プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

乗替寿好

2015-02-01 17:30:19 | 日記
1968年

西鉄ライオンズは二十八日午後三時、福岡市天神二丁目の球団事務所で乗替寿好投手(18)=1㍍75、74㌔、左投左打、福井県若狭高=の正式入団発表を行った。同投手は福井国体の優勝投手で、西鉄がドラフト会議で二位に指名した投手。本格派サウスポーで、今後の活躍が期待されている。なお同投手は新人としては西鉄では初めての契約選手。背番号は未定。乗替投手は1㍍75と上背はさほどないが、1㍍という胸幅が示すように上体はたくましい。「けれん味のないピッチングが身上。とくに内角に食い込むストレートはすばらしい」と城島渉外課長がいうように、左腕から投げ込む速球は威力がある。福井国体で優勝投手となったが、3試合を1失点、24三振とすでにその力は実証ずみである。

乗替投手の話 小さいときからプロ野球にあこがれていましたから、西鉄が二位にリストアップしてくれたときはうれしかった。西鉄には稲尾さん、池永さんというりっぱなお手本がいるので見習いたい。ウイニングショットは内角へのストレートですが、逃げずに真っ向から勝負する投手になりたい。

国広球団社長の話 井上善以来久しぶりの本格派左腕投手だ。東尾とともに大いに期待している。
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三竿徹

2015-02-01 13:09:23 | 日記
1955年

三竿徹…(左投左打、17歳)倉敷工高、五尺八寸、十八貫五百

今夏の予選、東中国大会で甲子園に進出した玉島高大島投手と投げ合い、不運1-5と敗退したが、主将主戦投手、四番打者を兼ねて倉敷工は三竿のワンマン・チームの声があったほど、春以来4本のホームランを記録するなど、左打者特有のシャープなスイングも買われている。巨人が早くから目をつけていた。
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服部敏和

2015-02-01 10:01:54 | 日記
1968年

服部は静岡高時代、一年夏、三年春の二度、甲子園大会に出場している。とくに三年の春には、現早大の小田とともにクリーンアップを打ち、このころから俊足好打の外野手としてプロから注目をあびていた。立大進学後も、すぐ一年の秋からレギュラーになって活躍、近鉄での先輩にあたる小川、現富士鉄室蘭の谷木とともに外野の一角をになっていた。しかし都合により昨春二年生で立大を中退、日本楽器に入社した。日本楽器でもすぐレギュラー。百㍍を11秒8、ベース一周を14秒1、2で走るという快速の持主。日本楽器でも社会人球界屈指のトップバッターとして活躍してきた。近鉄ではことし外野手はとらない方針だった。だが須古球団部長をはじめ各スカウトが服部の力量を高く評価、特に昨春、社会人野球大阪大会の八幡製鉄戦で同選手が一試合2ホーマーをしたのをみて、ドラフト会議でリストアップ。須古球団部長が入団交渉して獲得したもの。近鉄では将来三塁手転向も考えており、キャンプではさっそく三塁へのコンバート案も立てられている。服部は入団発表のあとすぐ藤井寺の合宿入り。十六日から自主トレーニングに参加する。近鉄がドラフト会議にリストアップした選手の入団交渉は全部終了した。

服部選手の話 プロには昔からあこがれていた。近鉄に入団できてよかったと思っている。プロに入った以上外野でも内野でもかまわない。早く試合に出られるようにがんばる。内野は高校時代ちょっとやっただけです。
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安藤峰雄

2015-02-01 07:18:25 | 日記
1968年

安藤峰雄投手…愛知県木曽川高校出身、1㍍83、75㌔、左投左打

・安藤は左腕の本格派投手。高校時代、43イニング無失点の記録をもっている。背番号は「42」
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梅村好彦

2015-02-01 06:53:48 | 日記
1968年

南海ホークスでは十三日午後二時、大阪・ナンバの球団事務所でドラフト会議で十位に指名した竜大・梅村好彦捕手(22)=1㍍80、85㌔、右投右打=正式契約並びに入団発表を行った。梅村獲得には富永営業次長、岡村担当スカウトが交渉に当っていたが、今月七日の最終交渉で条件面(契約金五百五十万円、年棒百四十万円)で了解点に達し入団が内定していた。1㍍80、85㌔の巨体を学生服に包んだ梅村は、父親末広氏(52)後見人の曽根久郎氏(36)につきそわれての発表。竜大では一年からレギュラーとして活躍、四年間の通算安打103本(関西六大学リーグ六人目)8ホーマー、1シーズン3ホーマーの連盟タイ記録を持っている。典型的な中距離打者で「苦手といったコースはない。ツボにきたところを打つ」とみずからいうあたり、いかにも一発屋らしい。目標は「一日も早くプロの水に慣れて一歩一歩確実に進んでいきたい。野村さんを見習って1試合でも出られるようにがんばります」というのが梅村の抱負だった。
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溜池敏隆

2015-02-01 06:37:29 | 日記
1968年

産経は二十六日午後四時四十分から東京・有楽町の球団事務所でさきのドラフト会議で二位に指名獲得した日本熱学の溜池敏隆内野手(24)=1㍍78、78㌔、右投右打、立大出=の入団を発表した。同選手は大阪・興国高から立大に入学、槌田(巨人)とともにクリーンアップを打った・四十二年卒業と同時に社会人野球の日本熱学に入社、60試合に出場して通算28本塁打、打率三割三分五厘の好成績を残している。かねてから内野手の強化に全力をあげていた産経にとってドラフトで獲得したただ一人の内野手である。特に強肩強打に加え百㍍12秒台で走る俊足はいままでの産経になかったスピードを植えつけるものと別所監督らに期待されている。

