1962年
いつもニコニコと笑いを浮かべている。性格も明るいようで、新入団選手のなかの人気もの。FUKUOKAのユニホームがぴったり似合うのも、この伊藤である。ベテラン連と並んでいても新人といった感じはしない。からだのほうも身長1㍍78、体重75㌔で堂々としている。からだといえば同僚の下川投手が「伊藤の手はスコップ」といって笑わせていた。伊藤の指は太くそして長い。伊藤は「高校に入ってから急にからだが大きくなった。しかし小さいのより、大きいほうがいい」とスコップ説を反撃した。プロ入りについては「ひとりっ子でしょう。家ではぼくの好きなようにしろというのです。おやじは六代めの左官で、ぼくは七代めのはずだった。しかし左官も六代めでチョン。そのかわり、こんごは自活せよといわれました」高校時代は荒木(近鉄入り)とバッテリーを組んで、かなり期待されたが、これという大会には出場したことがない。「大分には門岡(高田ー中日)がいましたからね。門岡がもう一、二年先輩か、後輩だと甲子園へ出るチャンスもあったのですが…」と残念がる。最後に抱負を聞いてみると「ただしっかりやるだけです」と答えてくれた。
いつもニコニコと笑いを浮かべている。性格も明るいようで、新入団選手のなかの人気もの。FUKUOKAのユニホームがぴったり似合うのも、この伊藤である。ベテラン連と並んでいても新人といった感じはしない。からだのほうも身長1㍍78、体重75㌔で堂々としている。からだといえば同僚の下川投手が「伊藤の手はスコップ」といって笑わせていた。伊藤の指は太くそして長い。伊藤は「高校に入ってから急にからだが大きくなった。しかし小さいのより、大きいほうがいい」とスコップ説を反撃した。プロ入りについては「ひとりっ子でしょう。家ではぼくの好きなようにしろというのです。おやじは六代めの左官で、ぼくは七代めのはずだった。しかし左官も六代めでチョン。そのかわり、こんごは自活せよといわれました」高校時代は荒木(近鉄入り)とバッテリーを組んで、かなり期待されたが、これという大会には出場したことがない。「大分には門岡(高田ー中日)がいましたからね。門岡がもう一、二年先輩か、後輩だと甲子園へ出るチャンスもあったのですが…」と残念がる。最後に抱負を聞いてみると「ただしっかりやるだけです」と答えてくれた。