プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

高橋一彦

2017-08-16 09:40:19 | 日記
1986年

低めのストレートが面白いように決まった。オープン戦の完投一番乗りを果たした大洋の新人高橋一(前橋工ー日石)。南海打線をわずか3安打に抑え込んだピッチングは実力派ルーキーの評判通りだった。「新ストライクゾーンの申し子」と近藤監督が呼ぶ二十四歳の期待の星である。「去年十月の社会人野球日本選手権で完封したのも、ここ(大阪球場)でした。相手はどこだか、忘れちゃったなぁ」が完投一番乗りの感想。試合後の興奮のなかで、本人は思い出せなかったが、2回戦で対戦したNTT東北を11奪三振の完封に退けている。「真っすぐの球威が後半になっても落ちなかった。でも、フォークボールは、その分キレが悪かった」と分析したあと「肩の仕上がり具合はもう百パーセントです。開幕OKですよ」とたのもしい。
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田口竜二

2017-08-16 09:39:02 | 日記
1986年

南海は二年目の田口が先発し、好投した。四回甘いストレートをバンボに2点本塁打されたものの真っすぐに力があり、カーブ、スライダーも低めに集まっていた。貴重な左の先発候補として今後のピッチングが楽しみだ。

二年目の大型左腕、田口の若さあふれる投球は、「一軍入り」への強烈なアピールだった。オープン戦第一戦にいきなり先発。だが、マウンドさばきは落ち着いたもの。大きく落ちるカーブを低めに集めて、三回までは走者を一人も出さなかった。「予想以上の出来。特に、球の切れ、コントロールが素晴らしかった」と、中西投手コーチもべた褒めした。四回、バンボに中越えに手痛いアーチ。「苦しくなってからの攻めが課題。力が入るとボールが甘くなる」と、田口は反省する。しかし、「ほぼ思い通り。ナックルなども試せたし、低めも意識的に突けた」。課題もあるが、それなりに自信をつかんだようだ。ドラフト一位で入団した昨年は「特発性気胸」で一年を棒に振った。それだけに「ことしにかける」意気込みはすごい。昨季は左投手が1勝もできず左腕不足に泣いた南海にとって、頼もしい若タカの出現である。
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永川英植

2017-08-16 09:37:38 | 日記
1975年

「もう少しいけると思った。正直言って投げたかったです」と永川は遠慮がちにほほえんだ。オープン戦の初登板をたった1イニング、17球で追いたヤクルトのドラフト1位投手、近鉄の上位打者4人に対し安打1、三振1、凡打2に抑えたデビューを「先頭打者を打ち取り、二番への初球にストライクを取って落ち着いたからあとは伸び伸びやれた」と振り返ったルーキーは、肩の荷をおろして目を輝かせた。初球はいずれもストライク。武器の直球を主体に「カーブを5球」を混じえて、二死一塁から佐藤竹を2-3後に外角低めの速球で見逃しの三振に切って取った。若者らしい好感のもてるピッチングである。さっと引っ込めたヤクルトベンチの計算はー。巽投手コーチによれば「ふん囲気になじませるのが目的だから、内容が良ければ一回だけと考えていた」片岡バッテリーコーチも「まず試合に慣らすのがねらい。これから少しずつ投球回数を伸ばしたい」と説明する。どうやら予定通りの1イニング試運転だったようだ。首脳陣の細かな配慮で無傷に滑り出した永川を、近鉄の西本監督は「腕の振り出しにちょっと無理があるようだが、それが直れば体もいいからもっとスピードがついて好投手になるだろう」と素質を認めた。高校ビック4の中で実力派の呼び声高い背番号24、今後の登板に期待がふくらむ。その若々しい力強い投げっぷりから見て、将来大物投手に育つ兆しをのぞかせた。
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宮本幸信

2017-08-16 09:36:21 | 日記
1975年

宮本幸信、実はトレードが決まったとき腹の底が煮えくり返る思いだったそうだ。チームの弱点を補い合う交換ならともかく、投手同士のトレードだったからだ。「阪急はもう僕を要らないっていうわけですよ。要するにおはらい箱ってやつですね」眼鏡がよく似合う理知的な風ぼう、温和な性格の男が初めて怒りを表に出した。そしてそれはプロ入り七年目にして初めて味わう惨めな気持ちだった。

