に帰った時はヒマだから、昔のように実家で弾きたい。

ピアノは重くて2階に上げるのは大変である。(運送屋が上げるけどね)

ピアノは値段も高くて、昔も今も、私の力量では買う経済力もない。

ピアノはうるさいから、昔のように住宅が密集していない頃なら良いけど、今だと近所から苦情がきそうだ。

実家の壁には防音の資材が入っているけど、窓は普通のサッシなので音が漏れる。

グランドピアノはどうやって出し入れしたのかと思ったら、足をはずして窓から出し入れしたそうだ。

(入れるときは最初から外れ状態で、トラックで運んできたってことか。)

ピアノっていうシロモノは、結局私にはもう縁のないものなのだなあ。

そもそも昔から、親や姉の用意したものに寄生していたにすぎないのだ。

・・・

私は、最近、電気屋に行って電子ピアノを弾いた。

ヨドバシカメラには楽譜も用意してある。

♪まあるい緑の山ノ手線。真ん中通るは中央線。新宿西口駅の前、カメラはヨドバシカメラ。♪

ヨドバシカメラの歌(ピアノ)

 

 

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ショパン スケルツォ第2番 Op.31

2019-10-16 00:17:03 | 音楽

ショパン スケルツォ第2番 Op.31/Mr.Forte-Chopin Scherzo no.2 b-moll Op.31

今日も、you tube でたくさんピアノの演奏を聴いたなあ~

本日は、この曲を選びます。

やっぱり、どんな有名なピアニストよりもフォルテ君の演奏が好きだなあ~

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停電体験

2019-10-14 20:57:09 | 日記2019

台風19号の影響で、静岡県の実家では、約10時間停電が続きました。

12日の夕方6時半ころいきなり消えて、13日の夜明け前4時半くらいに通電しました。

12日は、土曜日だし、台風も近付いていたので、朝からのんびりしていて、朝ごはんが遅かったので、昼ごはんも遅くなり、それに続いて夕飯も遅くていいやということで、まだ作り始めていなかったのです。

母の話によれば、風雨の様子は、前回の台風15号の時よりも激しくないとのことでした。

15号の時は、電気は一瞬消えたけれど、数分で復帰したそうです。だから、今回は停電になるとは思っていませんでした。

そろそろ夕飯を作り始めようかと思っていたときに、いきなり電気が消えて真っ暗になってしまいました。

それでも、すぐに点くだろうから点いたら支度を始めればよいと思っていたのですが、意外にもなかなか電気がつかないのです。

ランタンや電池式の小さな照明はあるのですが、薄暗がりの中で、食べ物を調理するのは難しそうでした。

その辺にあるものは、菓子ばかり。母は冷凍のサツマイモの焼き芋を出してきて溶けたのを食べました。

私はお菓子でお腹がいっぱいになりました。

テレビもつかないし、情報は私のスマホからだけしか取れないのですが、スマホもコンセントからしか充電できないので、次第に電池の残量が減って行ってしまいました。

こんなときに、電池式のラジオがあるとよいですが、あいにく実家にはありません。

ラジカセみたいなものが、どこかにあると思いますが、どんな電池を入れるものだったかもよくわからず、無いのと同じです。

停電中は、本当にやることがないので、しばらく母と2人でしゃべっていましたが、もう寝るしかないです。

それで、2階の寝室に上がって行きましたが、それでもそんなに早く寝られるわけもなく、窓から外を眺めたりしていました。

不思議なことに、空が明るいのです。月や星が出ているわけはなく、台風の厚い雲に覆われているのに、空は黒ではなくグレーのようで、周囲の景色まで見えるのでした。

目が暗闇に慣れてきたからでしょうか?人間の目って、暗闇でも見えるようにできてるのかな?

時々自動車が通ると、そのライトはとても明るいものでした。

そして、近所の家の窓から小さな光が動いたりしていました。やはり懐中電灯やランタンを点けているようでした。

そのうちウ~ウ~とサイレンの音がして、赤いランプを回転させながら緊急車両が、200mくらい離れたところにやってきて止まりました。

すると、近所の数軒から人々が懐中電灯を持って緊急車両のいるほうに様子を見に歩いて行くようでした。

それから、しばらくするとそれぞれに自分の家に戻っていきました。

緊急車両も立ち去りました。特に何事もなかったようでした。

近所の人も、他にすることがないので、様子を見に行くくらいしかすることがなさそうです。

風雨は危険なほどのものではありませんでした。

その後も眺めていると、向かいのお宅の御夫婦が家から出てきて自動車に乗り込みました。

いったい何をしてるんだろうと思いましたが、ああ、おそらく車の中でラジオを聴いているのかもしれません。

テレビも見られるかもしれません。

そうなのだ。車とは便利なものですね。それに、スマホの充電もできますよね。

実家には車がないので、そういうことはできないのです。

やはりコンセントをつながなくても使えるラジオがあったらよかったです。

それから、お湯を沸かすだけのカップヌードルを自宅から持ってくればよかった。

実家の母はカップヌードルさえ買ってありません。

そして、私が以前レトルトのスパゲッティーソースを持って行ってあったので、スパゲッティーをゆでてそれをかければよいと思ったら、パスタは無いのだそうです。が~ん。

本当に備えのない実家母です。

ご飯は、米も残りわずかだと前日に母が言っていたので、私が途中で買っていくと言ったら、私が到着する前に母が買ってきたそうです。

ご飯は、ガスコンロで鍋で炊くしかないです。

外部との連絡はスマホの充電がなくなると、あとは母の見守り携帯で私の夫と連絡できますが、その充電が減っていったら終わりです。

しかし、幸いにも電話線が生きていました。実家には電話が1階と2階にありますが、2階の電話が旧式で単純なもので、電気のコンセントが要らないものでした。そうすると、うちの東京の家の電話と会話をすることができました。

