1986年
竹下も実はルーキーだった57年、一軍ベンチ入りしたこともあった。立場としては、中山や相川と同じだったのだが、そのチャンスを生かせずしぼんでしまった。足首のケガなどもあったが、一軍での登板は59年の7試合だけ。そして、今季、いつしか5年目を迎えていたー。「エースで甲子園に出たくてボクは沖縄まで行ったんですよ。そして、思い通りに甲子園に出られたし、プロのスカウトの目にも止まった。ここまでやってきたのに、いまつぶれたら何のために野球をやったのかわかりません。絶対やりますよ」(竹下)ここまで書いてくれば、忘れていた人も、ああ、あの竹下か、と思い出してくれるだろう。そう、兵庫県(つまり甲子園のおひざ元)からわざわざ沖縄の興南高に野球留学、狙い通りに56年夏、甲子園出場を果したあの竹下である。甲子園では皮肉にもいまチームメイトの松本(秋田経大付)に投げ負けたのだが、当時はかなり話題になった選手。それが5年後にはただの人?いやいや、まだまだ竹下に可能性は残されている。「一軍の投手ワクには十分入れる素質は持っている。打者のタイミングをはずすテクニックを、若いくせに身につけているからね。これは大きいよ」というのは辻二軍バッテリーコーチ。それなのになぜ、即一軍とならないのか?ハルさんの見るところ、竹下の場合、どうも、足首のケガにいつまでもこだわって、そこから抜け出せないでいる。足首が弱いんだったら、それをカバーする方法を考えなくっちゃ。「鈴木さん、ボクだって、風呂に入れば、足首を回したり、リハビリ強化に努めてるんスよ」と竹下は口をとがらせたが、私にいわせれば、歩く姿勢から直した方がいい。絶えずヒザの内側に力を入れて、歩くことだ。これだとケガ防止、瞬発力養成、足首強化と一石三鳥の効果がある。江尻二軍監督は「竹下は体の重さがすべて外側にかかる歩き方をしている」というのだから、なおさら、この歩行をすすめたい。私は不調になると、この内側の筋肉を意識して使うことによって調子を取り戻したことがあった。ウソだと思うならやってみなさい。ハルさんはウソはいいません。竹下は「故障後はヒザがマウンドにつかなくなった。その分上体だけの投球になっているんです」と自己分析したが、要するにかばっているのだ。竹下クン、勇気を出して、思い切っていこうぜ!
竹下浩二
野球をはじめたきっかけ 小学2年のとき兄がしていたので
思い出 甲子園出場が決まったとき56年(夏)
プロ野球選手でなかったら プロレスラー
恩師 興南高・比屋根監督
ライバル 投手全員
血液型 B型
好きな女性のタイプ 明るい女性
休日の過ごし方 ぶらぶらしている
セールスポイント スライダー
いま一番の反省点は? ケガが多いこと
将来の夢 大きな一軒家に住みたい