1977年
阪神・青雲投手がテスト生のルーキーながら、安芸キャンプのメンバーに入った。掛布でさえ入団した年は甲子園残留だった。今年はメンバーも投手12人、野手16人と、昨年に比べて10人減。これだけでも異色の大抜擢といえるだろう。昨年秋の新人テスト。青雲はテッポウ肩にものをいわせて、遠投でなんと120メートルも投げた。首脳陣の度肝を抜いた自慢の肩は、ピッチングでも他のテスト生を圧倒。阪急・山口に似た力のピッチングに山口二世の呼び声が飛んだものだ。日に日に上がる青雲株。かつての大先輩、村山(開設者)でさえ、太鼓判を押した。「こいつはものになるで、球に力があるし、フォームもまとまっている。甲子園のキャンプのとき、一目見ておこう」といっている。青雲の名前から、すぐに頭に浮かぶのが青雲の志という言葉。いなその名の通り、安芸キャンプで汗と泥にまみれる青雲。「とにかく無我夢中でやるだけです。力いっぱいがんばります」言葉少ないが、意志の強い好青年、江本、古沢らにまじって思い切ったピッチングを続けている。皆川コーチだけでなく吉田監督の期待も大きい。「青雲を安芸キャンプのメンバーに入れたのは、それだけ素質があるとみたからです。それと若い人にチャンスを与えることによって、また全員の刺激になればと思っています。厳しい人選の中から選ばれた青雲は、死にもの狂いでやってくれるでしょう」吉田監督のねらいはでっかく、第二の掛布的存在になってもらうことである。掛布も入団したときは全くの無名。それでも努力次第ではスターになれるという見本だろう。それがひいては他の若手にも希望を持たせ、チーム全体に活気が生まれるというものである。176センチ、72キロ。プロ選手としては決して恵まれた体ではない。そのうえ2年間のブランクがある。平田高(島根)を卒業して神奈川大野球部へ、しかし2年の夏どうしてもプロでやってみたいと心を決め中退、田舎の印刷会社に勤め、営業マンをやっていた変わり種。だが野球をやりたい気持ちには変わりなかった。そして昨年9月、テストマッチを受けた先が巨人だった。ここでも力は認められ「合格したものと思ってくれ」と、あるスカウトから耳打ちされた。だが待てど暮らせど合格通知はこない。全くのナシのつぶてであった。たまりかねて阪神のテストを受けたわけである。「だからなんとかして巨人を見返してやろうという気持があります。そのためには早く認められるようになりたい。これはボクの意地です」本人のヤル気もさることながら、呑み込みの早さでも早くも非凡なところを見せている。つい先日のことだった。皆川コーチがフォークボールに似た握りの、沈む球を教えた。ところがその場で納得してしまったから皆川コーチもびっくり。「先天的にセンスを持っているのと違うか。徹底的に鍛えれば、ほんまに楽しみやで」と報道陣にもふれてまわるほどだった。一躍脚光を浴びるようになったルーキー青雲。長田球団社長にも「名前がいいですがな。順調に育ってほしいものです」と目が止まり、まずは幸運なスタートを切った。あとは青雲の努力でどこまで伸びるか。ファンは第二の掛布を待っている。