ここ2,3日雪が積もったままです。このまま根雪になるとしたら、今年は早いですね。
拓殖大道短大教授だった相馬暁氏の闘病中の思いが北海道新聞に掲載されていた時期があって、その切り抜きが一枚ポロッと出てきました。この方はもうこの世にはいらっしゃいません。
2004年10月6日第22回目の掲載分です。
みずみずしい心を
「雲を 空を 野原を 林を 小川のせせらぎのように あなたに語りたい。愛を 孤独を 小さな日々の出来事を 忍び寄る夕闇のように あなたに語りたい。静かに 優しく はるかな悔悟のまなざしで あなたに語りたい。私は水 私は夕日 私は愛…」
青春の残光も忘却のかなたへ駆け去った今、自分自身でも定かではないが、遠い昔、私が愛する人へ送った詩かも知れない。
今思えば、二十歳のころ、間違いなくキラキラ光り輝くものを内に秘めていた。みずみずしい感性を持ち、深く人を愛し、熱く恋を語る心を持っていた。悲しい片思いに胸を焦がしもした。
しかし気が付くと、生きてくる過程で、大人になる過程で、その輝くものを惜しげもなく捨て、愛を、恋を語る心を、どこかに置き忘れてきた。その代償として社会的成功や地位などを得てきたのかもしれない。恐らく、人はそのようにして成長するもの、淋しいが、大人になるということは、内に輝く黄金と外(社会)に横たわる汚泥とを取り替える、はかない作業の連続なのでは…。
ところが今、病と向き合う日々を歩み始めると、不思議とみずみずしい心がよみがえってきた。恋を、愛を語る心が、埋もれ火のように、胸底に絶えずに生き続けていたことに気付いた。
このみずみずしい心を失うことなく、妻に、娘に、あなたに照れることなく、「愛している」と語りたい。この世は光と言葉の世界。沈黙は墓場の向こうの世界だけで十分だ。そう、このみずみずしい心を閉じこめるような大学なら、未練なく辞めよう。それが残された時間を楽しむことでは…
拓殖大道短大教授だった相馬暁氏の闘病中の思いが北海道新聞に掲載されていた時期があって、その切り抜きが一枚ポロッと出てきました。この方はもうこの世にはいらっしゃいません。
2004年10月6日第22回目の掲載分です。
みずみずしい心を
「雲を 空を 野原を 林を 小川のせせらぎのように あなたに語りたい。愛を 孤独を 小さな日々の出来事を 忍び寄る夕闇のように あなたに語りたい。静かに 優しく はるかな悔悟のまなざしで あなたに語りたい。私は水 私は夕日 私は愛…」
青春の残光も忘却のかなたへ駆け去った今、自分自身でも定かではないが、遠い昔、私が愛する人へ送った詩かも知れない。
今思えば、二十歳のころ、間違いなくキラキラ光り輝くものを内に秘めていた。みずみずしい感性を持ち、深く人を愛し、熱く恋を語る心を持っていた。悲しい片思いに胸を焦がしもした。
しかし気が付くと、生きてくる過程で、大人になる過程で、その輝くものを惜しげもなく捨て、愛を、恋を語る心を、どこかに置き忘れてきた。その代償として社会的成功や地位などを得てきたのかもしれない。恐らく、人はそのようにして成長するもの、淋しいが、大人になるということは、内に輝く黄金と外(社会)に横たわる汚泥とを取り替える、はかない作業の連続なのでは…。
ところが今、病と向き合う日々を歩み始めると、不思議とみずみずしい心がよみがえってきた。恋を、愛を語る心が、埋もれ火のように、胸底に絶えずに生き続けていたことに気付いた。
このみずみずしい心を失うことなく、妻に、娘に、あなたに照れることなく、「愛している」と語りたい。この世は光と言葉の世界。沈黙は墓場の向こうの世界だけで十分だ。そう、このみずみずしい心を閉じこめるような大学なら、未練なく辞めよう。それが残された時間を楽しむことでは…