プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

原田晃

2015-02-17 22:10:20 | 日記
1961年

原田投手は1㍍81、68㌔の長身右腕投手。福岡県千東中時代から大器の片りんを示し、大分県中津東高では一年生からエースとなり、その夏の甲子園大会(三十三年は一県一校が代表)の大分県決勝で上野ヶ丘に敗れたため、甲子園の経験はない。しかし三年間一試合平均11の三振を奪う安定したピッチングは九州だけでなく、全国高校界でも屈指のものとして注目されていた。ドロップと速球が武器の上手投げ本格派投手、南海、中日、大洋が原田争奪戦を演じたが中学時代から交渉のあった三原監督(当時西鉄)を慕って大洋入りを決めたもの。

原田投手の話 三原さんとは小さいときから知っていたが、大洋に入るときにはちゅうちょしなかった。大洋というチーム・カラーも好きだ。プロでも大分の先輩稲尾さんのような大投手になりたい。シュートはあまり投げず、ドロップと直球が主だがドロップには自信がある。
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城野勝博

2015-02-17 21:40:47 | 日記
1962年

広島カープでは、十五日カープ球団事務局で城野勝博投手(18歳=佐賀県鳥栖工)の契約発表を行った。同投手は、上手投げで、スピードもあり、シュートを武器とした正統派投手。地元西鉄も早くから目をつけていたが、広島久野スカウトの熱心な勧誘がみのって入団のはこびとなったもの。身長1㍍80、体重75㌔、右投げ右打ち。

城野投手の話 プロに入った以上一生懸命努力して一日も早く一軍で働きたい。
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岩本勝

2015-02-17 21:36:36 | 日記
1962年

阪急では六日西宮球場で行われた対東映ダブル・ヘッダー終了後、同球場内貴賓室で入団が内定していた豊浦高岩本勝投手(17)=身長1㍍78、体重78㌔、左投げ左打ち=の正式発表を行った。発表には岡野専務、丸尾スカウトが立ち会った。なお阪急はコミッショナー支配下選手として登録したので、研修制度にはひっかからない。岩本投手は、今春のセンバツ大会に出場、一回戦で鎌倉学園に惜敗したが、左腕から投げおろす速球とシュートにみるべきものがあり、東映、西鉄、広島、大洋、近鉄からもマークされていた。阪急は戸倉監督が豊浦高の先輩であるところから交渉がスムーズに運んだが、丸尾スカウトの熱心な勧誘が実ったといえる。左投手が梶本兄しかいない阪急ではすぐ使える岩本の入団は大きな戦力だ。
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片岡健治

2015-02-17 20:24:55 | 日記
1959年

片岡選手は身長1㍍74、体重75㌔の恵まれた体格の持ち主。昭和三十年栃木県大田原高卒で高校時代は外野を守っていたが、三年生から投手に転向、卒業と同時にいすゞ自動車に入社、現在に至っている。投手としての球歴は数多くの記録があるが、三十三年十一月産別大会で優秀選手になったのをはじめ今年三月サン大会、六月の第三回アジア大会は全日本代表として出場、七月には都市対抗の川崎予選で優秀選手に選ばれている。彼の真っ向から投げ下ろす速球とカーブは定評があり、とくにドロップは巨人の堀内ばりの大きさを持ち、同じノン・プロ界の日本通運の堀本(巨人入り)に優るとも劣らない力量を持っている。

片岡投手の話 ノン・プロとプロの道は全然異なっているので一年生になったつもりで一生懸命やりたい。ドラゴンズ入団の動機はちょうど森選手の同級生であった森山がいすゞに入ってきたことから、森選手と話をすることになった。この森選手といろいろ話しているうちに中日のカラーが好きになり、ドラゴンズに入る決意をしたわけだ。
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倉内顕

2015-02-17 20:17:40 | 日記
1959年

西鉄ライオンズでは四日午後一時より福岡市天神町の同球団事務所で高知商高の倉内顕外野手(19)=右投右打=と正式契約を完了した旨、西社長から発表された。同選手は三十四年春の選抜、同年夏の大会を含む過去四回甲子園に出場、常に四番打者、チームの主軸として平均三割の打率をあげ、早くからプロ全球団の注目するところとなっていた。なかでも広島、中日、巨人の勧誘は辛らつをきわめたが、本人の一貫した西鉄入りの希望はかわらず、十月下旬には西鉄入りがほぼきまっていた。身長1㍍78、体重75㌔の恵まれた体格の持主で、その好打ぶりは最近二十試合でも4本の本塁打を含む三割七分の打率を記録、加えて百㍍に12秒5の快脚の持主だけに、その活躍が期待される。

倉内選手の話 いろいろな球団からお誘いをうけましたが、私は最初から若い選手が多く活発なチームとして西鉄にあこがれていましたし、これが実現できて本当にうれしく思っています。有名な人が多いので非常に威圧を感じていますが、早くみなさんに可愛がっていただけるようになりたいと思っています。そして尊敬する中西さんを目標に一生懸命がんばるつもりです。