1階の電話機は電気を入れないと使えないものなのでダメでした。いざというときは、2階の古い電話から東京の自宅電話に連絡することができることがわかりました。

古いものは良いですね。

室内のライトもですが、リモコンのスイッチだとオフにすることができません。

暗いから寝てしまうことにして、復帰したときに、勝手に電燈がつかないようにスイッチを消しておこうとしたのですが、リモコンのものは操作不能です。

テレビは主電源を手で押して消しました。

・・・

台風は6時頃上陸していて、その後次第に周囲が穏やかになっていきました。夜の9時くらいになると雨もやんで風もありません。

また、外では、時々車が通って行きます。いったいどこへ行くのでしょう?

住宅街で家以外には何もないし、店などは開いているはずもないのに、そっちの方向に走っていきます。

もしかして、ヒマつぶし?と思いました。

国道などの交差点は信号も消えていると思います。しかし、住宅街には信号はありません。

そういう道路を車が走りまわっているみたい。

車を走らせながらラジオを聴いたり音楽を聴いたりしているのかもしれないなと思いました。

暗闇の中で、本当に家では何もすることがないのです。車はいいですね。

・・・

それから、10時くらいには本格的に寝てしまいました。

夜中に目を覚まして外を見ると、きれいな星が出ていました。

街灯は点いていません。見渡すかぎりどの家も電気は点いていません。

そして、また布団に入ると、急に電気がつきました。

復帰したときに電気が点くように和室の電燈のひもを1回引っ張っておいたからです。

階下に降りると、部屋の電気が煌々と点いていました。リモコンで消すことができなかったからです。

・・・

停電時の今回の教訓。

食べ物は、ガスでお湯を沸かすだけでできるようなものを用意しておくこと。

電池式、手回し式のラジオがあったらよい。

車は便利。

 

 

 

 

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東海道線と湘南新宿ライン

2019-10-14 13:48:43 | 日記2019
この頃、ロマンスカーばかり乗っていたので、JRのことがよくわかりません。
昔、湘南新宿ラインが無いころは、よく東海道線で品川や東京に行っていました。
東海道線から湘南新宿ラインへは、平塚か横浜で乗り換えるようです。つまりその区間はどっちも走ってるってことみたい。
そこで、東海道線で小田原から横浜まで行って、ご飯でも食べて湘南新宿ラインに乗ろうと思っていたのですが、東海道線がどんどん混んできて、網棚のボストンバッグが下ろせなくなりそうです。席をずれたので、自分の真上じゃないところに載ってるからです。
平塚で、ふとみると隣のホームにがらがらの湘南新宿ラインが止まっていました。
あ、ここで乗り換えたほうがいいかもと思ってあわてて降りました。
湘南新宿ラインは東海道線に数分遅れて発車。このまま新宿まで座っていけます。
東海道線より空いています。
しかし、横浜で降りるなら関係なかったなあ。
このまま新宿まで行くと、完全昼食抜き。どっちみちランチの時間は過ぎちゃうね。
お腹すいた~




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まさかのロマンスカー不通

2019-10-14 11:32:53 | 日記2019

ロマンスカーで帰ろうとしたら、新松田と秦野の間で土砂崩れがあり、終日不通らしい。

JR東海道線で帰ることにします。ロマンスカーのなかでお弁当食べようと思ってたのになあ。。。
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台風後

2019-10-14 00:55:23 | 日記2019
各地で河川の氾濫や停電などの被害が出ていますね。
やっぱり、大変な台風でした。
私の実家地域では、昨夕から10時間停電で、結局夕飯を作らず、風呂にも入らず、早く寝てしまいました。料理はガスが使えますし、お風呂は前夜の夜間電気で沸かしたお湯が蛇口から出ます。
しかし、ランタンの灯りで、料理をしたり、体を洗ったりするのってかなり不便。テレビはつかない。スマホの充電は切れる。電池のラジオがあればよかった。車があれば、ラジオ、テレビから情報がとれましたね。スマホも車があれば充電できました。
何もやることがなく、母としゃべっていましたが、早く寝ました。夜明け前に電気がついてホッとしました。電気のありがたさが身にしみます。
きょうは、青空のさわやかな日でした。
しかし、上陸した静岡県ではなく、別の広範囲の地域で大きな被害が出たのには驚きます。まだ、停電しているところも多いようです。
早く平穏な日常にもどれますように。
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静岡暴風雨中

2019-10-12 01:36:32 | 日記2019
静岡県東部、かなり荒れてきています。1:20
明日の朝は、まだ電車が動くそうですが、本当に動くのでしょうか?
東京は昼ころから電車が止まるそうですが、この調子では、電車が止まる前から風雨は激しくなっているものと思われます。
色々なお店などで、休業が発表されていますが、そんな中でも、出勤しろという職場もあり、朝行ったはいいけど、帰れないのではとも思えます。
休業にしてくれればいいのに、バイトやパートタイマーに丸投げしている職場もある。
病院や介護施設などは、台風であろうと休めないのはわかります。警察や消防や自衛隊や防災課の人や避難所に携わる人たちも、職務を全うしないといけない。しかし、台風の中で、必要不可欠ではない施設だったら、不要な外出は避けて休業にしたほうがいいと思います。
本当に安全を第一に考えるべきだとおもいます。
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