プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

吉田定敬・長南恒夫

2017-09-16 20:44:26 | 日記
1963年

まだ二年目の若手投手がメガトン打線のスターたちをスイスイと片づけるのはくすぐったいおもしろさがある。吉田が森に満塁ホーマーを浴びた1個の失投以外は、この右と左のコンビで大洋重量打線をほんろう、「どうしてあれが打てないのか?」と三原監督の気げんをわるくしたほどだ。吉田はドロップが鋭くスピードもあって四回までは被安打3、うち2個は内野安打というなかなかのでき。吉田をここまで伸ばしてきた多田コーチは「上半身のフォームを変えてからスピードが元にもどった。大分での近鉄戦でも二回投げさせたが若手のなかではもっとも有望」とネット裏から熱心に見つめていた。救援した長南は投げおろす低めの内角球がズバリと決まった。五回で被安打2、自責点0は吉田以上で多田コーチもひそかに期待している左腕のひとりという。満塁ホーマーを打たれて降板を命じられた吉田を長南が「惜しかったな」となぐさめるあたり仲もいい。二年生コンビが、ふたりとも出来については「まだまだですよ」とひかえめ。尾崎、安藤の調子がも一歩の現在、ふたりの好投が東映投手陣に二本の光を投げかけたことは事実だ。
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栗本光明

2017-09-16 20:24:00 | 日記
1960年

昨年のノンプロの王者・熊谷組も栗本の前には走者を三塁に進めるのが精いっぱいだった。熊谷組が三塁をふんだのは14回でわずかに二度(二、七回)それも二死からだ。「疲れた。まだスタミナに自信がないから」といいながらも栗本はケロリとした顔をしている。何しろ一昨年の選抜京都大会では日本新薬を相手に24回2/3を投げたことがある。昨秋の産業対抗では東レ滋賀に補強され、熊谷組戦に登板、8-3で勝っている。「去年の秋にくらべたらまだ腰の切れが悪くなってスピードがない。だから後半はおもにカーブを外角に集めるピッチングでいった。これにシュートをまぜたのが成功した。熊谷はバットがまだ振り切れない感じでした」プロからマークされている投手の一人だが「全部、監督さんにおまかせしてあります」と煙幕を張って答えない。入社八年目、いちばん古い選手になった。上京一週間前に流感で寝こみ、目方がいっぺんに2㌔近くも減ってしまったそうだ。「フライ級投手ですよ。でもチームではボクがいちばん古いんだし、ばりばり投げなければ」と最後に持ち前の強気をのぞかせた。ポツリ、ポツリと小雨が降り出したベンチ前で話つづける栗本に後ろからナインがそっとジャンパーをかけたやった。熊谷キラー栗本は、倉レの一枚看板だ。福山工出身、1㍍74、55㌔、右投右打、背番号16。倉敷レイヨン岡山工場営繕課勤務。二十五歳。
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