プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

岡本教平

2015-01-18 19:40:35 | 日記
1954年

今夏の都市対抗野球で鐘化を相手にノーヒット・ノーランの快記録を樹立して一躍注目を浴びた川崎トキコの岡本教平投手(20)=掛川西高=は既報のようにパ・リーグ近鉄パールス入りが噂されていたが、このほど同球団と正式契約を行った。同投手は五尺六寸、十五貫五百右投右打でシュートが武器である。
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青雲光夫

2015-01-18 18:58:47 | 日記
1977年

阪神・青雲投手がテスト生のルーキーながら、安芸キャンプのメンバーに入った。掛布でさえ入団した年は甲子園残留だった。今年はメンバーも投手12人、野手16人と、昨年に比べて10人減。これだけでも異色の大抜擢といえるだろう。昨年秋の新人テスト。青雲はテッポウ肩にものをいわせて、遠投でなんと120メートルも投げた。首脳陣の度肝を抜いた自慢の肩は、ピッチングでも他のテスト生を圧倒。阪急・山口に似た力のピッチングに山口二世の呼び声が飛んだものだ。日に日に上がる青雲株。かつての大先輩、村山(開設者)でさえ、太鼓判を押した。「こいつはものになるで、球に力があるし、フォームもまとまっている。甲子園のキャンプのとき、一目見ておこう」といっている。青雲の名前から、すぐに頭に浮かぶのが青雲の志という言葉。いなその名の通り、安芸キャンプで汗と泥にまみれる青雲。「とにかく無我夢中でやるだけです。力いっぱいがんばります」言葉少ないが、意志の強い好青年、江本、古沢らにまじって思い切ったピッチングを続けている。皆川コーチだけでなく吉田監督の期待も大きい。「青雲を安芸キャンプのメンバーに入れたのは、それだけ素質があるとみたからです。それと若い人にチャンスを与えることによって、また全員の刺激になればと思っています。厳しい人選の中から選ばれた青雲は、死にもの狂いでやってくれるでしょう」吉田監督のねらいはでっかく、第二の掛布的存在になってもらうことである。掛布も入団したときは全くの無名。それでも努力次第ではスターになれるという見本だろう。それがひいては他の若手にも希望を持たせ、チーム全体に活気が生まれるというものである。176センチ、72キロ。プロ選手としては決して恵まれた体ではない。そのうえ2年間のブランクがある。平田高(島根)を卒業して神奈川大野球部へ、しかし2年の夏どうしてもプロでやってみたいと心を決め中退、田舎の印刷会社に勤め、営業マンをやっていた変わり種。だが野球をやりたい気持ちには変わりなかった。そして昨年9月、テストマッチを受けた先が巨人だった。ここでも力は認められ「合格したものと思ってくれ」と、あるスカウトから耳打ちされた。だが待てど暮らせど合格通知はこない。全くのナシのつぶてであった。たまりかねて阪神のテストを受けたわけである。「だからなんとかして巨人を見返してやろうという気持があります。そのためには早く認められるようになりたい。これはボクの意地です」本人のヤル気もさることながら、呑み込みの早さでも早くも非凡なところを見せている。つい先日のことだった。皆川コーチがフォークボールに似た握りの、沈む球を教えた。ところがその場で納得してしまったから皆川コーチもびっくり。「先天的にセンスを持っているのと違うか。徹底的に鍛えれば、ほんまに楽しみやで」と報道陣にもふれてまわるほどだった。一躍脚光を浴びるようになったルーキー青雲。長田球団社長にも「名前がいいですがな。順調に育ってほしいものです」と目が止まり、まずは幸運なスタートを切った。あとは青雲の努力でどこまで伸びるか。ファンは第二の掛布を待っている。
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西野忠臣

2015-01-18 15:12:42 | 日記
1960年

キャンプ・インいらい、シートノックでとくに目をひくのが三塁を守っている西野だ。右投げ右打ち、広島県の忠海高出身で二年生。投手で入団したことしも投手として発表されているが、工藤と松下の抜けた穴を埋めるべく内野に転向したもの。高校では二年生まで遊撃を守り、三年生になってから強肩を買われてマウンドをふんだが、三番を打ち、むしろ荒けずりな打力が高く買われていた。投手としての西野は1メートル78、70キロの体格を利してスリー・クォーターから投げ込むストレートと、ナチュラル・シュートがよかったが、昨年夏の二軍の北海道遠征のあとで転向した。「長嶋さんや広岡さんと一緒にやろうというんですから、レギュラーになるのはたいへんなことだと思ってますが…」と語りながらも不敵な笑顔をみせるあたり、たのもしさがあふれている。キャンプでは内外野あわせて十六名しかバッティングをやらせなかったが、西野もそのうちの一人として打っていた。色黒で、みるからにたくましく、中西(西鉄)をひとまわり小さくした感じで、一緒にノックを迫っている長嶋も、「肩がいいし、球をこわがらない。素質はあるネ」と評している。球をこわがらないところは水原監督の好みにピッタリだが、広岡、土屋、藤本伸にない野性味をもった西野のデビューは、打力しだいであんがいはやくなりそうだ。
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田中一朗

