プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

平山正行

2015-01-24 23:35:34 | 日記
1955年

平山正行(左投左打、18才)成田高校、六尺、十九貫六百。

今夏南関東代表として甲子園に出場した成田高校の四番打者、一鍬田、平山、牧野と並んだ成田高のクリン・アップ・トリオは指導に当たった大昭和製紙の浅井あるいは明大の穴沢などの先輩達から大学級の折紙がつけられたものだ。高校当時は主戦牧野のリリーフとして制球に難はあるが、そのスピードは牧野を上回るものがあったので、左投手難の南海では打力を伸ばすか投手となるかはキャンプの課題となろう。巨人、大映、立教大、専修大からの誘いの手が伸ばされていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡田勉

2015-01-24 23:27:12 | 日記
1954年

「隠れた好投手」としてその去就を注目されていた京都大谷高校の岡田勉投手=18才、京都府綴喜郡井手町石垣=はさる十一日パ・リーグ南海と仮契約を結んだ。同投手は五尺八寸、十七貫五百右投右打で今夏の高校野球京都予選では対河守高戦にノーヒット・ノーラン(七回コールド)を記録し、対東舞鶴高戦には三振23(延長十三回)を奪い、四試合合計五十個(前岡投手は五試合に六十四個)の三振奪取という戦後の京都高校最高を記録している、不幸にして甲子園の檜舞台はふめなかったが、右腕から投ずる外角低目のカーブには相当な威力がある。

岡田投手の談 南海、阪神から話がありましたが、南海のチーム・カラーにあこがれ入団を決意しました、どこまでやれるかわかりませんが、一生懸命やりたいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長光告直

2015-01-24 22:51:09 | 日記
1954年

長光告直(18)廿日市高、五尺六寸、十六貫、右投右打

西尾同様、将来を嘱望されているが西尾の本格派と異なって横手投、あるいは下手投げと独特のモーションからくりだす変化球に威力を秘めスピードもある。
体格のうえではやや恵まれない感もするが、そのスピード、コントロール、ドロップともに申分はなく、はやくも宅和二世の折紙がつけられている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八名信夫

2015-01-24 22:26:01 | 日記
1954年

八名信夫(右投右打、20才)岡山東高ー明大、五尺八寸、十八貫

秋山ー土井につづいて岡山東から明大入りした右腕投手、公式戦にはまだ登板した経験がなく、まだ未完成の域を出ないが、仕込み方いかんでは面白い投手となろうーというのが球団側の先物買いの弁、学業半ばでプロ入りする、姓は「ヤナ」と読む。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富永格郎

2015-01-24 22:24:26 | 日記
1954年

富永格郎(右投右打、18才)立命館高、五尺九寸、二十貫、眼鏡をかけているのが難点だが、その体格、球速は優に大学級の選手、今夏の全国大会でもさきに大洋入りした松井投手と投げ合い4-1と若狭高を破り、津久見高戦には6安打散発、奪った三振6個、与えた四球5個で3-0とシャット・アウト、惜しくも準々決勝で坂出商に2-1と惜敗したが豪快なモーションからくり出すシュートの冴えは、ハワイ遠征後一段と増したスピードに効果を倍加させて、来季の活躍が早速期待される投手である。東映のほかに南海、西鉄、阪急、大映、巨人、中日などが狙った好投手。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐藤良一

2015-01-24 21:53:39 | 日記
1954年

佐藤良一投手…(19、盛岡工高ー日石カルテックス)5尺7寸、17貫、右投右打、今夏の都市対抗では日本鋼管の補充選手としてわずかしかでていないが、今春のベーブ・ルース杯で大昭和を苦しめ、開国百年祭記念大会では全鐘紡をなでぎり、産業別大会でも健投した実績をもつ、スピードが生命の本格派投手だが、青池コーチは自分がみたうちでこれだけの素質をもっているのは初めてだと楽しみにしている。富士鉄の小武方獲得に動いた近鉄が、その力量を小武方以上とみて急に佐藤にきりかえ、南海と争って獲得した裏話がある。力の投手が少ない近鉄ではすぐにでも使える頼もしい若武者。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石原修治

2015-01-24 21:10:35 | 日記

1977年

近鉄に掛布二世?が現れた。ドラフト二位ルーキー石原修治内野手(18)=182㌢、72キロ、右投げ右打ち=がその期待の若手。掛布と同じ千葉県の出身(我孫子高)。中央球界では全くの無名だが、西本監督が一目見ただけで「アイツはスターになりよるで」と太鼓判を押したほど。西本監督といえば49年の対阪神オープン戦。当時無名の新人で打席に立った掛布の素質を見抜いていた人。「バッティングセンスは素晴らしいものがある。リストが柔かくてフォームもしっかりしている。将来は必ず出て来る選手や」こういって報道陣に予言したものだった。その掛布の姿を現在の石原にみるという。「パンチ力はいいし、顔、スタイルどれをとってみてもスターになる素材を持っている」鬼の監督がこれほどホメるには、やはりそれなりの魅力を感じているからだろう。甲子園経験は一度もなし。中央球界では全くの無名であった。それでいてドラフト2位に指名したのには、やはり将来性を高く買ってのことである。一番の魅力は160メートルもの超特大ホーマーを記録したパンチ力。昨年4月の招待試合、左翼場外はるかかなたに消えたボールに、両軍ベンチはただあっけにとられたとか。並の選手ではいくら力んでも生まれないホームランであった。秘めた素質に根っからの練習好き。こんなところからも掛布二世の声がかかるゆえんである。やはり昨年春のことだった。足をネンザして、全治1か月の診断。しかし「休みたくありません」といい張ってつづけた練習がまたすごかった。痛む足を庭の木にしばりつけ、素振りに暮れたのである。念願のプロに入ったいま、石原の目標は一も二もなく掛布である。「同じ千葉県の出身ですし、トシも近い。ボクも努力すれば…。精いっぱいがんばってみます」手薄な内野陣に泣く西本近鉄。石原にとっては大きなチャンスといえる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮崎一夫

