プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

小松輝清・麻生勲

2020-01-22 11:45:13 | 日記
1959年

阪急ブレーブスでは六日午後二時宮崎大淀高の小松輝清一塁手(18)と、高崎商の麻生勲捕手(18)の入団を正式発表した。小松選手は昨年夏の甲子園大会で大淀高の中心打者として活躍した長打力を秘めたスラッガーである。身長1㍍79、体重70㌔、右投右打、昭和十六年七月二十三日生まれ。また麻生捕手は関東地方では強肩強打の好捕手として知られ、捕手陣に人材を欠く阪急では麻生の入団は大きい。身長1㍍74、体重73㌔、右投右打、昭和十六年四月二十三日生まれ。
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会田豊彦

2020-01-22 11:34:57 | 日記
1959年

中日ドラゴンズではかねてから入団が決定していた東都大学リーグの強打者、日大の会田豊彦選手(22)と二十四日午後四時半、東京都麹町東京中日新聞社二階貴賓室で平岩代表、宮坂二軍監督立ち会いの下に正式に契約調印した。同選手は山形南高をおえ、日大入学当初から将来をしよく望された選手で、入学一年目にしてレギュラーの位置を獲得、秋には早くも東都大学リーグの首位打者となった。今春は4割3分8厘の高率をあげ、ベスト・テン第三位、秋のリーグ戦では3割4分8厘をマークするなど、在学中は終始チームの主軸打者として健棒をふるった。一塁、二塁、外野を経て三塁に定着、最近守備でも著しい進境をみせている。身長177㌢、体重72㌔、右投右打。

会田選手の話 ドラゴンズ以外からも熱心な誘いをうけたが、私はドラゴンズのチーム・カラーが好きで入団しました。ポジションは三塁以外に二塁、外野などの経験があるが、できることなら三塁をやりたい。大学とプロ野球とではおのずと力に各段の開きがあるから自信はないが、打撃は2割5分を目標にしたい。大物は打たないが、シュアーな打者になりたい。

平岩代表の話 会田君は技術的な面はもとより精神的にも非常にしっかりしている。やはり日大の主将をつとめただけのことはある。それだけにプロ野球に入っても十分活躍できよう。一応中日でのポジションは三塁手を考えているが、杉下監督と相談してどこをやってもらうか決めたい。いずれにしても森、江藤と並び将来中日の主軸選手となってもらう人だ。
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宮崎元忠

2020-01-22 11:15:15 | 日記
1960年

八高宮崎投手(17)=が来春卒業と同時に大洋球団に入ることになった。同投手はかねてからプロ入りを希望していたが、八高のコーチであり東京農大監督の竹内愛一氏(38)もその素質を買い、大洋の三原監督、森球団社長、谷内コーチらとは早大先輩で旧知の間柄にあるところから同球団に紹介したもの。宮崎投手は今月上旬竹内氏の手引きで上京、ちょうど日本シリーズが行なわれたため、三原監督らに会えず、同シリーズを観戦しながら球団側の意向を待っていたところ、今回OKとなり、今月下旬正式に契約がかわされることになっている。同投手の実家である三沢市大町一丁目、朝日印刷の宮崎藤吉さん(51)は、この内定に奥さんのつるさん(43)とともに次の通り語って一家大喜びである。本人は大学に行くことも考えていたが、できるならプロ入りを希望していたし、私たちも本人の好きなようにさせたいと思っていたから、今度きまってほんとうに喜んでいる。
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