プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

三宅博・中島広喜

2017-09-18 12:30:55 | 日記
1959年

倉敷工・三宅博遊撃手(18)と大田高・中島広喜投手(18)はこのほど阪神に入団が内定した。三宅は昨春の選抜大会に出場したとき、すでにスカウトからマークされていたが、プロは性格に合わないと今夏の予選前に富士鉄広畑に入社することをきめていた。その後阪神、東映、広島、阪急が強硬に交渉をつづけたため、富士鉄広畑の話は白紙にもどし、倉敷工の小沢監督(元阪神)の線で阪神入りとなったもの。中島は昨秋地元で三十六イニング無失点を記録してから注目され西鉄、阪急、広島、南海、中日、阪神、近鉄などが熱心に勧誘していた。

阪神・河西スカウトの話 「三宅は国体があったので本人への交渉はさけて学校に申し込んでいた。本人は最初から阪神をのぞんでいたので、契約はまだしていないが入団は間違いないだろう。中島は夏の大会終了後、話がとんとん拍子に進んでいたが、学校側が不祥事件(島根県予選決勝)で大社高が放棄試合をしたこと)の処分がきまるまで、ハデな行動はさけたいという自重の態度を示してたので、話がのびていた。中島もまだ契約はしていないが、入団してくれるだろう」

中島広喜 選手権大会では倉敷工に十安打の十点をとられ一回戦で姿を消したが、10三振を奪っている。上手から外角低目の速球とドロップを武器とする本格派投手。将来性を高くかわれ好投手にかぞえられていた。1㍍75、69㌔、右投右打。

三宅博 昨春の選抜大会以来、春夏連続四度甲子園大会出場。今夏は大田高戦(一回戦)で三打数二安打、二回戦で東北高に負けたが、四打数一安打、通算七打数三安打で四割二分八厘。巨人・広岡ばりの軽快な守備で選手権では№1内野手の折紙を付けられた。アメリカ遠征の全日本にはもれたが、スケールの大きいプロ向きの選手長打力はないがシュアな打撃をしている。1㍍70、65㌔、右投右打。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

椎木孝彰

2017-09-18 11:56:18 | 日記
1966年

九回表、杉下監督が打った手は、ことごとく裏目にでた。この試合で一番孤独を感じたのは杉下監督だったにちがいない。九回表一死から長島が中前安打した。ゆっくりベンチからでてきた杉下監督は、捕手の辻佳を呼んで石川の調子を打診してからマウンドに歩みより、投手交代を筒井主審に告げた。このとき右翼ラッキー・ゾーン内の阪神ブルペンでは安部と左の椎木が投げていたが、だれもがリリーフは安部と思ったことだろう。ところが谷村一塁審判は左腕をぐるぐる回して投手椎木と合い図した。プロ入り四年目で公式戦に一度も投げたことがない椎木(和歌山大成高出)しかも打者王だからスタンドはこの交代に大きくどよめいた。1球、2球ボール。ベンチの最前列でからだをのりだし、祈るようなまなざしで見つめていた杉下監督は、ガックリ首をたれた。「投手は初球が勝負だ。それが高めに浮いた。いかんと思ったね」試合後語る杉下監督。王への初球ボールが、試合の明暗を分けたとなると、なぜ初登板の椎木を大事な場面に使わねばならなかったのだろうか。「キャッチャーが実に遠く見えました。王の顔さえ覚えていません」というほど上がっていた椎木を、あえて王にぶつけたのは「椎木がコントロールのいいことと、王が当たっていないこと」(杉下監督の話)が理由だった。それで王四球で継投の歯車がくるった。あわててリリーフ太田を送ったが、塩原に一塁背後へ渋いヒットを落とされた。いったんくるった歯車はどこまでいってもかみあわない。安部に継いだところへ吉田勝、島田のタイムリーがつづいた。「杉下監督があの場面で若手をつないできた気持ちはわかる。ただ守る方にとってこわいのは継投の切れ目ができることだ」と川上監督はいっているが、切れ目とは椎木ー王四球ということなのだろう。投手出身の杉下監督が若い投手の心理状態を計算に入れなかったのはうかつだったかもしれない。だが、村山、バッキー、権藤を使えない阪神投手陣ー。監督の悲哀をしみじみと思わせた試合だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする