プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

七森由康

2019-03-31 16:44:32 | 日記
1965年

巨人の合宿でグーグー寝ていた七森が起されたのは午前九時だった。巨人・佐々木代表からの呼び出し電話。「電話といわれたとき、ピーンときた。国鉄移籍の話だろうと予想して出かけたら、見事に当っちゃった」佐々木代表から申し渡されたとき、七森は顔色一つ変えなかった。「ぼくが文句をいっても、球団が決めたことだからしようがない。チームが違っても野球がやれることにかわりはないんだから・・・」細川チーフ・マネジャーに付き添われて国鉄の今泉代表のところへ。契約もあっさりすませた。「考え方によっちゃ、チャンスが飛び込んできたんだ。巨人ならローテーションにはいりこむのもむずかしいけど、国鉄ならなんとかはいれそうな気がする。すぐにトレーニングを始めなきゃ・・・」ことしの正月に巨人でたてた三年計画も完全につぶれた。国鉄では三年先を目標にしたら置いてけぼりにされてしまう。「速球にもう一つのびが出てきたらしめたものだ。スピードさえついたらかなりやれると思う。それに巨人は左投手に弱いといわれているからね。国鉄にはいることがもっと前からわかっていたら、じっくり研究しておくんだった」細川チーフ・マネジャーからバトン・タッチを受けた国鉄の林田マネジャーが有楽町の球団事務所へ七森をつれていった。一度もきたことがない事務所。七森ははじめてとまどいの表情をみせた。「三時間前までこんなこと考えてもいなかった。オヤジにだけすぐ知らせなければ・・・」父親一郎さんは脳軟化症で大阪の病院に入院中。七森の肉親といったら、この一郎さんしかいない。「オヤジは目を丸くするだろうな。からだにさわらなければいいんだが・・・。でもきっと励ましてくれるだろう」林監督とは「よろしくお願いします」と電話であいさつした。林監督から「こんどメシでもいっしょにたべよう」という誘いには大喜びだった。「ぼくのどこを監督さんは買ってくれたんだろう。名前を指名してくれたということにファイトを燃やさなければ・・・。そしてナインととけ込んで国鉄のためにがんばるんだ」球団事務所をとび出して、三年間住みなれた多摩川の巨人合宿へ舞いもどり、あわただしく世帯道具をひっくるめて国鉄の大倉山合宿へ引っ越していった。

七森由康(ななもり・よしやす)

大阪市立西高から三十七年巨人に入団、三十九年六月二日の対広島十四回戦で初の完封勝ちをマークした。上手から大きく落ちるドロップとカーブが決め球だが、コントロールにやや難があった。プロ入り通算成績は4試合2勝1敗。イースタン・リーグでは24試合5勝5敗。
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江尻亮

2019-03-31 16:23:36 | 日記
1965年

四回から高橋にマウンドをゆずった江尻は、そのまま外野のフェンス沿いを走っていた。まだ試合中だったが三原監督もだまっていたし、目ざわりだからと文句をつける打者も一人もいなかった。二十二日のレギュラー・バッティングでもめった打ち(打者十八人、九安打、7失点)この日もまた、いたたまれないような気持ちで走る江尻をナインはそっとしておいてやりたかったに違いない。約十五分後引きずるような足でロッカーへ引きあげてきた江尻は「みっともない」をさかんにくり返した。「ボールが走らないし、カーブもまったくいうことをきかないんです。こんなにピッチングの感じがつかめないなんて・・・」卒業試験のため草薙キャンプは後半の九日間しか参加していない。投げ込みがたりないというのも当然かもしれない。「わがままはいえませんが、できれば試合なんかに出ず多摩川でおくれた分だけでも投げつづけていたかった。ぼくにはまだ一日三百球くらいのピッチングが必要なんでしょう」キャンプでも参加するなり毎日三百球以上投げていた。とたんに体重が2㌔へったくらいだ。しかし別所ヘッド・コーチはこんな見方をしている。「打たれたのは投げ込み不足なんかじゃない。ピッチングが単調なんだ。それにカーブだって小さなカーブ一つじゃいけない。変ないい方かもしれないが、きょうはむしろ打たれることを期待しながら登板させたんだ。結果は思ったとおりに出た。しかしこれからはもうむちゃなことはさせずに大事に育てるつもりだ」まず単調な投げ方をさけ、同時にカーブ、シュート、チェンジアップをマスターすること。首脳陣が江尻にかけたこれからの課題だ。すでにオープン戦参加メンバーにもはいっている。今シーズン十分使えるかどうかはオープン戦できまるだろう。
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江尻亮

2019-03-31 16:13:49 | 日記
1965年

四インニング三分の二を投げて被安打六、自責点は3。これがオープン戦三試合での江尻の成績だ。「一生懸命やっているんですが、どうもなかなか調子がでなくて・・・。四月の声を聞くまではのんびりしていた大学時代のクセが、抜けきらないのでしょうか」と自分でも首をひねっている。最近やっと調子があがり、シュートが切れるようになった。この日もここというところで五球はシュートを投げた。「とにかくキャンプに遅れたのが痛かったのです。おまけに試験は二科目も落としちゃったし」卒業試験のために草薙キャンプは約半分(十日間)しか出られず、試験も二科目が追試となり、対南海オープン戦(10日・明石)の最中にノコノコ東京へ帰った。「ぼくはもっとなんでも欲を出さなければいけないのですが、どうも消極的で困ります。プロにはいったのですから、同じカーブを投げるのだってもっとブレーキのきいた思い切ったやつを投げたいのですが、もしぶっつけたら、なとど考えたりして・・・」人を突きぬけて自分を押し出すのが苦手。プロの世界でこでいいものか、迷っているという。実家は茨城県高萩市本町になる旅館。プロ入りの話がでるまでは、この旅館の若だんなにおさまるものと自分で決め込んでいたそうだ。三原監督はじめ首脳陣の期待は大きい。それについて、別所ヘッド・コーチはこういっている。「一見おとなしそうだしすなおだ。しかしなにくそというファイトも人一倍だ。巨人などと違ってまだ伝統のない大洋で、新しいチームカラーをつくりだせるのはこの江尻のような選手たちだ。ことしは投手陣を幅ひろく使うつもりだが、江尻は監督とも相談して、単に左ということにこだわらない使い方をしてやりたい」
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羽村起夫

2019-03-31 15:42:05 | 日記
1965年

南海は十一日、倉敷工の羽村起夫投手(18)=1㍍82、78㌔、右投右打=と契約した。同投手は長身からの速球が武器で、中日入りした菱川らとともに昨年春の選抜大会に出場したが、二回戦で金沢高に敗れている。南海は山下スカウトが勧誘、昨年秋のファームの練習に参加させていた。
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白鳥浩徳

2019-03-31 15:36:31 | 日記
1994年

バッターの胸元をえぐるようなシュートが武器。社会人時代から注目を浴びる。「年齢は27歳ですが、体のピークは今。気持ちは十代のつもりで頑張りたいと思います。ボールのキレで勝負します。」140キロ台のストレートと切れのあるシュートで即戦力に。

契約金7000万。高校時代は83年春、84年夏と甲子園出場も、ベンチ入りで登板はせず。90年、93年と都市対抗に出場。昨年は日立製作所の補強選手として出場。2試合リリーフしたが、4回1/3投げただけ。年齢的にも即戦力、中継ぎで登板。

1996年

変化球のコントロールには自信を持っている。得意のシュート、スライダーにさらに磨きをかけて、早く一軍で投げられるようにがんばります。

1997年

変化球のコントロール、特にキレのあるシュートを見てほしい。早く一軍で投げることが、目標です。
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