四十二年、中大が大学選手権で優勝したときのエース、翌年ドラフト1位で阪急に入団、七年間で通算32勝。1シーズンでは四十五年の8勝が最高だったが、チームの中堅どころとして、また人間的にも後輩から言われる存在だった。それだけに「トレードなんて人ごとだと思っていたもんで、知らされたときは信じられなかった」そうだ。しかし、日南キャンプに参加して欲がたつにつれ、爆発した怒りも和らいできた。何事にも卑屈になったりしないこの男の、厚みのある人間性がそうさせたのだろう。いまはこう決意を固めている。「僕は広島の宮本になりきります。そしてこのトレードをよい方向にもっていかなくてはならない。いまとなってはもう阪急に対して悪意なんてありません。これからは阪急で悪かった点を直し、出来なかったことをやってこそ、逆に恩返しになると思うんです。とにかくやらなくればならないことは広島でガムシャラにがんばることです」阪急時代はピッチングにムラがあったと自ら反省している。「調子がよかったと思うと次の試合で大失敗してしまうんです。気合の乗せ方が下手だったんですね」そして弱点として速球に頼りすぎたこともあげた。たしかに宮本の速球には威力があったが、一本調子だったのでねらい打ちされたり、制球が乱れたりして何度か泣いたことがある。その点、今度のキャンプでルーツ監督が投手陣に与えた第一課題は、チェンジアップを身につけることである。宮本は「球種が少ないので、ものに出来れば大いに効きめがあると思う。それはまた、得意の速球も生きることになるわけです」という。スパーン臨時コーチも宮本につきっきりでチェンジアップの指導に当たった。竜コーチは「すばらしい速球の持ち主なので、スピードに変化を加えれば、少なくとも10勝は堅い。オープン戦から先発組に入れ、どんどん働いてもらいますよ」と大きな期待を寄せている。今シーズンの目標は、まだ経験したことのない2ケタの勝ち星だ。それにも自信はある、という。「ルーツ監督の指導を受けて実力がついたなあとひしひし感じているんです。こんな感じは今まで一度もなかった。絶対に戦力になってみせます」奥さんと子供二人を大阪に置いて、一人で広島へ行くことにした。「今まで地元の球団で、しかも両親もそばにいました。しかし、甘えてはいけないと決心したんです。ふとんの上げ下ろしからすべて自分でやって苦労しながら鍛えたいんです」阪急では温和でぼんぼんタイプだったこの男が、広島で勇ましく雄飛しようとしている。
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クリーク

2017-08-16 09:35:12 | 日記
1998年

ベールに包まれたとは、この男のことです。新外国人ダグ・クリーク投手の評価が真っ二つに割れています。3月6日、オープン戦初見参の日本ハム戦(甲子園)。2イニング、打者10人に対して3三振のゼロ封。クリークも「低めに投げなきゃいけなかったのに、ちょっと浮いてしまった感じだけど、まあまあ。スライダーとチェンジアップがよかったからね」納得顔のサウスポーに対して、5球団の007は要注意マークを付けていました。でも、快投を演じたクリークには「もうひとつの課題」があるのです。日本のけん制のルールにどうもなじめずに、クイックにも課題が残る点です。この試合でも7回にボークを取られた後で三盗まで許す始末で、この時だけは、ネット裏に陣取った他球団のスコアラーは、弱点見つけたりと得意げでした。「まだスプリング・トレーニング中なんだから、開幕までには考えるさ」と、修正に自信を持っているクリーク。虎党のカギを握る男だけに、早く本番OKの姿を見たいものです。
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富永格郎

2017-08-16 08:42:26 | 日記
1965年

サンケイ移籍がきまった富永投手(東映)が、「フォークボールでもなし、ドロップでもなし、なんとなくフワッと落ちるボールを研究中である・・・」という。どうやらシンカーの一種らしい。富永は今シーズン、五月の自動車事故(歩道を横断中に自家用車にはねられて大ダイ部を打撲し全治一週間)で、鳴かず飛ばずに終わっているが、自宅で休養中、しばしばテレビで巨人のゲームをみたそうだ。「それで、ボクが一番関心を持ったのは、宮田の落ちる球でしたネ。あれは、ドロップでもなし、フォークでもなし、どうやって投げているんですかネ」といっていたが、今回富永が発明した球も、ひょっとしたらそれかも知れない。これで往年の速球を回復すれば、またセ・リーグに一人魔球が誕生することになるが・・・。
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