山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

小野さつき殉教の碑の白鳥さん

2009年12月21日 | いきもの
宮城県白石川に「小野さつき殉教の碑」があります。

殉教というと、私はどうしても今は亡き私の恩師、星先生のことが偲ばれてなりません。
星先生は、東北におけるキリシタン殉教の歴史研究をしていましたが、グランドキャニオンを旅するのが夢で、私立高校教師をしながらコツコツと準備をし、とうとう夢を叶えたその地で偶然の事故にあい、命を落としてしまいました。
星先生のキリシタン研究は完結しないまま「愛熱の炎」と題して、自費出版されました。

今でも広瀬川の畔には、カルバリョ神父とふたりの弟子の前の銅像が残っています。
仙台七夕前夜祭の花火大会では、大勢の方がその銅像の前を行き来しているはずです。
私はそのたび、かつて3代将軍徳川家光のキリシタン禁教令の時に行われたキリシタン弾圧のむごさを星先生の声の記憶と共に、思い出されるのでした。


話は反れましたが、小野さつきさんの「殉教」はキリシタン弾圧の出来事ではありません。



明治34年刈田郡福岡村(現:白石市)生まれの小野さつきさんは、白石実科高等女学校(現:白石女子高校)を卒業後、宮城県女子師範学校(東北大学教育学部の前身)を大正11年に卒業。
刈田郡宮尋常高等小学校(現:蔵王町宮小学校)の教師となったその年7月、担任をしていた4年生児童56人を連れ、白石川に野外写生にでかけますが悲劇が起こりました。

授業も終わる頃になって、暑さのあまり数人が川遊びを始め、そのうち3人が雨で増水していた川に流されてしまいます。
これに気がついた小野さつき先生はとっさに着衣のまま飛び込み、2人はすぐ助け出すことができましたが、最後の1人を助けようとして川に飛び込むと、生徒にたどり着いたところで力尽き、激流にのみこまれていってしまったそうです。



小野さつき先生が命をかけ、生徒を救ったということはその当時話題となり、小野先生をたたえる唱歌を作ろうということになり、実業之日本社「婦人口論」が300円(当時)の懸賞金で1週間という期間で全国から詩を募集したところ、約6000詩の応募があったというエピソードが残っています。

また、宮小学校門前に建つ殉職記念碑には、全国から2万円(現在の金額で約3300万)が集まったそうです。

三波春夫さんも「花咲く墓標」という歌で、小野さつき先生をうたったそうです。

蔵王の峰から流れ落ちる 白石川の小々波(さざなみ)に呼べど還らぬ 小野先生
あゝ七夕の星空に 偲ぶ涙の小野先生

尊い命を子供の為に 捧げて逝きし白百合の姿も優しい 小野先生
あゝ七夕の夕月も 泣いて呼んでいる小野先生

貴女の命が教えた愛は みんなの胸の奥底に生きております 小野先生
あゝ七夕の今宵こそ 仰ぐ気高き小野先生



現在では、その場所は住宅地となり、川の流れも穏やかな浅瀬と変化しました。



宮城蔵王の崇高たる景色と共に、白石川は地元の皆さんに愛されています。



現在は、白鳥飛来地となっています。



白鳥さんがドンブラコ、ドンブラコとこちらに近づいてきます。

子供の白鳥はグレイの毛色をしていますので、すぐにわかります。



育ち盛りだけあって、食欲も旺盛のようです。

パンを直接あげると、優しくパンをとりに来てくれました。

いつの間にかあたりは、ゆるりと冬の黄昏に包まれてゆくのでした。