プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

服部裕昭

2017-08-05 23:29:34 | 日記
1985年

阪神は二十一日、ドラフト指名五選手のトップを切って今成スカウトが3位・服部裕昭投手(18)=浦安高、182㌢、74㌔、左投左打=を千葉・浦

安の学校に訪ね、指名のあいさつを行った。同投手は140㌔台の速球を武器にする本格派のサウスポーで、全球団が事前に意向打診した逸材。既に住友金属鹿島に就職が内定しているため、二十二日午後三時から本人も出席して同校で会社と今成スカウトの話し合いが行われるが、入団への支障はない。母・甫沙子(ふさこ)さん(42)=会社事務=は「思いがけない指名に驚いています。関西にいかせることにはなんの心配もありませんが、プロで通用するかどうかをじっくりお聞きしたい」という。今成スカウトは「速球も140㌔近いものがあるし、なんといっても小さくて切れのあるカーブが魅力。十分に先発投手としてやっていける逸材」と高い評価を下していることを説明したが、阪神に好感触を得た模様。
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内山憲一

2017-08-05 22:39:54 | 日記
1985年

ネット裏には、プロ球団のスカウトがズラリと並んだ。もちろんお目当ては佐波農の笠原投手、前半、笠原の快投にだけ視線を注いでいた一群が「おやっ」とばかりに伊勢崎商のマウンドを見やるようになったのは、五回ころからだった。切れのいいカーブとスライダー、伸びのある速球で佐波農打線を寄せつけなかった内山にもスカウトの目が注がれた。それだけこの日の内山は素晴らしかった。八回二死まではノーヒットピッチング。スライダーと内外角低めの直球でストライクをかせぎ、勝負どころではタテに大きく割れるカーブをうまく使った。九回からは木村にマウンドを譲ったが、打者24人に対して被安打1、奪三振4、死四球7という内容。「制球が悪かったのでかえって打ちづらかったのでは・・・」と内山。笠原との投げ合いにも「向こうの方が格段上なので気楽に投げました」ノーヒットノーランを続けていたことは「知っていた」という内山だが「過去二回、最終回で安打を打たれたので、今日もいつか打たれると思っていた」と、サバサバしたもの。田中の不運な安打で大魚は逃したが「全然悔いはありません」。九回を投げてのノーヒットノーランは、戦後六人。3回戦以降では一度も記録がない。将来の目標は「プロ行き」とキッパリ。父親の和己さん(45)は、かつて中日に籍を置いた投手。「ぼくも中日が好き」とカエルの子は笑ってみせた。

ヤクルト3位・内山憲一投手 ヤクルト版巨人の星だ。父親・和己氏(46)=会社員=は元中日の投手。しかし、一軍の実績はゼロ。志半ばで退団したあと、わが子に自分に果たせなかった夢を託し、物心つくと同時に英才教育をほどこしてきた。内山が一歳十か月のとき、夫人は交通事故で亡くなったが、その後再婚することもなく、内山をプロ選手にするためだけ命をかけてきた。
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石田芳雄

2017-08-05 21:42:13 | 日記
1970年

利根商最後のバッターを三振に打ちとり、マウンドを降りてきた石田選手は流れおちる汗をぬぐいながら「こわいバッターは、いなかったが四回にはピンチに追い込まれた。しかし味方の守りが堅かったので助かりました」と、一年生とは思われない落ち着いた表情で語る。右横手投げの、このピッチャーはヒット三本を打たれたのみで、四回のピンチも落ち着いたピッチングで切り抜け利根商から三振九個を奪う快投をみせた。また打っても八番打者として、この日四打席二四球、二打数二安打(二塁打一本を含む)と投打に活躍した。川村監督も「春の大会ではエースの浅見君が利根商に打ち込まれ負けたため、今大会調子のあがっている石田君を思い切って起用した。石田はストレートが良かった」と力投の石田をたのもしげに見やった。利根・川湯中出身。175㌢、65㌔、一年。

石田はサイドからカーブ、シュートでゆさぶり、7安打を打たれながらも要所をしめ中盤以降あせりの色が濃くなった育英を押え込んだ。育英はたのみのつなであった枠田投手が完調でなかったこともあったが投打で上武一に力負けした一戦だった。

上武一川村武司監督の話 先発の浅見が調子をくずし初回打たれたので、すぐ石田を救援させた。結果的にはこの継投が成功したといえる。二回以降石田が育英打線を押えたのと松本のランニングホーマーがきいた。次の農二戦には石田をあてていきたい。

