昭和29年8月21日生 右投右打
高校時代・1972年(小倉高校)
チーム全体が上がり調子で、甲子園をねらっている。主戦の舟津は速球とカーブが武器。失点も少ない。攻撃の中心は宮崎、兼子、舟津で、長打力もある。下位打線もしぶい。守備面では捕手の凡ミスが投手をくさらせることがある。チャンスを確実につかむことが夏の小倉につながる。
部員が二十七人にもなったのは十数年ぶり。「やっと練習らしい練習ができる」と関係者はよろこんでいる。県内で有数の進学校のため、毎年十二、三人。ひどい時は十人しかいなかった。「弱くなったからふえた。昔は中学で野球をしていた生徒しか入部しなかったが、いまは違う」という人もいるが、いずれにしても、多いことはいいことだ。
高校時代・1972年(小倉高校)
チーム全体が上がり調子で、甲子園をねらっている。主戦の舟津は速球とカーブが武器。失点も少ない。攻撃の中心は宮崎、兼子、舟津で、長打力もある。下位打線もしぶい。守備面では捕手の凡ミスが投手をくさらせることがある。チャンスを確実につかむことが夏の小倉につながる。
部員が二十七人にもなったのは十数年ぶり。「やっと練習らしい練習ができる」と関係者はよろこんでいる。県内で有数の進学校のため、毎年十二、三人。ひどい時は十人しかいなかった。「弱くなったからふえた。昔は中学で野球をしていた生徒しか入部しなかったが、いまは違う」という人もいるが、いずれにしても、多いことはいいことだ。