2015-01-24 11:20:36 | 日記
1952年

五尺六寸そこそこの上背では小柄な部類に属する投手である。しかし、体重は十七貫近くある。そうなると小さいということがいえなくなる。骨格にもたくましさがあって、ちょうど小牛の感じである。肩幅の広い、肉のしまった体質は、どうみても野球選手向きである。年令、僅か二十歳、非常に若い、将来を大いにたのしませてくれる投手である。宮崎一夫とは、こんなプレイヤーである。四月十三日、川崎球場でのことだ。場内アナウンス嬢が、「ピッチャーの交代をお知らせ致します。毎日のピッチャーは宮崎であります」…。スタンドのあちこちでは、ファンが、何かこそこそと小話を始めた。そして、拍手がまき起こったのだ。川崎といえば工業都市として有名なところだが、バクチの盛んなことでも著名なところだ。野球場に近接する競輪場は、きょうも一攫千金をねらう人で一杯だし、競馬場も近いスポーツ・バクチの街といわれるところではあるが野球の好きなことでも秀出した空気を持っている街でもある。それは工業都市なるがために数多くの工場が立ちならんでいる。コロンビア、東京機器(トキコ)いすゞ自動車、東芝などその煙突は数えきれない。そして、各工場には、それぞれ強い野球チームが編成されている。ノンプロでは有名な日本コロムビア、川崎いすゞ、トキコなどは、みんなここで産まれたのだ。この宮崎だって、川崎市からプロ入りした一人ではないか。スタンドには、宮崎が出ることを予期して入場した者もあろうが、多くは場内アナウンスによって初めて宮崎の登板を知ったようなものだ。だから、思わず郷土の選手に拍手を送ったのである。ところでこの日の宮崎はプロ入りして間もない、地元川崎では初登場という精神的な弱みを少しもみせず、堂々投げたが、余り芳ばしくなく途中またバトンをゆずらねばならなかったが。試合が終わってファンがぞろぞろと引き上げていったが「コロンビア時代より、宮崎はスピードがついたね」「横手投はやめたようだ。オーバー・スローの投手になった」などという言葉が残されていた。逗子開成高の投手から、川崎コロンビアに入った宮崎の名は、早くから南関東になり渡った好投手だったが、コロンビアの一年間で大体の投手としての基礎が完全になったのである。内海監督(現毎日コーチ)の秘蔵子で手をとられて教えこまれたものだ。かくて内海監督が毎日に帰った今春、監督とともに宮崎も毎日入りしたのだった。約三カ月間、今度は若林監督の下で、ミッチリ練習を積むことになった。コロンビア時代は横手投一本槍だったが、プロに入ってから、その非を悟り、上手投をおぼえるようになった。最もその裏には、横手投げに専心している中に肘に痛みを感じ、致し方なくオーバー・スローに持っていったところ、その痛みがなくなったばかりか、以前にも増した球威がつくようになったのである。四月六日の沼津での対東急戦にデビュー以来、宮崎は次々と登板、七月以降は西鉄、西鉄、近鉄、大映に四勝して、新人としては抜群の五連勝を記録したのである。湯浅総監督が大分前のある日、こんなことをいったことがある。「二軍の若い選手の中で、近く使いものになるのは投手では和田勇と宮崎だ。それに打撃で山内、守備で島田といったところだろう」と。してみると宮崎は総監督の期待を鮮やかに実現させた新人である。宮崎のピッチングの特長といったら何だろうか。それはスピードボールとシュートの鋭いことが第一である。一見、何でもないように見受けられがちだが、打つ方にいわせると、クセのある球だそうだ。今年のオールスター戦でのフリーバッティングで、山本監督が、この宮崎を投手にして各選手に練習させたが、あとで何故宮崎などを相手に打つのだと聞いたら「別所の推薦としてやったのだ。あの球は、そう簡単に打てるものではない。重いよ」といっていたが、その通りで直球も、不調の場合はともかく、すべてが、スライドしていて、不気味な味を持っている。本人はフォームを完成させるために目下一生懸命といっているが、二軍の練習がきいたのであろうか、コロンビア時代にくらべるとメッキリスピードが増し、コントロールが完全となった。身体全体が非常に柔軟性を帯びているし、腰の安定したところが良い。しかし宮崎の主武器とするところは、本人がもらしていると同じく、シュートである。このシュートが調子よく打者の手許にくいこんでくると、ちょっとした打者では到底打ちこなすことが出来ないし、好打者連でも眼をまわしている。宮崎が崩れる場合というのは、このシュートがコントロールされないで、コースが狂い、打者の思う壺に投げられた時である。カーブにはまだまだ研究の余地があるが、マウンド度胸は末吉同様、新人ばなれしたものをみせている。和田勇とともに明日の毎日のスターである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする