プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

永本勲二

2017-08-27 22:17:06 | 日記
1964年

ペナント・レースで三十回。おたがい手のうちは知りつくしているが、南海の先発した永本という毛色の変わった初顔に西鉄は多少面くらった。ことし二年生の永本は一軍で投げるのはこの日がはじめて。三年生の伊藤とともにこの九州一周遠征に加えられて緊張していてストレートが低目に決まらない。しかし切れのいいカーブを内外角に投げわけ、四回まで西鉄を無得点に押えた。井上善は三回鈴木正、小池にうまく打たれて1点を先取された。その点、あとの安部は代打小泉に打たれただけという安定したできだった。五回の西鉄は三好、玉造、高倉の安打で同点としたが、玉造、高倉が相変わらずこのカードで強いことを認識させた。決勝点はあっけなく、八回三浦に和田が右前打、仰木も右前にテキサス、三進する和田をさそうとした右翼手樋口の送球がワンバウンド。若い三塁無従がこれを取り得ず後逸するといったぐあい。前日大当たりした若手に精彩なく、依然レギュラーの力をかりねばならない西鉄の姿を南海に知らされたような試合だったが、強行軍のスケジュールで選手たちは疲れ試合でものにもはりがなかった。
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谷哲男

2017-08-27 22:07:08 | 日記

1964年

中日ドラゴンズは三十日午後三時から中区南外堀町の同球団事務所で市立西宮高の谷哲男投手(17)=1㍍83、73㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。背番号は未定。同投手は甲子園に三回出場、春の選抜では準々決勝まで勝ち進んだ。上手投げの本格派投手で阪急、南海、阪神などの在阪球団も獲得争いをしていた。

谷投手の話 やっと希望がかなってうれしい。プロには専門のコーチがいるので気丈夫だ。さしあたっては足腰を鍛えるつもりだが、稲尾さんのようになりたい。
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山下完爾

2017-08-27 20:45:27 | 日記
1964年

昭和20年6月6日生

阪急では十五日午後三時から大阪梅田の航空ビル九階レストランシルバーで法大中退の山下完爾(かんじ)投手(19)=石川県立泉ヶ丘高卒、右投右打、1㍍78、70㌔=の正式入団を発表した。背番号は未定。山下投手は高校時代甲子園の第45回全国選手権大会に出場した本格派投手。法大でも期待されていた投手だったが、家庭の事情でことしの八月中退、さきの阪急強化練習に参加、テストの結果採用されたもの。
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富島五郎・金村清・東谷篤・中城透

2017-08-27 20:32:56 | 日記
1964年

南海は自由契約選手として決定している富島五郎投手、金村清内野手、東谷篤、中城透両外野手を五日球団事務所によび正式に契約の意思のないことを通達する。なお今シーズン半ば南海へ入団した山本坪一投手(北九州大出身)の退団も決定している。
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マイナープロ野球選手 生年月日

2017-08-27 14:53:44 | 日記
吉野晃司(元巨人) 昭和17年10月11日生
妹尾幸一(元南海) 昭和18年8月8日生
山田正陽(元南海) 昭和17年10月25日生
畠田守弘(元南海) 昭和18年11月29日生
矢野敬義(元南海) 昭和17年4月25日生
田中毅(元南海) 昭和16年5月20日生
長友安広(元南海) 昭和15年5月26日生
青木征雄(元南海) 昭和17年4月9日生
福原武夫(元南海) 昭和17年9月20日生
藤原陽司雄(元南海) 昭和16年7月30日生
板敷保(元南海) 昭和14年9月26日生
永本勲二(元南海) 昭和19年6月1日生
荒木和成(元近鉄) 昭和18年12月28日生
淵上信彦(元広島) 昭和19年6月25日生
佐藤英雄(元広島) 昭和16年8月7日生
原勇治(元広島) 昭和19年12月6日生
平田憲隠(元広島) 昭和16年1月9日生
田村政男(元広島) 昭和18年11月23日生
上野山猛士(元広島) 昭和18年10月12日生
宣山明(元広島) 昭和14年10月11日生
米増豊(元近鉄) 昭和13年12月21日生
仲野重勝(元近鉄) 昭和16年6月30日生
高井準一(元近鉄) 昭和18年1月1日生
栗野芳治(元大毎) 昭和17年8月5日生
中村邦弘(元大毎) 昭和18年1月19日生
岩名健治(元東映) 昭和13年8月4日生
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村上俊義

2017-08-27 09:28:17 | 日記
1959年(高校時代・東筑)

県北のシードナンバー2。打棒のさえでまず順当に勝抜いて来た。三年振りの二次予選出場だ。投手陣はどんぐりの背比べと悪口をいわれるが、五人の球質の違う投手をそろえている。まず主戦合谷はコーナーワークを武器とする頭脳的ピッチング。左投の村上はシュートが決め球、青は一年生ながらチーム一の長身からのスピードボールで真向から勝負する。この三人で一次予選をリレーして来たがこのほか、下手投の小川、一年生で球の重い佐藤がいる。しかし、これなら絶対という切札投手のいないことが悩みの種。

1965年

阪急は七日、阪神村上俊義投手(23)=1㍍75、66㌔左投左打=を獲得した。阪急はすでに戸沢代表の了承を得ており、近日中に入団発表を行う。村上投手は一昨年5勝4敗(防御率1・64)を記録、ウエスタン・リーグの最多勝利投手になった左腕投手。昨年トレード要員に指名された村上には阪急のほかに西鉄も獲得に乗り出していた。阪急が村上に目をつけたのは梶本、三平、浜崎の三人の左投手ではコマ不足ということと、東映が左打線を編成する点も考慮に入れ岡野球団社長、西本監督が検討した結果入団を決め、阪神に村上の譲渡を依頼していたもの。
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石田逸男

2017-08-27 09:05:03 | 日記
1962年 青森商時代

近年にないまとまりを見せ、春からの成績は13勝2敗1分。この引き分けが春の東北六県大会(盛岡)で岩手県の宮古高との18回延長1-1という試合だ。石田投手が最高のできで、18回延長のスタミナも心配なくナインもすっかり自信をつけた。大会では代表候補の筆頭にあり、甲子園出場の最短距離に立っているといえよう、マウンドを守るのは石田ただひとり。このところ調子を落とし秋田高との招待野球では今シーズン初めて打ち込まれ敗れた。しかし185㌢の長身から外角低め、内角へのシュートと延びのあるタマがビシビシ決まるとちょっと手が出ない。守備面も不安だった野村捕手がすっかり立ち直り、石田をリードするようになったし、まずアナというアナもなくなった。それにもましてこのチームの身上は打撃だ。春からのチーム打率が二割八分と県内では抜群で、大福、竹内、岡本は三割台をマークして好調だ。どこからでもムラなく、しかも神、鹿内の長打力で一気に勝負をつけるというこれまでにない厚味のある攻撃を見せる。ただ青商は不思議に夏に弱い。三十四年の大会も絶対有利といわれながら、代表決定戦で八高に完敗しており、万年優勝候補といわれるくらい。このジンクスを破るのはことしが絶好のチャンスといえる。
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