プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

笠原栄一

2019-03-02 23:28:29 | 日記
1987年

フォーム・・・スリークォーター 球種・・・ストレート、カーブ、フォークボール。

ロッテの珍人類・笠原栄一投手が18日の対巨人戦(後楽園)で大力投。相手打線を4安打に抑えての完封勝利で今季1勝9敗2分けと、全く相性の悪いこのカードのうっぷんを晴らした。「カーブのコントロールがよかった。内、外角の出し入れも見事だった。最高!!」と金田二軍投手コーチも絶賛する投球内容。この日は奇しくも、パセラの御前試合とあって、巨人・王監督も球場に駆けつけたが「すごいという感じだね。ウチは手も足も出なかった」と、成長した笠原に、ビックリ。実は笠原、西武・バークレオのデビュー戦にも登板しており「オレって、外人見ると力が出るんですよ。エヘヘヘ・・・」と例によってニヤケていたが、一軍の木樽投手コーチは「今でも上でいいんだが」と期待は高まるばかり。そのXデーは9月中旬だ。
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西沢浩一

2019-03-02 23:07:25 | 日記
1985年

ことしは二軍で9勝4敗と去年の勝ち星と負けと逆転したい。

攻撃的な投球を覚えたい。それにはシュートをマスターしたい。
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染宮修支

2019-03-02 22:49:58 | 日記
1987年

ビシッと決まる直球は150キロという速さ。1軍での登板機会も年々増え、防御率もよい。コントロールに磨きをかけ、1軍に定着するのも間近か。
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木下文信

2019-03-02 22:32:56 | 日記
1990年

ストレートの速さとフォークの威力に、ますます磨きがかかってきた。貴重な左の中継ぎだ。昨年はヒジに「ネズミ」と言われる軟骨ができ、前半をボウに振ったが、出てきてからは充分に実力を発揮してくれた。度胸の良さはバツグン。ピンチでのマウンドでは欠かせない男だ。ヒジ痛さえ抑え込めば今年も頼りになる存在だ。
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野口理夫

2019-03-02 22:26:19 | 日記
1994年

筑陽学園高からドラフト外で入団して4年目。昨年はファームで7回3分の2を投げたが、制球力が今一つだった。持ち味は豊富な球種。特にフォークは切れ味抜群だけに、178㌢、71キロの体をもう一回り、パワーアップすれば、素質が開花するはずだ。まず目標はウエスタンリーグでの1勝。自信をつけて一軍入りを果たしてほしい。
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角田満

2019-03-02 22:18:42 | 日記
1987年

テスト入団で1年間、黙々と打撃投手をつとめながら、ひそかに投球技術をみがいてきた。打撃練習が終ると、ブルペンに走って、長田捕手に頭を下げ、受けてもらった。そのひたむきな姿勢に、大石コーチもあたたかい目を向けている。「まだまだ荒けずりだが、いいタマを持っているよ」-努力が実って晴れのファイターズ選手の一員だ。テスト生から1軍入りを見事に果した坂巻投手といういい手本がある。さあ、いよいよ、プロのスタートだ。
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山根雅仁

2019-03-02 22:10:03 | 日記
1994年

契約金は高校生としては球団史上最高の8千万円。平田(中日)、平井(オリックス)とともに昨ドラフトで注目された高校三羽ガラスの一人である。将来のエースにと期待される右横手投げ。少年時代からカープファンで「相思相愛」での入団だ。69㌔というスリムな体から放たれる速球はMAX147㌔。その速球とスライダー、カーブを武器に、1試合の三振奪取は10個を超える。
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吉田道

2019-03-02 21:25:01 | 日記
1994年

1日も早い一軍での登板が待たれる。選抜大会で準優勝の実績を引っ下げて入団して2年目。昨年はいきなり右ヒジの軟骨除去手術を受ける試練の時もあった。しかし、「将来のエース」はこんなことではひるまない。素質を高く買ってくれた鈴木監督に登板を売り込むほどの強気な性格。145キロのストレートと、落差の大きいカーブを武器に一軍への道を歩み始める。
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江本晃一

2019-03-02 21:12:26 | 日記
1985年

左の大型左腕。184㌢の長身から投げ下ろす速球のスピードは140㌔台と速い。カーブもいいものを持っている。好不調の波はあるが、上下のバランスを使って投げることを考えれば、かなり威力のある球が投げられるだろう。投手として、まだ経験2年。これから下半身を鍛えれば、大きく飛躍する逸材だ。

1987年

長身から繰り出される速球は140㌔台。カーブも鋭い。投手に転向したのは高校2年の時でまだまだプロでは力不足。今はもっぱら体力づくり、今年は体力の上に技術も身につけ、より一層の飛躍が期待されている。

乱打戦模様の5回途中からマウンドに上がり3回をピシャリ。プロ入り初勝利をあげた江本は「ボクら中継ぎは白星をあげるのは役目じゃないですから・・・。でも、やっぱりうれしいですね」と目をうるませた。川畑、中村ら今季活躍の59年ドラフト組。指名順位は4位と3人の中で一番遅かったが、2人に負けない大活躍と言えるだろう。

1988年

長身から繰り出す、速球、カーブには左投手特有の威力がある。上宮高野球部で、途中から投手に転向。プロ入り後も投手として秘められた未完成の魅力を持つ。それだけに今後の努力次第で大きく伸びうる期待でいっぱいだ。
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田中由基

2019-03-02 20:57:17 | 日記
1994年

「中日の山本昌に似ている」と言われる期待の左腕。投げる際、腕が遅れて出てくるうえ、機械仕掛けのように見えるフォームがまずそっくり。また、カーブ、フォーク、スクリューボールと、多彩な変化球を操って打者を幻惑する投球術も、山本昌をほうふつさせるものがある。この投球術で一試合に奪った三振が平均12個弱。甲子園大会に出場していないため無名に近いが、近畿地方では早くから「左腕ナンバー1」との評価を受け、「なにわのドクターK」との異名もある。高校時代からの広島ファンで、ドラフト前は逆指名。翌日には入団を決めた。目標は大野。闘争心もあり、将来は柱になる可能性を秘めた投手だ。
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品田寛介

2019-03-02 20:51:47 | 日記
1994年

ふたつ年上の操士さんは近鉄の投手。また、ひとつ年上には池田(広島)がいたため花咲徳栄時代は一、二年生の時、内、外野手だったが、三年生から投手に転向し、メキメキと頭角を現した。甲子園大会の出場経験はないが、県予選でノーヒットノーランをやってのけ、一躍、注目を集めた。セールスポイントは、体の瞬発力と腕のしなりを使って生み出す球のキレ。また、変化球もカーブ、スライダー、フォークと多彩で、投手としての素質は兄と池田の両先輩に負けないものがある。目標は北別府。「自分のかいた汗はウソはつかない」という言葉をモットーに、将来のエースをめざしている。
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川本和宏

2019-03-02 19:42:19 | 日記
1982年

同僚の小山(近鉄)よりも評価は一枚上。サウスポーとあって貴重な存在。一日も早い成長が待たれる。金田が目標の甲子園球児。ストレートは超高校級の折り紙つきだ。

1983年

ファームの首脳陣の証言を借りよう。あの勝負度胸、ピッチングの組み立て、それに打者としてみても非凡なセンス、川本が一軍に登場するのは意外に早いのじゃないですか。身体はお世辞にも大きいとはいえないが、全身これ肝っ玉といった、つっぱり精神がうかがえる。このへんが楽しみである。
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入生比佐男

2019-03-02 19:29:56 | 日記
1983年

ドラフト外、契約金1400万。昨夏の甲子園大会に春夏連続出場。夏は対日大二高戦で投げた。速球と鋭く変化するカーブが武器。
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伊藤真

2019-03-02 19:26:46 | 日記
1992年

新聞配達をしながら大学へ。しかも野球部の代理監督を務め、チームを引っ張っていた。中央球界でも全く無名。大学で野球をしながら町の草野球チームにも出場。千葉県内では異色のサウスポーである。秀明八千代高から八千代国際大へ。千葉大学リーグでは一昨年と昨年最優秀投手賞に輝いた。千葉大学リーグ選抜チームで米国遠征にも参加もはたした。右腕からのピッチングは、無理のない素直なフォーム。「大野二世」をめざす。
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小林昭則

2019-03-02 19:12:03 | 日記
1993年

右バッターのインコースにズバズバと切れのいいシュートボールを投げこんでくる。さほど大きくない身体ながら、ハートにはマウンド度胸がいっぱい詰まっている。国立大学出身の知性派ピッチャーとして毎年活躍が期待されているが、あと一歩のところでなかなかカベをつき破れない。入団4年目、今年こそプロ初勝利だ。
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