1960年
今夏の全国高校野球選手権大会で法政二高初優勝の原動力となった幡野和男主将兼外野手(18)は、阪神、大洋から誘いを受けていたが、このほど阪神入りが確定した。正式発表は十二月上旬大阪の球団事務所で行われる予定である。同選手は今夏の甲子園で大会第一戦の対御所工戦で3安打を放ったのを皮切りに、毎試合コンスタントに打ち、5試合で五割の好率をマーク、法政二高の初優勝に貢献した。この強打を認めた大洋は九月、遅れて阪神が獲得に乗り出した。大洋は地元の選手とあって、藤井コーチが川崎市の同選手宅を再三訪れ、父親を通じて入団を嘱望した。遅れた阪神は佐川スカウトが勧誘に動いた。当初は就職を希望していた同選手は、このプロ球団からのさそいに意を動かされたようだったが、同校野球部が国体に出場するため、プロ入りの言明はさけていた。国体終了後、同選手および家庭では両球団について検討を加えた結果、在阪ではあるが、高校出を主体としている阪神が働きやすいとの結論に達し、阪神入りをきめたものである。同選手は一年末からレギュラーとなり、二年の春から不動の四番としてつねに好打をふるい、通算三割五分強の高打率を記録している。1㍍76、73㌔、右投右打。
幡野選手の話 大洋と阪神から誘われました。はじめ就職するつもりだったのですが、誘いがあってからプロでやってみようという気持になり、両球団のどちらがよいか検討をしました。大洋は地元ですが、大学出の選手が多いので、なにかきゅうくつな思いがしましたので、その点いきやすいと思った阪神を選んだわけです。甲子園ということも魅力を感じた理由です。二十九日に期末試験が終わるので、十二月はじめに大阪にいって発表になるようにきいています。