1965年
畑口健二(18) 身長1・78メートル 体重八〇キロ 左投左打 背番号62 外野手。
彼は大洋ホエールズの研修生である。彼の一日は実にめまぐるしい。朝は九時起床。身のまわりをかたずけ掃除をすませると十一時からは厳しいトレーニングがまちかまえている。諸先輩にまじり約二時間彼は真剣になって体力造りに精を出す。ナマけたり、たるんだりしていると、すぐ先輩やコーチたちから畑口たるんどるぞ!と雷が落ちる。研修生の身分であるだけに少しの気のゆるみも許されない。苦しい辛い練習が終わっても、彼は休む暇もない。練習の次に必要な学問の勉強が待っている。彼は今法政大学付属第二工業高校夜間部に通っている。横浜高校を中退して飯より好きな野球をやりながら勉強しているのだ。学校への通学は自転車だ。足腰を鍛えるためにも、これが一番いいそうだ。夕食をかき込む暇もなく五時に大洋の合宿を出る。帰宅する頃はもう日はどっぷりと暮れ、時計は十一時を指す。帰るやすぐ、もうすっかり冷えきった夕食をとる。しかしこれで彼の日課が終ったのではない。シーンと静まりかえった室内練習場で、あるいは外でバットの素振りを何十回ともなく繰り返す。床に就くのはきまって十二時を過ぎるという。練習を終えた午後のひとときは、学校の予習に、復習に余念のない彼である。隣室の先輩新治選手はこんな彼の良きアドバイザーであり、家庭教師でもある。苦手な英語はきまって新治選手に見てもらう彼である。こんなスケジュールいっぱいの生活を送っている彼を支えているのは早く一人前の選手になりたい!これだけだ。だから彼はいう。「辛くっても、ちっとも苦じゃないです。僕には大きな夢がありますから」と…。彼の目標はなんでも近藤和彦選手らしい。左打ちの共通点もさることながら、あのすばらしいバッティングとグラウンド上でのマナーの良さにあるのだろう。今日も彼は元気いっぱい多摩川グラウンドを走りつづけている。
畑口健二(18) 身長1・78メートル 体重八〇キロ 左投左打 背番号62 外野手。
彼は大洋ホエールズの研修生である。彼の一日は実にめまぐるしい。朝は九時起床。身のまわりをかたずけ掃除をすませると十一時からは厳しいトレーニングがまちかまえている。諸先輩にまじり約二時間彼は真剣になって体力造りに精を出す。ナマけたり、たるんだりしていると、すぐ先輩やコーチたちから畑口たるんどるぞ!と雷が落ちる。研修生の身分であるだけに少しの気のゆるみも許されない。苦しい辛い練習が終わっても、彼は休む暇もない。練習の次に必要な学問の勉強が待っている。彼は今法政大学付属第二工業高校夜間部に通っている。横浜高校を中退して飯より好きな野球をやりながら勉強しているのだ。学校への通学は自転車だ。足腰を鍛えるためにも、これが一番いいそうだ。夕食をかき込む暇もなく五時に大洋の合宿を出る。帰宅する頃はもう日はどっぷりと暮れ、時計は十一時を指す。帰るやすぐ、もうすっかり冷えきった夕食をとる。しかしこれで彼の日課が終ったのではない。シーンと静まりかえった室内練習場で、あるいは外でバットの素振りを何十回ともなく繰り返す。床に就くのはきまって十二時を過ぎるという。練習を終えた午後のひとときは、学校の予習に、復習に余念のない彼である。隣室の先輩新治選手はこんな彼の良きアドバイザーであり、家庭教師でもある。苦手な英語はきまって新治選手に見てもらう彼である。こんなスケジュールいっぱいの生活を送っている彼を支えているのは早く一人前の選手になりたい!これだけだ。だから彼はいう。「辛くっても、ちっとも苦じゃないです。僕には大きな夢がありますから」と…。彼の目標はなんでも近藤和彦選手らしい。左打ちの共通点もさることながら、あのすばらしいバッティングとグラウンド上でのマナーの良さにあるのだろう。今日も彼は元気いっぱい多摩川グラウンドを走りつづけている。