育英萩原英厚監督の話 上武一の石田投手一人にやられた。石田は利根商戦でみせたピッチングを上回り、とくにインコースのカーブにうちの打者は手が出なかった。

三塁側スタンドには出身中学の利根郡川場中職員一同から寄せられた「ガンバレ石田君」ののぼりが立ち、今大会マウンドを踏むこと四回の上武一石田投手を元気づけた。しかし、高商打線の前にはついに力つきた。「一回得意のインコースをついたボールが真ん中にはいってしまった」というように、一回の制球力が甘く、高商打線につけ込まれてしまった。中盤以降立ち直ったが、ついに味方の援護はなく敗戦を喫しベンチに引きあげたが「一年生で県大会四試合も投げられるなんて自分はしあわせです」と負けたくやしさのほかに満足感も感じられた。グラウンドからは「来年があるぞ石田」の声が石田に送られ、石田はうなずくようにしっかりとした足どりで球場を去って行った。
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石田芳雄

2017-08-05 21:19:18 | 日記
元阪急の石田芳雄投手を知ってますか?

フォーム・・・サイドスロー 球種・・・カーブ、シュート

1971年

チーム結成以来八年目で初の北関東代表校になった。今までは常にベスト8、ベスト4までは名前を出して来たが最後になってくずれ北関東へ進出できなかった。ことしはエース石田が二年生ながら一層たくましさを身につけ、春の関東大会予選では初の県内優勝を飾り自信をつけ北関東代表となった。なんといってもチームの大黒柱はエース石田で、サイドスローのクロスファイア―の外角低目をつくカーブは球速もありよほどの打者でも手が出せない。これに内角をつくシュート、低目、低目にコントロールされてくる速球と球質も多く、県予選では一人で四試合を投げ抜き相手チームに与えた得点は一試合平均1点。しかし本大会では春に見せた絶妙なピッチングは見せておらず、初回に力みすぎ、乱れるケースもあったが、北関東大会まで休養を取り体調がととのってくれば、打ちくずすのは困難。打撃面ではエース石田の陰にかくれているが、チーム打率3割2分2厘はかなりの破壊力を持っており、ことに一番の掛川、岩井、山田、松本、石田の上位打線はいずれも3割台をマーク。特に松本、石田には長打力もある。

北関東大会代表に決まった上武一のエースとして四試合連続登板、八回裏三遊間の殊勲打を放ち、県大会Aゾーン優勝へ導いた。「2-1から外角直球でした。自分では打てるとは思わなかったのですが、丸山投手との競争意識も働いて・・・」報道陣にもみくちゃにされながら、感情を現さず、さりげなく語った。県下随一の大型速球投手として評判が高く、打撃の方は話題にならなかったが、川村監督は「バッティングもいいので期待していた。四番を打たしても十分やるが、投手なので・・・」とタイコ判を押すほどの打力の持ち主。大会では五番を打ち、主将の掛川二塁手は「気の強い方ではないが、ここ一発というときは底力を発揮する」と勝負強さを強調する。性格は温厚で無口というのがナインの一致した石田評。おとなしいうえ子供っぽいので、学生服を着た石田からは、マウンドの雄姿はとても想像できない。練習では下級生をよく指導し、勉強もよくやる。理数系が得意で、英語が苦手とのこと。将来の希望はプロ野球の選手になることで、好きな球団は巨人。いま一番やりたいことは「休養したい」ときっぱり語る。利根郡川湯村出身、中学時代から投手で活躍、決めダマは外角の直球。いまは親元を離れ、新町の野球部合宿にいる。身長176㌢、体重68㌔。
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石田芳雄

2017-08-05 21:02:35 | 日記
1972年

阪急は二十五日、上武一高の石田芳雄投手(18)=1㍍77㌢、72㌔右投げ右打ち=の入団を発表した。石田投手は十一月二十一日開かれたプロ野球

新人選択会議で阪急からドラフト三位の指名を受け、これまで球団側と再三にわたって入団交渉を続けていた。石田投手は本県高校球界の代表的選手で一年生の時からレギュラーメンバーとしてマウンドを踏んでいた。今度の入団交渉では進学を希望する家族がプロ入りを絶対反対し、入団が危ぶまれていたが、「プロ入りは小さい時からの夢だった・・・」と語る石田投手の熱意に押し切られ入団の運びになったという。

石田投手本人は今度の入団に際し「パリーグ優勝の阪急にはいれてこんなうれしいことはない。プロのことは何もわからないが、入団したからにはとことんまでやりつくし、本業をまっとうしたい」と意欲を語っている。家族の話では「最初は猛反対をした。しかし、本人の意思が堅くこっちが押し切られた形となった・・・」と話していた。一方、プロ野球選手の誕生をみた上武一高では「こんな喜ばしいことはない。これから石田君にとってきびしい試練が待っているだろうが、立派な選手に成長するよう頑張って欲しい・・・」と励ましの言葉をおくっている。
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