プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

斎藤誠二

2017-09-09 19:48:46 | 日記
1958年

一年生の斎藤は予選で強打の小諸商を六回まで三安打で零封しており、カーブ、ドロップの配球がよく、制球力もよい。

1959年

斎藤は長身からくりだす速球とするどいドロップがよく、エースとして進境が目だつ。しかしときには細かいところに気を配りすぎて三振が多い割合に四球も多く、打たせてとる投法に一苦心がほしいところ。
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川畑和人

2017-09-09 19:18:22 | 日記
1970年

昨年の公式戦で三勝をあげながら、オープン戦でパッとせず一軍残留か、二軍落ちかギリギリの線に立たされていたロッテの川畑が、「四年目の今年はなんとか一軍で登板できそうです」と胸を撫でおろしている。泣かず飛ばずだったオープン戦も五日の最終戦(阪神)で二失点されながら、五回を投げてやっと五試合目で片目を開けたからだ。濃人監督は、「低目に決まれば充分いけるピッチャー」と期待を寄せている。川畑は鹿児島実業出身の九州男児でことし四年目。一メートル七三、七三キロと小柄だが、シュート、速球にキレのいいのが特徴だ。昨年はイースタン十一試合(四勝一敗)一軍二十二試合(三勝零敗)と昼夜のかけ持ちをしたが、今シーズンは念願通り一軍一本槍でいけるかどうか。
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永井進

2017-09-09 19:11:27 | 日記
1957年 育英高校時代

投手力で育英の永井は春に比べて投法が変り、上手から投げるようになったので球質が一段と重くなっている。コントロールもよく好投手の一人に数えられよう。

赤穂の谷本は変化球では育英の永井に劣ってはいなかったが、スピードでは永井の方が優っていた。永井は高目からストライク・ゾーン一ぱいに曲り落ちるカーブのコントロールがよく、打者の肩元へホップするシュートも赤穂打者の打てなかった球だった。
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高垣義広

2017-09-09 18:37:43 | 日記
1967年

一躍、大洋のホープとなったのが高垣投手である。ドラフト会議では、近鉄が所有権を獲得したのだが、両加藤に門野と高校球界のスター投手をごっそり入団させたあおりでせっかくの権利を放棄した。かねがね、高垣投手に目をつけていた藤井スカウトが、それっとばかりに手中におさめたのだが、藤井スカウトは鳥取西高の大先輩。三原監督自ら、手をとらんばかりに指導するという熱の入れ方だけに、このホープを育てようとコーチ陣のノックにしても力が入る。ネット前に立たせて大石コーチが右に左にと守備練習。中学時代は陸上短距離の選手だったというだけあって、足のバネはあるのだが、つづけざまの打球に段々と足も、もつれてくる。途端に大石コーチが、「こらっ、そんなことでどうする!もうへばったか。そんなでは先輩に申し訳が立つか。先輩の名前を言ってやろうか」これには、さすがのホープ君もまったく弱い。「でもプロの練習はそれほどツラクないです。前に藤井さんにミッチリ教えこまれていますから」なかなか、たのもしい発言ではある。
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土師一男

2017-09-09 18:23:15 | 日記
1963年 佐賀工時代

春いらい最も期待を大きくしたものは、主戦土師の成長だ。超高校級のからだを持ちながら速球はやや伸びを欠き、五、六回まではなんとか切り抜けてもコーナーワークの甘さと一本調子から救援を仰ぐ状態だった。だが最近はカーブに鋭さを加え、制球に安定性をみせているところから投球に幅がでてきた。つまりカーブによって直球も生きてきたわけだ。ピッチングのコツを覚えたので、従来までの土師と違ったエースらしい風格も備わった。
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大沢勇

2017-09-09 16:45:18 | 日記
1963年

日川高校ー日鉱佐賀関
1㍍81、75㌔、右投右打、東京、合宿。
昭和16年7月28日生

まだ腰が残ってフォームが未完成。
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