1961年
原田投手は1㍍81、68㌔の長身右腕投手。福岡県千東中時代から大器の片りんを示し、大分県中津東高では一年生からエースとなり、その夏の甲子園大会(三十三年は一県一校が代表)の大分県決勝で上野ヶ丘に敗れたため、甲子園の経験はない。しかし三年間一試合平均11の三振を奪う安定したピッチングは九州だけでなく、全国高校界でも屈指のものとして注目されていた。ドロップと速球が武器の上手投げ本格派投手、南海、中日、大洋が原田争奪戦を演じたが中学時代から交渉のあった三原監督(当時西鉄)を慕って大洋入りを決めたもの。
原田投手の話 三原さんとは小さいときから知っていたが、大洋に入るときにはちゅうちょしなかった。大洋というチーム・カラーも好きだ。プロでも大分の先輩稲尾さんのような大投手になりたい。シュートはあまり投げず、ドロップと直球が主だがドロップには自信がある。
原田投手は1㍍81、68㌔の長身右腕投手。福岡県千東中時代から大器の片りんを示し、大分県中津東高では一年生からエースとなり、その夏の甲子園大会(三十三年は一県一校が代表)の大分県決勝で上野ヶ丘に敗れたため、甲子園の経験はない。しかし三年間一試合平均11の三振を奪う安定したピッチングは九州だけでなく、全国高校界でも屈指のものとして注目されていた。ドロップと速球が武器の上手投げ本格派投手、南海、中日、大洋が原田争奪戦を演じたが中学時代から交渉のあった三原監督(当時西鉄)を慕って大洋入りを決めたもの。
原田投手の話 三原さんとは小さいときから知っていたが、大洋に入るときにはちゅうちょしなかった。大洋というチーム・カラーも好きだ。プロでも大分の先輩稲尾さんのような大投手になりたい。シュートはあまり投げず、ドロップと直球が主だがドロップには自信がある。