溜池選手の話 同期の槌田君には負けたくない。産経というチームはあまり知らないが、元気のあるチームだと聞いている。三塁遊撃どちらでもいいが、常時出場をめざしてがん張りたい。
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飯塚佳寛

2015-02-01 06:24:43 | 日記
1969年

飯塚は昨年の都市対抗戦で電電東京に補強されて活躍。昨年の通算成績が3割5分、5本塁打で、ベース1周13秒6という俊足の持ち主。背番号「28」

飯塚選手の話 足と守備には自信をもっているつもりだ。バッティングを勉強してなんとかレギュラーポジションを獲得したい。
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舞野健司

2015-02-01 06:15:02 | 日記
1969年

舞野は昨年夏の甲子園大会で四番を打ち、2試合で6打数2安打昨年の通算成績は3割6分、8本塁打。青木チーフスカウトは「将来は田淵以上の大物になる素質をもっている」と期待している。背番号「62」

舞野捕手の話 社会人野球からの誘いはあったが、どうしてもプロで自分自身の力を思い切りぶつけてみたいと思った。ロングヒッターを目指して一生懸命がんばる。
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半田実

2015-02-01 05:44:00 | 日記
1968年

半田は高校予選では浪商に敗れ、中央球界にこそ名前は知られなかったが、大阪府下では屈指の右の本格派投手として知られていた。高校時代ほとんど変化球を使わず速球一本で勝負したとあってそのスピードは「近鉄でもっとも速い田辺よりいい」(中島スカウト)といわれる。近鉄の土井、小野坂の後輩にもあたり将来が楽しみな投手だ。

半田投手の話 同じ野球をするならプロでやってみたかった。早く一人前の投手になるようがんばりたい。村山さんのようなダイナミックなピッチングが目標だ。
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大田卓司

2015-02-01 05:35:02 | 日記
1968年

西鉄は二十七日午後三時から、福岡市天神の球団事務所で、大田卓司外野手(17)=1㍍69、70㌔、右投右打、津久見高出=の正式入団発表を行った。大田は高校時代、通算打率四割二分、本塁打17本をマーク、甲子園には昨年のセンバツ、ことしは主将として夏の第五十回大会に出場している。遠投が100㍍、走力は100㍍12秒台と強打、強肩、俊足と三拍子そろった好選手。西鉄はドラフト第九位に指名、直良スカウトが交渉にあたり入団が内定していた。

大田選手の話 西鉄のことはあまり知らないが、新人の人がたくさん入り、ボクにもチャンスがあると思います。目標は巨人の土井さんみたいな打者になることです。いまはランニングを主にやっている。もうすぐ東京の岩崎先輩が帰省するので、津久見の海岸で一緒に走るつもりです。
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市原稔

2015-02-01 05:16:26 | 日記
1968年

きびきびとした動きで飯田監督ら首脳陣の注目をあびているのがテストで入団した市原遊撃手(千葉東商ー早大)産経、東映のテストを受けたが、二十二歳という年齢が障害となってはねられたため、南海では十八歳と偽ってもぐり込み?に成功。契約金はゼロで月給五万そこそこ。「契約金をもらって入った選手は、どこか安心感みたいなものを持っているが、テスト生は野球が生きがいというひたむきなものを感じさせる」とはかつてテスト生だった野村捕手の話。
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三浦正規

2015-02-01 05:10:21 | 日記
1968年

近鉄バファローズは二十三日、大阪・森の宮の球団事務所で、三浦正規捕手(20)=宮城県気仙沼高ー大京観光、1㍍71、69㌔、右投左打=の入団を発表した。同選手はさきのドラフト会議では、どの球団からもリストされていなかったが、小柄ながら右投げ左打ちのファイター十八日から自主トレーニングにテスト生として参加していた。近鉄は吉沢を中日へトレードしたことで捕手陣がわずか五人となり、補充を考え、採用に踏み切ったもの。背番号は「43」
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待井昇

2015-02-01 04:59:12 | 日記
1972年

太平洋は二十日午後三時から福岡市中央区天神の球団事務所でドラフト9位指名の待井昇外野手(18)=1㍍80、71㌔、右投右打、日大三高=の入団発表を行った。同選手は日大三高入学当時からレギュラーとして活躍、昨春の甲子園大会では一番を打ち同校の優勝に貢献した。昨秋から夏までの通算打率は3割7分、7本塁打。二年生から投手もやり、ことしは6勝0敗。しかし待井は「ピッチングよりバッティングの方に自信がある。一日も早く一軍に入れるようにがんばりたい」と語っている。
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松井優典

2015-02-01 04:48:33 | 日記
1968年

南海ホークスでは二十六日午後一時半から大阪ナンバの球団事務所でドラフト会議で三位に指名した星林高・松井優典捕手(18)=1㍍83、76㌔、右投右打=の正式入団発表を行った。松井は超高校級といわれるだけあって、球団事務所社長室に入るとき体を折りまげるほど体格に恵まれている。星林高では三番打者として活躍、春、夏の甲子園大会に出場、三年間の通算打率は四割というハイアベレージをマークしている。早くからプロ球界にねらわれていたが、南海としては野村につぐ若手捕手が伸び悩んでいる状態なので、松井にかける期待は大きい。
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