1964年
ペナント・レースで三十回。おたがい手のうちは知りつくしているが、南海の先発した永本という毛色の変わった初顔に西鉄は多少面くらった。ことし二年生の永本は一軍で投げるのはこの日がはじめて。三年生の伊藤とともにこの九州一周遠征に加えられて緊張していてストレートが低目に決まらない。しかし切れのいいカーブを内外角に投げわけ、四回まで西鉄を無得点に押えた。井上善は三回鈴木正、小池にうまく打たれて1点を先取された。その点、あとの安部は代打小泉に打たれただけという安定したできだった。五回の西鉄は三好、玉造、高倉の安打で同点としたが、玉造、高倉が相変わらずこのカードで強いことを認識させた。決勝点はあっけなく、八回三浦に和田が右前打、仰木も右前にテキサス、三進する和田をさそうとした右翼手樋口の送球がワンバウンド。若い三塁無従がこれを取り得ず後逸するといったぐあい。前日大当たりした若手に精彩なく、依然レギュラーの力をかりねばならない西鉄の姿を南海に知らされたような試合だったが、強行軍のスケジュールで選手たちは疲れ試合でものにもはりがなかった。
ペナント・レースで三十回。おたがい手のうちは知りつくしているが、南海の先発した永本という毛色の変わった初顔に西鉄は多少面くらった。ことし二年生の永本は一軍で投げるのはこの日がはじめて。三年生の伊藤とともにこの九州一周遠征に加えられて緊張していてストレートが低目に決まらない。しかし切れのいいカーブを内外角に投げわけ、四回まで西鉄を無得点に押えた。井上善は三回鈴木正、小池にうまく打たれて1点を先取された。その点、あとの安部は代打小泉に打たれただけという安定したできだった。五回の西鉄は三好、玉造、高倉の安打で同点としたが、玉造、高倉が相変わらずこのカードで強いことを認識させた。決勝点はあっけなく、八回三浦に和田が右前打、仰木も右前にテキサス、三進する和田をさそうとした右翼手樋口の送球がワンバウンド。若い三塁無従がこれを取り得ず後逸するといったぐあい。前日大当たりした若手に精彩なく、依然レギュラーの力をかりねばならない西鉄の姿を南海に知らされたような試合だったが、強行軍のスケジュールで選手たちは疲れ試合でものにもはりがなかった。