プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

1963年 西鉄 入団選手

2020-01-08 17:24:38 | 日記
1963年

西鉄ライオンズは二十七日新入団選手五人を発表した。

清俊彦(せい・としひこ)(18)高鍋高、投手(右、右)身長177㌢、体重67㌔
竹之下五十三(たけのした・いそみ)(18)鹿児島高、投手(右右)身長177㌢、体重73㌔
若林淳至(わかばやし・じゅんじ)(18)福岡電波高、投手(左左)身長174㌢、体重68㌔
野上国博(のがみ・くにひろ)(18)大分緑ヶ丘高、投手(右右)身長178㌢、体重73㌔
島田伸也(しまだ・しんや)(18)高知商高、内野手(右、右)身長173㌢、体重68㌔

川崎常務の話 ことしはあまりハデな補強をしなかったため、風当たりも強かったが、わたしとしては名より実をとったという点でいい補強をしたと思う。あとはコーチ陣の指導や本人の努力でスターへの道を進んでほしい。

清投手の話 ライオンズの明るいカラーにひかれた。先輩に教えてもらうことを忠実に守り、努力していきたい。早く試合に投げられることが第一の目標です。

竹之下投手の話 稲尾さんを目標にいっしょうけんめいがんばる。投手になってまだ一年だから、これから勉強することがいっぱいある。高校ではストレートとシュートだけで勝負してきたが、プロにはいったのだからカーブの勉強も課題のひとつだ。

若林投手の話 西鉄の強さ、たくましさにひかれた。自信のあるのはシュートだが、ストレートでもやれると思うので、技巧に走らず、あくまで力で押す投手をめざす。とにかく一からやりなおします。

野上投手の話 学校の先輩に稲尾投手がおられるし、ライオンズのユニホームを着られるのはうれしい。シュートが武器だが、プロにはいってまずコントロールを勉強したい。
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山田治之

2020-01-08 16:58:07 | 日記
1964年

カープの第二次秋季練習に指名参加しているのは来季の飛躍が期待されている若ゴイばかり。そのなかでもとくに注目されているのが山田外野手。この春、名古屋電工から捕手としてテストを受け入団、打棒を生かして野手に転向、持ち前のファイトと馬力でグングンと頭角を現わし、早くもレギュラーへあと一歩。秋季練習以前にはこれだけ台頭するとは予想されていなかっただけに、コーチ陣の喜びもひときわ大きい。山田の魅力はすごい馬力だ。1㍍75、75㌔のがっちりしたからだは、巨人の池沢をひとまわり大きくした感じ。その丸太ん棒のような腕からはじきだされる打球はまるでピンポンダマのよう。真っシンに当たれば軽くオーバーフェンス。最近では打撃フォームもすっかり安定、それだけ確実性が増した。4分間のバッティング練習中、ポップフライはわずかに4、5本。ほとんどがライナーだ。ケージの後方で見つめる平山、上田両コーチの目も一段と光る。「とにかくよい素質を持っている。12球団を捜してもあれだけ力のある選手はざらにいないだろう。からだも柔らかいし、目もいい。だから多少ポイントが狂っても打てる。ただ変化球を打つとなると疑問もある。いまやかましくいっているのはわきのあまさだ。それに腰で打つことをマスターしたらまだまだ打球ははやくなるし、変化球にもついて行けるようになる。もともと柔軟性はあるし、覚えも早い。とにかくうちになかった魅力のある選手だ」と目を細めて平山コーチは話す。根性もいい。すごいファイトの持ち主だ。ナインからトッカン小僧の愛称で呼ばれているほど。タマをまったくおそれない。スライディングも頭から突っ込んでいく。打球にたいしては体当たり。からだにボールの当たったあとが赤くはれているが「ボクは未熟でしょう。それを補うにはタマにくいつき、からだで覚える以外にないですよ」とすましたもの。上田コーチも「あいつの根性には頭があがる。それに性格もいい。肩も足もなかなかいいよ。うちとしても右の外野手が少ないので大いに期待しているんだ」と話す。山田と大の仲よしの安仁屋は「トッカンといっしょだと苦しみなんて忘れてしまう。だからトッカンのへやはいつも満員。これまでは女の子の話や、映画、パチンコととりとめのない話が多かったのですが、最近はすっかり変わって野球のことばかり。欲が出たんですね。朝は七時からバットスイングや体操をやっていますよ。ボクもうかうかできません」とにかく現在の山田は希望でいっぱいだ。英才グループに残されたことが転機となり、大きな励みになっている。「こんなに野球が楽しいと思ったのは初めてです。いまでは安仁屋、西川さんたちはまったく別世界の人のように思えもしたが、いっしょにプレーしていると、自分でもできるんだ、いや、やらねばいけないんだと自信らしいものが自然に植えついてしまって…。努力すればそれだけむくわれる世界にいるのですから張り合いがありますよ。グラウンドに、名声もお金も落ちているんですものね」話す表情も底抜けに明るい。まだ十九歳だが、すでにプロ根性がしみついている。「基本をまったく知らずプロ野球にとび込んだ僕にはさびしさだけがいやに目につくんです。でもそれが一層ファイトを盛り上げるし、それらを突き破らねばこの世界といわずどこでも通用しませんから。とにかくだれにも負けないようがんばるだけです」と話したあと「ボクは最近一軍でバンバン打ったーなんていう夢をよく見るんです。早くファンの前でプレーして見たいです」これも現在の彼ならそう遠い日のことではなさそうだ。平山コーチがそれを裏付けてくれた。「来年はとにかくキャリアをつけさせる意味で、二軍戦、オープン戦をとわずどしどし出したいね。あいつの馬力とファイトはきっとゼニになる。代打といわず、常時出場を目標にやってほしい。トッカンならやれる」と。
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井上健仁

