1983年
愛称ヤンバル君にオープン戦第一戦(対阪神、3月6日)の先発指令が出た。テストを兼ねた紅白戦初先発は、3イニングをわずか1安打の無失点。「思い切り投げました。ブルペンの力は十分出せたと思います」と竹下が言えば、見守った関根監督は「球に勢いがある。まだ若さが出る(2四球)が、オープン第一線は竹下でいきます」ヤンバルとは、沖縄で発見された珍鳥ヤンバルクイナを略したもの。竹下は沖縄で野球人生をスタートさせていた。「甲子園に出るなら沖縄の方が楽だと思って、興南を選びました」実家は甲子園のすぐ隣、尼崎市だが、竹下ははるか遠く興南に進学した。いわゆる野球留学だが、これが楽ではなかった。「独りぼっちの下宿住まいでしょ、朝、昼は学校で食事するんですが、夜は全部外食。大阪と沖縄じゃ味がまるで違って、食べられないんです。毎晩布団に入って泣いていました」両親の反対を押し切っての進学だけに実家に帰るわけにいかない。最初の1週間は味のないジュース、コーラで過ごしたという。「1週間で7㌔も減りました」しかし、15歳の若者が3年間で学んだ独りぼっちの生活はプロ入り後大きくプラス。2年生ながら伸び伸びとキャンプを過ごし、今、早くも一軍切符をつかもうとしている。「いや、まだ早いですよ。去年だってファームで2回しか投げていないんですから」とテレる。球種は真っすぐとカーブしか持たない。そのカーブもこの日やっと曲がりだしたのだ。「はい、ぶきっちょなんですよ。今、フォークを練習していますが、うまくいかないですね」と正直だ。それでも、中学時代から竹下を見守ってきた高松スカウトはおほめの言葉だ。「真っすぐは速くなったし、カーブも十分曲がる。ブルペンではいまひとつだったが、打者が立てば曲がるんですよ。あのスピードの落差はおもしろい」最高145㌔の快速球を武器に、飛べないはずのヤンバルクイナが、2年目にして大きく羽ばたこうとしている。
愛称ヤンバル君にオープン戦第一戦(対阪神、3月6日)の先発指令が出た。テストを兼ねた紅白戦初先発は、3イニングをわずか1安打の無失点。「思い切り投げました。ブルペンの力は十分出せたと思います」と竹下が言えば、見守った関根監督は「球に勢いがある。まだ若さが出る(2四球)が、オープン第一線は竹下でいきます」ヤンバルとは、沖縄で発見された珍鳥ヤンバルクイナを略したもの。竹下は沖縄で野球人生をスタートさせていた。「甲子園に出るなら沖縄の方が楽だと思って、興南を選びました」実家は甲子園のすぐ隣、尼崎市だが、竹下ははるか遠く興南に進学した。いわゆる野球留学だが、これが楽ではなかった。「独りぼっちの下宿住まいでしょ、朝、昼は学校で食事するんですが、夜は全部外食。大阪と沖縄じゃ味がまるで違って、食べられないんです。毎晩布団に入って泣いていました」両親の反対を押し切っての進学だけに実家に帰るわけにいかない。最初の1週間は味のないジュース、コーラで過ごしたという。「1週間で7㌔も減りました」しかし、15歳の若者が3年間で学んだ独りぼっちの生活はプロ入り後大きくプラス。2年生ながら伸び伸びとキャンプを過ごし、今、早くも一軍切符をつかもうとしている。「いや、まだ早いですよ。去年だってファームで2回しか投げていないんですから」とテレる。球種は真っすぐとカーブしか持たない。そのカーブもこの日やっと曲がりだしたのだ。「はい、ぶきっちょなんですよ。今、フォークを練習していますが、うまくいかないですね」と正直だ。それでも、中学時代から竹下を見守ってきた高松スカウトはおほめの言葉だ。「真っすぐは速くなったし、カーブも十分曲がる。ブルペンではいまひとつだったが、打者が立てば曲がるんですよ。あのスピードの落差はおもしろい」最高145㌔の快速球を武器に、飛べないはずのヤンバルクイナが、2年目にして大きく羽ばたこうとしている。