川崎監督の話 倉内君はうちの数少ない新入団野手の中で逸材です。大下君が引退し、碩次君の力が弱ってきた現在、来シーズンこの倉内君の活躍を非常に期待しています。また彼は私の期待に応えてくれるだけの力を十分持っていますので、本人の努力次第では外野陣の一角に食い込んでいくのではないでしょうか。実は私は今年の春に山崎君を見に行ったときに倉内君のずばぬけた打撃をみてそのころから欲しいと思っていました。
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鳥川忠石

2015-02-17 06:45:01 | 日記
1959年

西鉄ライオンズのテスト生として練習状態をみていた鳥川忠石選手(18)をこのほど正式採用することに決め、十四日球団事務所で契約した。鳥川選手は福岡県苅田高の内野手としてその軽快な守備ぶりには定評があった。身長1㍍73、体重70㌔、右投右打。
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嶺岸征男

2015-02-17 06:27:34 | 日記
1959年

同投手は宮城野中から東北高に進み、投手兼外野手として今夏の甲子園大会に活躍。全日本選抜軍の一員となって渡米、米本土並びにハワイで転戦して帰国した大型本格派の投手で、身長1㍍78、体重78㌔、右投右打。現住所は仙台市原町小田原案内南。

嶺岸選手の話 中学時代から投手と外野をやってきました。しかしプロへ入ったからには投手に専念してできれば阪神の村山さんのようなダイナミックなピッチングを身につけたいと欲張っています。オリオンズは好きでしたし、入団するのなら大毎ときめていました。だから他球団からも交渉がありましたが、はじめから大毎一本でいました。
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金子哲夫

2015-02-17 06:15:00 | 日記
1959年

大阪タイガースではこのほど今夏の全国高校野球選手権大会の優勝投手西条高の金子哲夫(18)の入団をとりきめた。金子投手は当初立教大進学の予定であったが、最近家庭の事情と、周辺のすすめからプロ野球に魅力を感じ、阪神のチーム・カラーに好感をよせ、早くから同投手に目をつけていた阪神の勧誘に応じたもの。身長1㍍67、体重63㌔、右投右打。
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中村忠男

2015-02-17 06:09:59 | 日記
1959年

ノン・プロ川崎トキコの中村忠男一塁手(24)の広島カープ入りがこのほど決まった。同選手は法政二高から川崎トキコにすすみ六年間トキコの中堅選手として活躍した。高校時代は現カープの小坂選手と同級で、甲子園に出場した経験もあり、ノン・プロでは29年と31年にはコロムビアの補充選手として都市対抗に出場している。堅実な守備には定評があるが、打撃も平均して三割を打ち、今年の通算打率は三割七分。トキコでは大洋の鈴木投手と同輩であった。広島入りについては同球団が法政二高時代の同級小坂選手を通じて勧誘にのりだしていたもの。身長1㍍74㌢、体重70㌔、左投左打。

小坂佳隆選手の話 高校時代からバッティングが光っていた。ノン・プロではさらにみがきがかかってきたと聞いている。川崎トキコの通算打率もチーム随一をあげている。二人でまた一緒にプレーできることをうれしく思っている。
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長谷川武

2015-02-17 06:02:48 | 日記
1959年

同投手は長岡商高二年生から投手生活を送り、新潟交通二年と合わせて投手球歴は四年間しかないが、今年の夏都市対抗野球第一次予選で新潟コマーシャルを相手にノーヒット・ノーラン・ゲームを演ずるなど彼の力で予選を通過、後楽園本大会の対ニッポンビール戦でも六回まで好投している。右投右打で身長1㍍77、体重73㌔。

長谷川投手の話 プロ野球はテレビで見ている程度であまり知識がない。したがってどの程度やれるか自信はにあが力一ぱいやりたいと思う。まずプロ入りして一番はじめの勉強しなくてはならないのはコントロールだ。

和田大毎代表の話 新潟交通の投手として都市対抗に出てきたのを毎日新聞運動部の末吉氏の推薦で見た。球が重く身体に恵まれているので入団の交渉をしたわけだ。新潟交通の佐藤監督の言葉によるとプロで十分やれる力をもっているというし、オーソドックスな投手としてその将来性を期待している。
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植田征作

2015-02-17 05:54:54 | 日記
1960年

西鉄ライオンズではきのう二日午後市内天神町の協和ビル五階の球団事務所社長室で東洋紡岩国の植田征作内野手(21)左投左打=の入団を正式に発表した。同選手は昭和三十三年に下関商高を卒業したあと、東洋紡岩国に入社、ただちに一塁手、四、五番打者として都市対抗野球に二回も出場したという、輝く球歴の持主である。三年間の通算打率は2割9分、ホームラン10本を放つ好打者である。さらにことしの都市対抗予選には4割5分、同産別予選にも4割2分のハイ・アベレージを記録している。なお同選手は十月末日付けで同社を退社して既報どおり二十八日から西鉄の秋季練習に参加中である。

植田選手の話 一度プロ野球で自分の力を試してみたかった。家が近い(下関市)ので西鉄を選びました。二十八日から練習に参加していますが、プロのスケールの大きいのには驚きました。今後とも負けずにやるつもりです。

川崎監督の話 植田君のバッティングは非常にいい。守備も重松君がベタホメのように見事なものだ。難をいえばスローイングがギコチないのでこの点を直せばいい選手になる。
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