2020-01-08 16:29:52 | 日記
1963年

ことし夏の甲子園で東日本勢のなかからただ一校、ベスト・4に勝ち残った横浜高の主戦投手で、打線でも四番打者として好打をみせた井上健仁投手=1㍍75、70㌔、右投げ右打ち。18歳=はプロ入りか進学か去就を注目されていたが、このほど東映入りが決定的となった。同投手は十月末に開かれる国体高校野球に出場が決まっているため、東映入団が本決まりとなるのは国体終了後となる。ただ横浜高が秋の国体出場をひかえているため、関係者は「国体終了まではノーコメント」と口をとざしている。これは他の球児の場合と同様だが、井上習得戦の事情をよく知る某氏は「東映入りは動くまい」と語っており、宮沢スカウトも悲観的なことばを全くもらさず、自信たっぷりであることからみても国体終了後の井上の東映入りはスムーズに決定しよう。井上は夏の大会前から進学説が強かったため争奪の騒ぎが表面にあらわれず珍しく静かなスカウト戦であった。

東映宮沢スカウトの話 井上君はぜひともほしい選手だが…。秋の国体出場校だから大会が終わるまでは交渉を遠慮している。

井上は早実の新藤、鎌倉学園の半沢(国鉄)と並んで、関東の高校球界を代表する本格派投手としてクロウト筋の間で早くから注目されていたが、井上株がぐんと上昇したのはことし夏の甲子園大会だった。とくに甲子園の三回戦では中京商の剛腕三輪田に堂々と投げ勝っている。重いスピードとキレのよい変化球の威力は超高校のレッテルをはられていたものだ。スタミナ、度胸ともに文句なく、バッティングの勝負強さもそなえた逸材とあって、東映、大毎、阪急、西鉄など数球団にマークされた。なかでもスタートが早かったのは大毎で、すでに県予選当時から高見沢二軍マネジャーが井上をつけていたという。東映は大毎と比べると出足はちょっと遅れたが、浜田二軍コーチと宮沢スカウトが精力的に活動して在京球団につけこむスキを与えず、勝負は東映と大毎の一騎打ちが予想されていた。しかし、大毎が六大学球児の獲得に血マナコといっているうちに東映が着々と手をまわした。とくに東映は補強のポイントを投手にしぼったため、宮沢スカウトが駒大松村二塁手のスカウト戦から手をひいて、井上投手に目標を一転してくい下がった結果、東映入りは時間の問題とみられるまでになったもの。