2015-01-18 14:29:19 | 日記
1961年

「田中一殊勲の代打同点ホーマー」三十三年のシーズンには、よくこんな見出しが新聞紙上を飾ったものだ。それが三十四年、三十五年と鳴かず飛ばずで、つい昨年末、自由契約選手となり、南海から去ることになった。契約更改の席上で、ユニフォームを脱ぎ、中モズの寮長役をしてくれないかと要請されたとき、田中は「故障つづきで満足な成績を収めることができなかったぼくなのに、こんな形でも南海に残してくださろうとしているのはありがたいと思う。あくまでも現役でやりたいが、転機にきていることは自分でもわかるし、よく考えてから結論を出す」と、このポストにつく気配が濃かった。ところが、「自由契約選手にしてくれ」と申し出て、本人の希望で自由契約選手になってしまった。「会社の厚意はよくわかる。しかし教育係になってくれというのはユニフォームを脱いでくれということ。ぼくにはまだ選手としてやるという道を選ぶ権利はある。それで自由契約選手にしてもらった。来てくれというところがなかったとき、同じ選手を辞めるのなら、ぼくはあっさり野球を捨て、ほかの仕事をするつもりだ。だから南海には残らない」選手でなかったら野球をよすという考えも彼らしい一途なところ。
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東谷篤

2015-01-18 12:27:24 | 日記
1962年

「あいつはまじめだし、よくなるぜ」と柚木監督が推奨している若いバッターに東谷外野手がいる。ことし、ウエスタン・リーグで優勝を飾った南海のファームで、中盤から終盤にかけてグンとのしてきた若手だ。クリーンアップを打てるまでに成長して首脳陣は早く一軍に送りこもうと必死だ。名門浪商から南海入りして、ことしが二年目の東谷は、1メートル78、72キロと何よりも体がいい。そのうえ脚力、肩も悪くないとあって、三拍子そろった好選手。阪神とのオープン戦には姫路、岡山両球場に晴れて参加、しかもスターティング・メンバーに顔を連ね、岡山での試合は、セの最高殊勲選手村山から左中間に二塁打を奪って気を吐いた。「うちは毎年誰かファームから一軍選手が誕生したもんだが、最近は森中ぐらいで、ちょっと使える選手が出ていない。それだけにこのあたりで投手でもいいし、バッターでもいいから、いきのいい選手を出さねば…」と語っていたのはファームのコーチから現役に帰り咲いた岡本だ。コーチ時代の岡本が懸命に若手を育てあげようとしていたのは知られているが、その中で嘱望されていたのが白野、中島、小泉、山本らで、東谷はとくに目をかけられていたわけではない。その東谷が一躍一軍への道のトップに躍り出た。「外野手でよく打てる選手を…」と期待している首脳陣に、東谷の台頭は明るい誤算だ。岡本、森下、野村、広瀬のあとを継ぐ無名選手のスター誕生にあと一歩。東谷のこんごの精進を期待したいものだ。
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玉井英紀

2015-01-18 12:00:49 | 日記
1961年

こころで、少しばかり、陽の当らない二軍選手の苦労話を紹介しよう。ことしでプロ入り三年目の玉井英紀選手だ。玉井選手は、今治西高(愛媛県)のピカ一として鳴らし、二年前西鉄入りしたが高校時代痛めた肩が治りきらず投手としては芽が出なかった。ところが、高校時代四番を打った打力を買われて、昨シーズン中途から打者に転向した。そして、ウエスタン・リーグでも二番を打ったり、六番を打ったりしたが、打力はともかく、はじめての二塁守備には、まごついたらしい。「それでもやり甲斐がありますよ」ときわめて意欲をのぞかせているが、打力の点ではとくに豊田選手が目をかけており、玉井もこれに力を得て張り切っている。「豊田さんには、いつもワキが甘いから、注意しろといわれるんです。プロの投手はシュートが多いから、どうしても打球が飛ばないんです。でも、今シーズンは三年目でしょう。ことしもしダメだったら、それこそとり残されてしまいますからね」そしてまた、「二軍といっても、ウエスタン・リーグで三割をマークしないことには、一軍昇格の夢は果たせません。だから、昨年の経験をいい土台にして、今シーズンはこの打率三割に挑戦するつもりでいます」華やかな一軍選手と違って二軍選手の願いは切実であり、きびしいものを感じさせる。
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平岩文夫

2015-01-18 11:27:24 | 日記
1961年

「うちの補強は12球団随一だよ、こんなに補強している球団が他にありますか、え?」と、このところご機嫌の石原代表ではあるが、このほどまた名古屋商大卒の平岩文夫選手と契約した。この平岩選手は、身長1・68メートル、体重90キロとお相撲さんにしたいような体格である。学生時代にはキャプテンとして外野と捕手をこなすほどの器用さがあり、その怪力はすばらしいという。四年間の在学中でホームラン12本をカッとばし、契約する前に駒沢球場で練習したときには、20本くらい打ったうち6~7本はスタンドに入れ、2本は完全な場外だった。「背は低いが、体が非常に柔軟で、足も早い方だ。いうならば西鉄の中西君を小型にしたような選手だ。東映の代打要員としてのびていってもらいたいものだ」と石原代表の言葉。水原監督のもとでどんな選手に鍛えられるか、平岩の努力いかんでは、東映から第二の中西が誕生するかもしれない。
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