1955年
平山正行(左投左打、18才)成田高校、六尺、十九貫六百。
今夏南関東代表として甲子園に出場した成田高校の四番打者、一鍬田、平山、牧野と並んだ成田高のクリン・アップ・トリオは指導に当たった大昭和製紙の浅井あるいは明大の穴沢などの先輩達から大学級の折紙がつけられたものだ。高校当時は主戦牧野のリリーフとして制球に難はあるが、そのスピードは牧野を上回るものがあったので、左投手難の南海では打力を伸ばすか投手となるかはキャンプの課題となろう。巨人、大映、立教大、専修大からの誘いの手が伸ばされていた。
平山正行(左投左打、18才)成田高校、六尺、十九貫六百。
今夏南関東代表として甲子園に出場した成田高校の四番打者、一鍬田、平山、牧野と並んだ成田高のクリン・アップ・トリオは指導に当たった大昭和製紙の浅井あるいは明大の穴沢などの先輩達から大学級の折紙がつけられたものだ。高校当時は主戦牧野のリリーフとして制球に難はあるが、そのスピードは牧野を上回るものがあったので、左投手難の南海では打力を伸ばすか投手となるかはキャンプの課題となろう。巨人、大映、立教大、専修大からの誘いの手が伸ばされていた。