井上投手の横顔 横浜市岡野中学時代は一、二年と捕手だったが、ずば抜けた強肩を買われて三年生になると投手に転向。横浜市内の中学大会の優勝投手になった。高校進学のときは鎌倉学園、法政二高、武相高などの有力校にマークされてひっぱりだこだった。甲子園初出場といえばコチコチになるのがふつうだが、第一線を前に「早く投げたいな」と笑っており、控え室で鼻歌をうたっていたほど強心臓の持ち主。からだはズングリ型だが投球フォームはスムーズで、馬力があるだけに将来が楽しめる。今夏の大会後にはハワイ遠征の全日本高校選抜チームの一員に選ばれて活躍した。
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大石勝彦・今井務・古井紘司・柴田信夫

2020-01-08 12:14:24 | 日記
1962年

セ・リーグ大洋球団は三十日午後一時半から東京・銀座の球団事務所でつぎの四人の新入団選手を発表した。四選手の登録は同日午前中に終わった。(四人とも背番号は未定)

大石勝彦 甲府商三年、十八歳、身長172㌢、体重76㌔。右投げ右打ち。ことしの甲子園大会で三回戦まで進んだ甲府商のエースで三番打者。夏の大会県予選では五割五分の高打率をマークしており、打撃力が買われている。「投げるより打ちたい」と話している。大洋の大石正彦コーチの実弟。

今井務 岡谷工高三年、十八歳、身長176㌢、体重70㌔、左投げ左打ち。長野県下のナンバーワン投手で、保井スカウトは「北海の吉沢に勝るとも劣らない」と話している。打力もあり、k9おとしの夏の帝京三高(山梨)との試合では3ホーマーを打ったほど。「三原監督が好きなので」と大洋を選んだそうだ。

古井紘司 新湊高出身、二十歳、身長177㌢、体重75㌔。右投げ右打ち。ノンプロ北陸銀行のエース、新湊高時代の三十六年には富山県の最優秀選手に選ばれ同高卒業のときに南海、阪急から誘われたが、家庭の事情で北陸銀行にはいった。しかし「どうせ野球をするならプロで」と大洋入りした。バネがいい本格派で、速いストレートが決めダマ。

柴田信夫 聖橋高二年、十六歳、身長172㌢、体重70㌔、右投げ右打ち。大洋がさきほど行ったテストに応募した六十人からただ一人だけ選ばれた。この発表には出席しなかったが、保井スカウトは「下関商の池永をやや小柄にした感じ」と話している。まだ十六歳だけに、からだが一回り大きくなる二、三年先が楽しみな選手である。
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峰国安

2020-01-08 08:01:26 | 日記
1964年

シーズン中活躍した選手にとって、オフのくるのは待ち遠しいものだ。「去年は合宿に籠城してとうとうクニに帰らなかったから、ことしは帰ってゆっくり手足を伸ばしてくる」と今から胸をはずませているのが峰だ。長崎県海星高から入団して六年目。初優勝した三十五年と翌三十六年に各1勝をあげてはいるが、一昨年はずっとファーム暮し。昨年はリリーフ専門というより敗戦処理ばかりでややくさり気味の峰だった。ところが今シーズンは別所コーチの入団で持ち前の変化球と重い速球を高く買われ、とうとう自己最高の5勝をあげてしまった。特にそのうち巨人戦で2勝をマークしたのだから、オフの帰郷はいわば錦を飾るものになる。色白の選手の多い中で峰のからだは赤銅色に輝いている。分厚い胸幅にたくましい足腰は大洋一の立派な体格の持ち主だが、これも小さなころから長崎の海で泳ぎまくったからだ。稲尾のように櫓をこいでよく遊んだという。峰は、「ことしは本当に恵まれました。疲れてぐったりする時もあったけど、昨年のように夢のなかった時と違って疲れてもハリのある毎日でした。少しぐらい勝星をあげても来年やらなきゃなんにもなりませんからネ。ことしで自信が持てたし、来年はことし以上の成績を上げて自分のピッチングをつくりあげること。そして皆に信頼されるピッチャーになりたいです」今シーズンの反省をしながら大きな目標に張り切っている。長崎県西彼郡野母崎町野母の実家には、両親と妹ふたりが峰の帰郷を指折り数えて待っている。特に父親の栄五郎さん(65才)はシーズン中、テレビやラジオにかじりついて息子の健闘に一喜一憂して、仕事も手につかないというから、さぞ話は尽きないことだろう。
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