プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

須崎正明

2015-02-15 21:17:45 | 日記
1962年

近鉄バファローズでは、関根選手の紹介でテストをうけにきていたノンプロ信越電電の須崎正明外野手(23)の採用をこのほど決めた。須崎選手は身長1㍍76、体重67㌔、左投左打、都立多摩高時代は硬式野球部がなかったため、彼が硬式を握ったのは信越電電に入社してからだ。はじめは投手だったが、昨年からバッティングを買われて打者に転向した。近鉄では須崎のシャープなバッティングと足を買って採用したもの。
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吉本安徳

2015-02-15 21:13:49 | 日記
1962年

吉本安徳三塁手

吉本選手は三十四年東洋紡岩国、三十五年協和発酵宇部の補強選手として後楽園に出場、守備はずばぬけて巧い。阪急では過日テストの結果採用したもの。

吉本選手の話 彦島の野球部が解散したので、会社の人に頼んで阪急にお世話してもらった。守備には自信があるが、第一線に出るためには、打力をのばさなければならないので、その点キャンプでみっちりやりたい。
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浜崎正人

2015-02-15 21:08:41 | 日記
1962年

浜崎投手は今夏の高校野球大会および秋の国体に出場、阪急はじめほとんどの球団から目をつけられていた左腕投手。スピードがありカーブの切れもよく研修制度の発効で百試合終了するまで、出場できないがすぐ戦力になる有望投手。

浜崎投手の話 阪急が好きだったし、一番熱心に勧誘して下さった。国体が終った後阪急入りを決意しました。どのていどやれるかはわからないが、阪急の投手はいいと聞いているので、やりがいはあると思います。さしあたっての課題はシュートを完全なものにすることです。
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田中允

2015-02-15 21:02:54 | 日記
1962年

巨人軍ではこのほど大阪商大の田中允外野手(22)の入団をきめた。田中外野手は1㍍73、79㌔、右投右打、山口県早鞆高出身で、大阪商大では一年からレギュラーとなり、三年から四番打者として活躍、今春は・454の打率で阪神大学野球リーグの首位打者となった。
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平尾邦彦

2015-02-15 20:57:35 | 日記
1962年

巨人ではこのほど久留米商の平尾邦彦(17)=1㍍75、65㌔、右投右打=の入団をきめた。平尾投手は伊藤投手の陰にかくれて目立った活躍はしていないが、下手投げ特有のシュートとくせのある球に威力がある。
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渡辺博文

2015-02-15 20:54:36 | 日記
1962年

渡辺投手は倉敷工時代二度選抜大会に出場、打力も巧打者として知られ、三十四年立命館大進学後打者に転向したこともあったが、策春からふたたび投手にカムバック、多彩な球種をマスター、一躍立命大のエースとなり、今秋のリーグ戦では立命大の10勝中9勝をあげ最優秀選手に選ばれ、立命優勝の原動力となった。大学四年間の通算勝ち星は27勝。昭和十五年一月四日生まれ。

岡野専務の話 左投手をかつ望していたところ、きょう第一人者の渡辺君の入団をみたことはうれしい。研修制度で50試合出られないが、オールスター直後すぐ戦力にプラスすると思う。ご承知のように渡辺君は打者としてもいい素質の持主だ。渡辺君については私も昨年からじかにみてきたが数段の進歩がみられる。本人と話し合っていてもいい心臓をしているし、梶本兄につぐ左投手だと期待している。

渡辺投手の話 阪急を選んだのは阪急のチーム・カラーが好きだし、働きやすいと思ったからだ。どの程度やれるかわからないが、ボクはボクなりに自信をもっている。堂々とプロのメシを食っていきたい。とりあえず来シーズンの目標としては5勝はなんとか記録したい。ウイニング・ショットはシュートだが、コントロールには自信があるので徹底した技巧派投手に成長したい。荒巻さんのようなピッチャーになるようがん張る。
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高橋栄一郎

2015-02-15 08:08:17 | 日記
1960年

同投手は三十四年春慶大を卒業、日本ビールのエースとして社会人野球で活躍、その速球には定評があった。右投右打で1㍍76、66㌔。

高橋投手の話 私が巨人に入ったのは、巨人が強いことと、熱心に誘ってくれたためだ。昨春慶大卒業のときにはどこからも誘われなかったし、プロでやる自信もなかった。しかしことしはプロから誘われたし、すると自分の力でもやれるのではないかと考えたわけだ。プロのことは全く未知で、果たして自分の力でどこまでやれるかわからないが、私の持ち味は速球なので、まずカベに当たるまではこの速球を生かすピッチングをしたい。大学時代死球がこわくて投げれなかったシュートもノンプロでは大分投げられるようになったので、このシュートをさらに伸ばし、スライダーもマスターしたいと思う。先輩の藤田さんは人格的にも尊敬しているし、ピッチングの傾向としても藤田さんを手本にするつもりだ。
不安なことといえば、スタミナと神経質なことだが、キャンプその他で勉強してがんばりたい。
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谷川勉

2015-02-15 08:07:17 | 日記

1960年

谷川捕手は生野高時代から捕手をつとめていたが、鐘化カネカロンの前監督吉岡氏が、その力量を見込んで勧誘、三十二年三月生野高卒業と同時に入社、昨年から同チームのレギュラーとして六番を打ち活躍していたのを、捕手陣に悩む地元の阪神が目をつけて獲得したもの。同選手は今春五月の選抜都市対抗京都大会(西京極球場)でホームランを打ったこともあるが、どちらかといえば中距離打者である。今夏の都市対抗で富士鉄広畑の補強選手に選ばれたが、ねんざが原因して腰を痛め、出場しなかった。大柄ではないが、シュアなバッティングを示し、捕手には珍しい俊足の持ち主で、ファイトにあふれている。
身長1㍍74、体重70㌔、右投右打、昭和十四年三月二十六日生まれ。

谷川捕手の話 プロ野球は実際はあまり見ていないが、テレビではよく見ていた。自分でもある程度はやれそうだと思います。阪神は地元でもあるし、高校時代に甲子園でプレーをしていたので入団することにしました。とにかく常時出場を第一目標にがん張りたいと思います。
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